ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「同化せぬ移民」の危険性

2010-05-28 09:41:28 | 国際関係
 比較文化史家で東大名誉教授の平川祐弘氏が、産経の「正論」に、移民問題について書いた。ヨーロッパでは、急増するイスラム移民が、受け入れ社会との軋轢を強めていることを述べ、「グローバリゼーションは『文明の衝突』を加速する。よそごとではない。日本も移民の受け付けは上限を設け、社会への同化をはからないと只事ではすまなくなる」と警告している。
 わが国でヨーロッパにおけるイスラム移民に当たるのは、中国人移民である。現在はまだわが国の中国人移民の数は、ヨーロッパのイスラム移民に比べ、少ない。しかし、このまま行けば、中国人移民が急増し、日本はヨーロッパの二の舞になる。イスラム移民は、多くの受け入れ社会で融合しない。中国人移民も同様である。むしろ、イスラム文明には中核国家がなく、様々な地域から来るイスラム移民は集団としての統合力が弱いのに対し、中国人移民は共産党が支配する巨大国家から流入する。定住後も中国共産党の管理のもとにあり、時にはその指示によって行動する。また華僑のネットワークは、世界各地に張り巡らされ、連携を取って行動する。移民増大論者や多文化共存論者は、中国人移民が増大した場合の危険性をよく理解すべきである。
 カナダ、イタリア、フランス等の各地で重大な問題となっている中国人移民については、河添恵子氏の『中国人の世界乗っ取り計画』(産経新聞出版)を、多くの人にお勧めしたい。

 以下はその記事のクリップ。 

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●産経新聞 平成22年5月28日

【正論】「同化せぬ移民」別世界の危険性
2010.5.28 04:15

比較文化史家、東大名誉教授・平川祐弘

 西洋へのイスラム移民の急増で現地社会との軋轢(あつれき)がにわかに強まっている。西欧では約4億の総人口のうち1700万人がイスラム教徒の移民と子孫である。人口に占める割合はフランスのマルセイユで25%に達し、パリでも10%を占める。数は増大する一方で、ロンドン生まれの2人に1人は母親が外国人といわれている。

≪妻帯しても溶け込まず≫
 西欧は労働者移民の入国は打ち切ったが、家族の合流は認めた。その人道主義が裏目に出た。それで外国人花嫁がドイツだけで年に3万人近く入国する。北アフリカから複数の妻を呼び寄せる者もいるらしい。教育は低く言葉は通ぜず、西洋を祖国と思わない。イスラム同胞に連帯感を抱き、イスラム教を大事にし、これだけが真の宗教で、改宗は許さず、改宗者は死刑に価すると考える者もいる。
 当局は当初は若者も妻帯すれば同化するだろうと予測したが、イスラムの人たちは、なかなか西欧社会に溶け込まず、国内国家ともいうべき社会の別階級を形成しつつある。そうした家庭に生まれた子供も社会に溶け込みにくい。それが各国で大問題となり、ついに選挙の争点となった。日本における朝鮮学校は北朝鮮の金父子の肖像を掲げる異質の別世界だが、もしもその人口が年々増大したら、不安に思うだろう。

≪オペラの上演まで自粛して≫
 西欧では住みついた女たちがベールで顔を覆うことが問題となった。フランスは市民の平等をうたう。平等とは、国家が人種・宗教により人を別扱いしない世俗主義が公教育の基本であり、イスラム教徒の女子生徒の校内でのベール着用を認めない。着用にこだわれば非宗教性の原則違反で退学になる。半面、同様の原則で、公共建築物から古くからついていたキリスト教の十字架も取り外している。
 オランダでは「公共の場所ではイスラム教徒もベールを取るように」と移民相が言明した。しかし移民の半数以上はベール着用が望ましいとしており、「ベールを取れ」と最初に提案した議員は「殺すぞ」という脅しを何度も受けた。ベルギー議会はベールの禁止を可決した。
 イタリアのテレビ討論で女性議員が「ベールは宗教的シンボルでもなくコーランで定められたわけでもない。女の顔を隠すベールが自由のシンボルであったためしはない」と発言するや、同席したイタリア在のイスラム教導師が「無知なる者の不信心な発言だ。あなたにコーランを解釈する権利はない」といきりたち、他の導師は「憎悪の種を播(ま)く女」ときめつけた。この宣告はイスラム社会では死刑に相当する。
 イタリア内務省は同議員に警官を常時つけて身辺保護に当たらせた。1988年に『悪魔の詩』を刊行したインド生まれの英国人小説家ラシュディは「教祖マホメットを諷刺しイスラム教を冒涜(ぼうとく)した」としてイラン当局によって死刑を宣告され、その訳者の五十嵐一筑波大学助教授は学内で殺された。そんな宗教テロが思いだされる。「触らぬ神に祟(たた)りなし」で言論表現の自由は萎縮(いしゅく)する。
 ベルリンではモーツァルトのオペラの上演も自粛した。メルケル独首相は、劇場関係者のそんな自己規制を「まだ脅迫もされないうちから白旗を掲げたようなもの」と批判した。

≪恐ろしい「国内国家」形成≫
 西洋の女の裸の露出度に眉を顰(ひそ)める非キリスト教国民は多い。イスラム系男性が故国から花嫁を迎えるのは、西洋社会の道徳的頽廃(たいはい)に「汚されていない」女性と結婚するためと主張する。「うまそうな生の肉を外に出しておけば、猫が来てさらって食う。女も家の中にとどまりベールで顔を覆っていれば、問題は起きない」とイスラム教のお偉いさんが発言した。だがこんな主張はイスラム圏の外ではもはや通用するまい。
 ところが欧米左翼のフェミニストは排外主義者と呼ばれたくないから、腰がひける。米国の女性小説家エリカ・ジョングは「イスラム教徒が西洋でもベールをつけるのは、1960年代にヒッピーが長髪をしたようなものでしょう」と答えた。記者が「ベールをつけるのはイスラム人コミュニティーの圧力のせいではないか」と問い詰めると、「欧米の病院でお産すればベールへのこだわりも減るでしょう」とかわした。出産となれば、ベールも服も脱いで医師に肌を見せるからの含意だろう。だがイスラム女性を治療しようとしたイタリア人男性医師は診察室に押し入った夫に殴打された。
 グローバリゼーションは「文明の衝突」を加速する。よそごとではない。日本も移民の受け付けは上限を設け、社会への同化をはからないと只事ではすまなくなる。移民が集団で国内国家を形成し、旧態依然たるアイデンティティーにすがりつき、「差別された」と騒ぐことほど恐ろしいことはない。先ごろニューヨークの中心部に爆薬をしかけたのは米国に帰化したパキスタン系の男で、イスラム原理主義に感化された一児の父だった。(ひらかわ すけひろ)
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自民党は立党の精神に帰れ8

2010-05-28 09:17:45 | 時事
 次の部分に進む。ここでは、昭和30年立党時の自民党の「綱領」として、三つの文章が並ぶ。

「一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。
一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。
一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。」

 三つとも○○の「完成を期する」という文章である。この場合の「期する」は「前もって決心する」とか「めざす」という意味だろう。「完成を期する」のは、「文化的民主国家」「自主独立」「民生の安定と福祉国家」である。ここでもわが国の独自性を感じさせるのは、「自主独立の完成」のみである。それ以外の目標や要素は、自由主義圏ないし資本主義圏で他の国でも多くの政党が掲げそうなものである。

 次に、「党の性格」という文章が続く。自民党はここで党の性格を、6点をもって規定する。「国民政党」「平和主義政党」「真の民主主義政党」「議会主義政党」「進歩的政党」「福祉国家の実現をはかる政党」の6点である。平成22年の新綱領では、党の性格規定は、ただ一つ、「常に進歩を目指す保守政党」というだけだった。これに比し、自民党は、立党時には次のように多面的または重層的に自己を規定していた。

「一、わが党は、国民政党である
 わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。

ニ、わが党は、平和主義政党である
 わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。

三、わが党は、真の民主主義政党である
 わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。

四、わが党は、議会主義政党である
 わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。

五、わが党は、進歩的政党である。
 わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。

六、わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である
 わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。」

 平成22年の新綱領の「党の基本的性格」より、遥かにしっかり書かれている。ただし、これら「国民政党」「平和主義政党」「真の民主主義政党」「議会主義政党」「進歩的政党」「福祉国家の実現をはかる政党」の6点は、日本の政党に限らず、他の国の政党でも掲げることのできる自己規定ばかりである。
 平成22年の新綱領は「日本らしい日本の確立」を立党の目的の一つに挙げる。その目的は、立党時の「党の性格」では、明瞭ではない。立党宣言の「自主独立の権威を回復」や綱領の「自主独立の完成」は、党の性格規定には、表現されていない。戦後日本の政党としての独自性はなく、ましてや悠久の歴史と伝統を持つ日本の政党ならではの規定、一個の文明としての日本を担う政党だからこその自己規定は、見出せないのである。

 次回に続く。