ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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日本復活へのケインズ再考10

2011-02-25 08:50:50 | 経済
●ケインズの思想(1) 全体主義から自由を守る

 前項まで、ケインズの理論と政策について見てきた。次に、ケインズの思想について述べたい。思想について触れなければならないのは、ケインズが単なる経済学者ではなく一個の思想家だったからである。ケインズはもともと数学に才能を示し、数学者を目指した。途中で経済学に転じたのだが、当然、優れた数理的能力を持っていた。しかし、ケインズは抽象的な概念と数式の操作で経済現象を理解するだけの学者ではなかった。むしろ、倫理学を根本において、社会における経済のあり方をとらえる社会思想家だった。そこで、ケインズの理論と政策の裏付けになっている思想について、自由、道徳、ナショナリズムの3点から書くことする。
 最初に、自由についてである。
 ケインズは、伊東光晴氏によれば、「資本主義の危機に際して、その原因を理論的にとらえる苦闘の中から、その危機を取り除く処方箋を引き出し、19世紀資本主義にかわる、現代資本主義をつくりだす支柱をつくりあげた」「古典的資本主義対社会主義の対立の中で、第三の、資本主義の修正の道があること」を示した。
 ケインズは、マルクス主義に対して徹頭徹尾、厳しい見方をした。ケインズはソ連の社会主義建設に全く幻想を抱かなかった。社会主義は経済体制としては極めて非効率だと考えた。1925年に刊行した『自由放任の終焉』に「これほど非論理的でつまらない学説が、人々の心と歴史にこれほど強い影響を与えうるという事は信じられないことだ」と書いている。ケインズは、手放しで資本主義を信奉していたのではないが、「賢明に運営される限り、資本主義は他のどんなシステムよりも効率的に経済的な目標を達成するに違いない」と考えた。
 大恐慌によって、自由主義的な資本主義は危機に瀕していた。ロシア革命後、西欧では共産主義が伸長し、またドイツ・イタリアでは国家社会主義が政権を牛耳っていた。ケインズは、自分が提案する「総需要管理政策」によって雇用問題を解決しなければ、「経済諸力の自由な作用」に重きを置く「伝統的な価値」そのものが崩壊する可能性があると危惧した。その伝統的価値とは、個人の自由を尊重する「個人主義」あり、自由主義である。ケインズは、自由放任的な資本主義の欠陥を修正することによって、資本主義の破壊とそれによる全体主義の支配を回避する道を選択した。
 ケインズは『一般理論』で、自分の理論について、「その含意において、適度に保守的である」と言っている。「なぜなら、それは現在主として個人の創意にゆだねられている問題について、ある種の中央管理を確立することが極めて重要であることを指示するが、なお影響されない広い活動の分野が残されているからである」と。
 ケインズはソ連の共産主義にもナチス・ドイツの国家社会主義にも反対する。これらの全体主義から自由を守るために、政府が個人の自由に一定の規制をかける必要性を説く。それは自由社会を維持するためであり、一定の規制をかけても個人の自由は十分保持されると考えた。
 国家社会主義については、「国家が引き受けるべき、重要な仕事は生産手段の所有ではない。もし国家が生産手段の増加に向けられる総資源量と、それを所有する人々に対する基本的な報酬率とを決定することができるなら、それで国家は必要なことのすべてを果たしたのである。その上、社会化のために必要な方策は、徐々に、社会の一般的な伝統を破壊することなしに導入することができる」と述べている。
 また「今日の独裁主義的な国家組織は、効率と自由を犠牲にして失業問題を解決しようとしているように見える。短い好況の時期を除けば、今日の資本主義的個人主義と結びついているーー私の考えでは、その結びつきは不可避的であるーー失業に、世界が遠からず我慢できなくなることはたしかである。しかし、効率と自由を保持しながら病弊を治療することは、問題の正しい分析によって可能となるであろう」と書いている。
 ケインズは、私有財産制度のもとでの漸進的社会改良を目指している。
 「もちろん、完全雇用を確保するために必要な中央管理は、政府の伝統的な機能の著しい拡大をともなうであろう。さらに、現代古典派理論そのものも、経済諸力の自由な作用を抑制したり誘導したりすることが必要となるさまざまな事情に注意を向けてきている。しかし、なお個人の創意と責任が働く広い分野が残されるであろう。この分野の中では個人主義の伝統的な利益が依然として妥当するであろう」と言う。
 そして、「消費性向と投資誘因とを相互に調整する仕事にともなう政府機能の拡張は、19世紀の評論家や現代のアメリカの銀行家にとっては個人主義に対する恐るべき侵害のように見えるかもしれないが、私は逆に、それは現在の経済様式の全面的な崩壊を回避する唯一の実行可能な手段であると同時に、個人の創意を効果的に機能させる条件であるとして擁護したい」と主張している。

 次回に続く。