ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

憲法改正~前文の3(私見)

2005-10-26 12:00:13 | 憲法
 新憲法の前文について、ここで私の考えを記したい。
 憲法の前文には、日本の伝統・文化・歴史、基本的な国柄と現在の政体、法源、国家と国民の関係、日本と国際社会の関係、先行憲法との関係を、明確に記す必要があると思う。

 日本の伝統・文化・歴史については、その特徴を簡潔に記し、また基本的な国柄を明らかにしたい。古来、日本人は、四季に恵まれた豊かな自然の中で、すべてのものにいのちを感じ、大自然との調和を心がけて生活してきた。他国の文化が入ってくると、固有の文化と共存させ、また争いを避け、人との調和を保つ心を持ってきた。
 家庭にあっては、親子一体・夫婦一体・家族一体の生き方を心がけ、祖先から子孫への生命のつながりを重んじてきた。こうした家庭をもとに、皇室を中心として一大家族のような社会を構成し、歩んできたところに日本国の特徴がある。
 私たちには、こうした伝統を受け継ぎ、またこれを発展させて健全な社会を作り、世界の平和に貢献していきたいと思う。

 次に、国の形について述べる必要があると思う。わが国の政体は、明治憲法においては、立憲君主制の民主主義国家であった。主権は統治権とされ、天皇に存した。日本国憲法においては、統治権は主権とされ、主権在民とされた。また、天皇を日本国及び国民統合の象徴とした。君主制か共和制か、主権者である国民に、天皇を含むか否かが明快でなかった。
 新憲法では、この点を明らかにする必要がある。私は、わが国は、立憲君主制の民主主義国家と規定することが適当であると思う。これは、昭和憲法下の政府見解でもある。

 次に、前文及び憲法の全体において、主権という概念を用いることについては検討を要すると思う。立憲君主制の民主主義国家には、君主主権、議会主権、国民主権の三種があるとされる。このうち、わが国は、天皇を含む国民が主権を有するものであり、「象徴天皇制国民主権」というべき特殊な政体である。私は、「君民共有主権」、より正確には「統治権の君民共有制」と呼ぶのが適当と思う。

 主権の概念の核は、統治権である。そこで、憲法においては、主に統治権を用いるのが適当と考える。明治憲法においては、主権という概念を使わず、統治権と称した。統治権は、天皇が有した。昭和憲法においては、主権と言い換えられ、国民に存するとされた。
 主権とは、最高権力を意味する言葉であり、統治権の最高性を形容するものである。それとともに、西欧の歴史では、専制君主の絶対的な権力を、人民が闘争によって奪取したという例があり、主権は専制性と闘争性を含んだ概念である。
 これに対し、統治は、明治憲法において、わが国の伝統に基づき、「知らす」の意味であるとされた。天皇がこの国を「知らす」ことを、統治という漢語に置き換えて表現したものである。「知らす」としての統治には、人民を私物化して支配するという意味がなく、人民を「大御宝」と呼んでその安寧を願って仁政を行うという意味がある。

 こうしたわが国の国柄と伝統にのっとるとき、主権という概念は不適当であり、統治権を用いるのがふさわしいと思う。ただし、国際社会においては、主権国家間の外交・防衛等の文脈で、主権という概念も使用しなければならない。そこで、憲法においては、主に統治権を用い、補助的に主権も用いるのがよいと思う。
 続きを次回書く。