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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

イスラーム51~インド文明・アフリカ文明・ラテンアメリカ文明との関係

2016-05-05 09:06:59 | イスラーム
●インド文明との関係

 第2次世界大戦後、インド文明とイスラーム文明の間で緊張が高まったことを、先に書いた。
 インドとパキスタンは、分離独立後、カシミールの帰属をめぐり、3次に渡る印パ戦争を行っており、1990年(平成2年)以降、インドのジャンム・カシミール州では、州人口の90%以上を占めるイスラーム教徒が分離独立運動を起こし、反印闘争を展開している。
 2001年(平成13年)12月には、カシミール地方のイスラーム教過激組織によるとされるインド国会議事堂襲撃事件が起こった。2008年11月には、インド西部ムンバイで同時テロ事件が起こり、約170人が死亡した。インド側はパキスタンのイスラーム教過激派の関与を指摘している。2014年10月には、カシミール地方で両国軍が砲撃、銃撃を応酬し、両国の住民ら20人以上が死亡した。
 こうした中で印パ間の対話が進められている。2014年(平成26年)5月モディ首相の就任宣誓式に、パキスタンのシャリフ首相が史上初めて出席した。首脳レベルでの対話を続けた印パ両国は、2015年12月包括的対話の再開で合意した。しかし、カシミール地方のインド支配地域のインドからの分離を目指すイスラーム教過激組織は、インドに有利に引かれた同地方の実効支配線が、印パ関係改善によって固定化されることを妨害するテロを繰り返している。インドは、パキスタン情報機関が過激組織の背後にいると非難しており、包括的対話が順調に進むかどうかが危ぶまれている。ここでも国家間の論理とは違う価値観で行動する過激組織の行動が事態を複雑にしている。
 インドにおけるISILの地域指導者は、ISILのインターネット上の英字機関誌『ダービク』で、カシミール地方に「領土」を拡大すると主張しており、インドでもISILの脅威が強まっている。
 今後、多神教のインドと一神教のパキスタンが協調・融和できるかどうかは、両国を含む多神教文明群と一神教文明群が協調・融和できるかどうかにも関わっている。この点は、イスラーム文明とインド文明が西洋文明・シナ文明等とともに交差・混在している東南アジアにも言えることである。
 先に書いたように、東南アジアではイスラーム教が域内最大の宗教勢力であり、東南アジア的なイスラーム教は穏和性・多様性・寛容性を特徴とする。東南アジア的なイスラーム教がその特徴を発揮すれば、東南アジア共同体の発展に貢献できるとともに、イスラーム文明全体に変化の方向を示すものとなるかもしれない。

●アフリカ文明との関係

 ハンチントンは、1990年代に世界の主要文明の一つとなる可能性のあるものとして、サハラ以南を地域とするアフリカ文明を挙げた。その後、アフリカ文明は発展を続けており、現在の2010年代において、私は主要文明の一つに数える。
 アフリカ大陸の北部にはイスラーム文明が、南部にはアフリカ文明が広がっている。北緯10度線を境に、大きく二つに分かれる。イスラーム文明とアフリカ文明の関係は、第2次世界大戦後に欧米の植民地か独立したアジア・アフリカ諸民族のつながりを基礎とする。
 アフリカ文明には、中核国家が存在しない。唯一地域大国と言えるのは、南アフリカ共和国である。以前はブラジル、ロシア、インド、中国の新興大国4国をBRICsと呼んだが、2011年(平成23年)に南アフリカを加えて、BRICSとSを大文字で表すようになった。南アフリカは、アパルトヘイトを止めて民主化を進めてから、アフリカ最大の経済大国として経済発展を続けている。
 先進国によるG8に対して新興国11か国を含むG20が、世界的な経済政策の調整の場として重要性を増してきているが、南アフリカはG20のメンバーにもなっている。これに比べ、イスラーム文明にはBRICSに加えられる国家はまだ存在しない。G20は、サウディアラビアとトルコがメンバーになっている。
 アフリカ文明で、最大の宗教はキリスト教である。西欧の旧宗主国イギリス、フランス、オランダ、ベルギー等の影響によるものである。キリスト教に次ぐ第二の宗教は、諸部族・諸民族のマナイズム・アニミズム・シャーマニズム等のいわゆる原始宗教である。キリスト教徒が多い地域でも、これらが混在・並存している。第三の宗教は、ヒンズー教である。キリスト教以外のほとんどは、多神教である。それゆえ、イスラーム文明とアフリカ文明が協調・融和できるかどうかは、まずイスラーム教とキリスト教の関係の問題であり、またこれら二つの一神教がアフリカ土着及びインド由来の多神教と協調・融和できるかどうかの問題である。このことは、アフリカ大陸全体の将来に関わる事柄だろう。
 ここで注目したいのが、アフリカにおける人権の概念の受容と変容である。世界人権宣言のもと、国際人権規約とは別に各地域で地域的な人権条約が各地域で作られており、フリカでもアフリカ人権憲章が作られた。バンジュール憲章とも呼ばれる。1981年(昭和56年)に採択され、1986年(昭和61年)に発効した。現在の批准国は54カ国であり、アフリカ連合の全ての加盟国が批准している。アフリカ連合には、モロッコを除くアフリカの全ての独立国家が加盟している。イスラーム教諸国やイスラーム教徒の多い国々も皆参加している。それゆえ、アフリカ憲章は、イスラーム文明の諸国家とアフリカ文明の諸国家がともに参加している人権憲章である。
 アフリカ憲章は、西洋文明の価値観に基づく欧州人権条約や、中南米諸国による米州人権条約とは、多くの点で異なっている。第1に、前文に植民地主義、新植民地主義、アパルトヘイト、シオニズムの廃絶が謳われている。第2に、権利のみならず、義務をも宣言している。第3に、個人の権利に加えて人民の権利として民族自決の権利、民族の発展を規定している。第4に、自由権としての市民的及び政治的権利に加えて、社会権としての経済的、社会的及び文化的権利を多く保障している。第5に、条約で保障する権利の行使に対して締約国が非常に広範な制限や制約を課すことができる規定となっている。第6に、環境権が盛り込まれている。
 こうした独自性を持つアフリカ憲章には、イスラームの宗教と文明の価値観が一定程度反映されている。アフリカ大陸においてイスラーム文明とアフリカ文明が協調・融和するために、宗教・文化・家族型等の違いを越えて価値観の共有を図ることのできる人権の発達への取り組みが有効だろうと私は考える。

●ラテン・アメリカ文明との関係

 世界の主要文明の中で、イスラーム文明のかかわりが最も薄いのは、ラテン・アメリカ文明である。
 ラテン・アメリカ文明は、旧宗主国スペイン・ポルトガル等の影響で宗教的にはカトリック教徒が90%以上を占める。21世紀に入って、伝統的な土着の宗教は、急速に小数化しつつある。それゆえ、イスラーム部名との文明間の関係は、基本的にはイスラーム教とキリスト教の関係になる。この点では、アフリカ文明との関係にある程度似ている。
 ラテン・アメリカでは、フランスの1830年の七月革命と48年二月革命をきっかけに、スペイン・ポルトガルからの独立の気運が高まり、1810年代から20年代にかけて、18の独立国家が誕生した。この点が、20世紀後半に民族独立を獲得した国の多いアジア・アフリカと事情が異なる。イスラーム文明とラテン・アメリカ文明の関係は、発展途上国の間の関係となっている。
 ラテン・アメリカ文明にも、中核国家がない。地域大国のブラジルはBRICSの一角をなす。ブラジルが中国・インド・ロシア・南アフリカと並んで、急速に成長しつつあることは、地域全体の成長可能性を表すものとして注目される。またラテン・アメリカ文明から、G20には、ブラジルの他にメキシコ、アルゼンチンが参加している。
 ラテン・アメリカは「米国の裏庭」といわれるように、ラテン・アメリカ文明には米国の強い影響下にある国が多い。その一方、米国の支配に反発する反米的な国家も少なくない。ベネズエラ、ボリビア、キューバ、ニカラグア、エクアドル等である。こうした国々には左派または中道左派政権が多い。イスラーム文明には、イランを代表とする反米的な国家があり、ラテン・アメリカ文明の米政権との間に一定のつながりがある。こうした国々が連携を強め、文明間の反米勢力が増大し、さらにそれが中国と結託する時、米中の世界的な覇権争いに関与するものとなるだろう。

●日本文明との関係

 イスラーム文明と日本文明との関係については、次の項目である「結びに」でイスラーム文明と人類の将来について述べる際に書く。

 次回に続く。

イスラーム50~東方正教文明・シナ文明との関係

2016-05-02 08:14:12 | イスラーム
●東方正教文明との関係

 イスラーム文明と東方正教文明の関係について書くには、まずロシアの歴史を概述する必要がある。
 ロシアでは、9世紀から東スラブ人がキエフ大公国を中心に、いくつかの公国を形成した。10世紀の末にキエフ・ロシアのウラジーミル1世は、ビザンティン帝国からギリシャ正教を摂取し、これを国教とした。ギリシャ正教はやがて土着化してロシア正教となり、ロシアの文明に東方正教文明と呼ぶべき宗教的特徴を与えた。
 東方正教文明がイスラーム文明と接触し、その影響を受けたのは、モンゴル人による。1240年ごろ、チンギス・ハンの孫バトゥが来襲し、キエフ・ロシアの諸公国が滅ぼされ、キプチャク・ハン国の支配下に置かれた。1480年まで続いたこの時期を「タタールのくびき」時代という。タタールとは、モンゴル軍に従ってきたトルコ系住民の子孫のことで、モンゴル人はこのタタール人と混血し、さらにその宗教であるイスラーム教を自らの国教とした。
 その後、「タタールのくびき」を脱したロシアは、モスクワ大公国を中心にして全土を統一しつつ、専制と農奴制を確立していった。18世紀には、ロシア帝国が成立し、ピョートル1世の改革を経て絶対主義的な政治・経済体制を強化し、ナポレオン戦争に勝って軍事大国として国際政治に登場した。19世紀後半から20世紀初頭にかけて農奴解放に始まる一連の改革が行われ、またそれへの反動期が続いた。日露戦争と1905年(明治38年)の革命を経て、1917年(大正6年)の二月革命でロマノフ朝が崩壊し、さらに十月革命によって史上初の社会主義国ソビエト連邦が成立した。
 帝政ロシアには多くのイスラーム教徒が住んでいた。主な定住地は中央アジア、ボルガ川沿岸、カフカス山地、クリミア地方だった。イスラーム教徒の遊牧民の多い中央アジアでは、1924年(大正13年)から36年(昭和11年)にかけて5つの共和国がつくられ、ソ連を構成する共和国となった。
 旧ソ連は社会主義共和国連邦と称したが、各自治共和国は民族や文化が異なっており、それを共産党が支配する連邦制の国家だった。人口の5割をロシア民族が占めた。スターリンによって、ロシア民族による少数民族への支配・搾取が行われた。
 ソ連では当時、イスラーム教はロシア正教に次ぐ信徒数を有していた。ソ連は、インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、インドに次ぐ世界第5位のイスラーム人口を抱えていた。
 1991年(平成3年)12月、ソ連が崩壊すると、イスラーム教徒の多い地域で6つの共和国が独立した。カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンの中央アジア諸国と、カフカスのアゼルバイジャンである。スンナ派が主流であり、シーア派はアゼルバイジャンだけである。民族的には、タジク人はイラン系で、それ以外はトルコ系である。
 旧ソ連で最も抑圧されていた少数民族は、チェチェン人である。チェチェン人にはイスラーム教徒が多く、チェチェンはイスラーム文明に属する。チェチェン人は、スターリンからナチス・ドイツに協力したと決めつけられ、民族ごと強制移住させられたという苦難の経験を持つ。
 1991年(平成3年)11月、チェチェン独立派が、崩壊寸前のソ連からの独立を宣言し、以後独立運動が続けられている。これに対し、ソ連の後継国であり、東方正教文明の中核国家であるロシアは、94年にチェチェンに武力侵攻を行い、二次にわたる紛争が起こった。チェチェンは石油、天然ガス、鉄鉱石などの地下資源が豊富であり、ロシアは独立を認めようとしない。ロシアは無差別かつ大規模な民間人への攻撃を行い、チェチェン人口の約10分の1が死亡し、5万人のチェチェン人が国外で難民となっている。チェチェン人過激派はモスクワ等で無差別テロを行い、関係は泥沼化している。ロシアにとって、チェチェン人への対処は、独立国家共同体(CIS)に加盟するイスラーム系諸国との関係に影響する。そのため、プーチン大統領は武力でチェチェン人の独立を防ぎ、他に波及しないように画策している。
 ところで、見逃してはならないのは、ロシア共和国にも約2000万人のイスラーム教徒がいることである。ロシア人口の14%を占める。その多くはスンナ派である。ロシア政権は、国内のイスラーム教徒がスンナ派過激組織に同調して、テロを起こすことを警戒している。
 山内昌之氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』で、シリアへの空爆を行って軍事介入で戦争の当事国になった「プーチンの戦略には大きなリスクも伴う」と指摘する。「ISとのポストモダン型戦争の最前面にロシアが立つと、ISの軍事指導部に多いチェチェン人に、ロシア国内へ戦域と戦線を拡大させる刺激を与えるからである。ISの外国人戦士のうち4分の1が旧ソ連の出身者であり、そのロシア帰還阻止のためにプーチンは空爆に踏み切ったはずだった。彼は、チェチェン人帰国の前に中東現地で徹底的に彼らを殲滅しようという目論見なのだろう。プーチンは、シリア戦争をそのまま北カフカース(北コーカサス)のチェチェニスタンなどのロシア国内問題の延長としてとらえている」と山内氏は述べている。
 ロシアはシリアに軍事介入したことで中東に深く足を組み入れ、ISILへの空爆とともに反アサド政権派への空爆を行う中で、トルコと対立関係を生じた。このようにしてイスラーム教諸国との関わりを深めている。イスラーム文明は、スンナ派の諸国とシーア派の諸国に宗派の違いで別れ、またロシアが支援するシリアのアサド政権を支持するか反対するか、ISIL掃討に積極的か消極的か等によって、複雑な様相を呈している。
 将来的には、中東・北アフリカで平和と安定が実現するかどうかに、イスラーム文明と東方正教文明の関係のあり方が大きく左右されるだろう。

●シナ文明との関係

 シナでは、イスラーム教を回教という。回紇(かいこつ)ことウイグル族を通じてシナに伝播したので、回回教と称したのに基づく。
 シナ文明の中核国家は、中華人民共和国(以下、中国)である。中国には、ウイグル族、回族、カザフ族、トンシャン族など、イスラーム教を信仰する民族が10ほどあり、その大部分が中国西北部に集中している。中国国内のイスラーム人口は2000万人以上とされる。その中心は、新疆ウイグルに居住するウイグル族である。ウイグル族は、トルコ系のイスラーム教徒でアラビア文字を使う。
 中央アジアには、トルキスタンという地域があり、シナでは西域と呼ばれてきた。トルキスタンは、西トルキスタンと東トルキスタンに分かれる。西トルキスタンは、旧ソ連領だった。ソ連解体後は先に書いた中央アジアの5つの共和国になっている。東トルキスタンは、清朝の時代から新疆と呼ばれる。中華民国では新疆省に組み入れられたが、1933年(昭和8年)に第1次東トルキスタン共和国が樹立され、翌年まで続いた。再び中華民国に併合された後、1944年(昭和19年)から46年(昭和21年)にかけて、第2次東トルキスタン共和国が第1次とは別の地域に存在した。だが、1949年に中華人民共和国に併合され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。自治区とは名ばかりで、実態は北京の支配下にある。
 中国共産党は、1950年(昭和25年)にチベットへの侵攻を開始し、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺以後最大のジェノサイド(民族大虐殺)を行ってきている。その異民族への弾圧・虐殺は、チベット自治区だけでなく、新疆ウイグル自治区でも行われている。
 唯物論的共産主義を信奉する北京政府は、イスラーム教徒であるウイグル人に対して、仏教徒であるチベット人に行っているのと同様の宗教弾圧を行っている。これまでに約50万人のウイグル人を「政治犯」として処刑したといわれる。また、妊婦に対して「計画生育」という名目で胎児の中絶を強制し、犠牲になった胎児は850万に上ると推計されている。これは、宗教弾圧であるとともに、漢民族によるウイグル族への民族支配でもある。
 ウイグル人は中国共産党による迫害・殺戮に抵抗運動を行っている。同じイスラーム教勢力であるISILは、中国共産党によるイスラーム教徒への弾圧に対し、2015年(平成27年)12月、中国語でジハード(聖戦)を呼び掛ける音声の声明をインターネット上で発表した。ISILが習近平国家主席率いる共産党政権に宣戦布告したと考えられる。ISILには、ウイグル族を中心に数百人の中国人が参加し、戦闘訓練を受けて中国に帰国した若者が多数いるとされる。今後、中国ではこうした帰国者やホームグロウン(自国育ち)の過激派によるテロが増えるだろう。
 ハンチントンは、西洋文明の存続・繁栄を願う立場から、イスラーム=シナ文明連合、「儒教―イスラーム・コネクション」の形成を警戒した。
 中国は、2001年(平成13年)に上海協力機構を設立し、中国の他、ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタンの6か国による多国間協力組織を構成している。その多くがイスラーム教国であることが注目される。イラン・インド・パキスタンはオブザーバーの地位にあったが、うちインド・パキスタンは2015年(平成27年)に正規加盟が決まった。またトルコやシリア・エジプト等のアラブ諸国も加盟を申請している。
 また、中国は、現在アジア・インフラ銀行(AIIB)とともに、これと一体のものとして「一帯一路」構想を進めている。この構想は、中国とユーラシア大陸および東南アジア、インド、中東・アフリカを海と陸の両方で結ぼうとするものである。「一帯」は「シルクロード経済ベルト(陸上)」、「一路」は「21世紀海上シルクロード」を意味する。中国を起点に内陸と海の2つのルートで欧州まで経済圏を構築する構想である。このAIIB及び「一帯一路」構想においても、イスラーム教諸国を多く傘下に取り込んでいる。
 このような動きを通じて、イスラーム文明とシナ文明との関係は広がり、また深まりつつある。
 中国のAIIB及び「一帯一路」構想は、米国の世界的な覇権への挑戦である。中国は、貪欲に資源と市場を求めて、東南アジア、南アジア、アフリカ、ラテンアメリカ等へも経済進出を拡大している。これを文明のレベルで見れば、シナ文明が西洋文明に拮抗し、これを凌駕しようとする動きである。この西洋文明とシナ文明の対立・抗争は、多くの文明を巻き込んでおり、イスラーム文明もまたこれに巻き込まれつつある。
 米中の覇権争いが高じて、米中激突という事態になれば、人類の存亡に係る核兵器使用による世界大戦に発展する可能性がある。また、中東における紛争が米中激突の世界核戦争のきっかけになるおそれもある。

 次回に続く。

イスラーム49~西洋文明との関係

2016-04-30 08:41:32 | イスラーム
●イスラーム文明と世界の諸文明の関係

 ハンチントンは、21世紀初頭の世界は一つの超大国(アメリカ)と複数の地域大国からなる一極・多極体制を呈するようになったとし、今後、世界は多極化が進み、真の多極・多文明の体制に移行すると予想した。また特に西洋文明とイスラーム文明・シナ文明との対立が強まり、西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立の時代が来ると警告した。後者の連合は、「儒教―イスラーム・コネクション」ともいう。このことは、多極化・多文明化する世界において、米国が徐々に衰退する一方、中国が経済的・軍事的な影響力を増すことを予想するものでもある。
 ここで、多極化・多文明化と米中の覇権争いが予想される21世紀の世界において、イスラーム文明と他の主要文明の関係がどのようになっていくかを考察したい。

●西洋文明との関係

 イスラーム文明が歴史的にお最も深い関係を持っている異文明は、西洋文明である。それは、現在から数十年先の将来にかけても変わらない。ハンチントンは『文明の衝突』で、西洋文明とイスラーム文明の衝突の可能性を警告した。これに反論して、トッドは文明は「衝突」せず「接近」するという将来予測を打ち出している。「接近」とはイスラーム文明における識字率の向上と出生率の低下による近代化、さらに脱イスラーム化の進行に基づく現象である。
 私は、長期的な傾向としては「接近」の可能性を認めるが、現状は、むしろヨーロッパへのイスラーム移民の流入により、ユダヤ=キリスト教的西洋文明とイスラーム文明の対立・摩擦が強まっていると思う。ハンチントンは、文明の衝突は文明の断層線(フォルトライン)で起こるだけでなく、文明の内部でも起こると述べた。ヨーロッパでは、文明と文明が地理的空間的に衝突しているのではない。一つの広域共同体の中で、先住の集団と外来の集団が混在し、その間で衝突が起こっている。ヨーロッパにおける主たるフォルトラインは、ある文明に属する諸国と、別の諸国との国境地帯にあるのではなく、都市の街区や学校の教室の中に立ち現れている。国境のフォルトラインで戦争が起こるのではなく、都市のフォルトラインで、爆弾テロが起こる。地理的空間的に展開する軍隊同士の争いではなく、地下鉄や劇場でゲリラが攻撃を仕掛ける。
 実際、イスラーム教過激派によるテロが都市で頻発している。2004年2月、スペインのマドリードの3駅で列車爆破テロが起こり、約190人が死亡した。2005年7月、イギリスのロンドンの地下鉄3か所、バス1台で同時テロが起こり、52人が死亡した。2015年(平成27年)1月のフランス風刺週刊紙襲撃事件や同年11月のパリ同時多発テロ事件等に見るように、文明の違い、価値観の違いによる対立・摩擦は深刻さを増している。これはハンチントンの予想を大きく超えた事態であるし、トッドはパリで、メトロで、コンサートホールで、無差別自爆テロが起こることを想定できていなかった。
 2016年3月18日ベルギーの捜査当局は、パリ同時多発テロの実行犯の一人、サラ・アブデスラム容疑者を、潜伏していたブリュッセル首都圏のモレンベーク地区で逮捕した。ベルギーは、パリ同時多発テロの実行犯グループがテロを準備する拠点となっていた。
 アブデスラム逮捕への報復が懸念されるなか、3月22日、ブリュッセルの国際空港及び地下鉄駅で連続爆弾テロが発生し、34人が死亡し、230人以上が負傷した。ブリュッセルは、欧州連合(EU)の本部があり、EUの首都とも呼ばれる。テロが起こった地下鉄駅は、EU本部に近くに位置する。
 3月22日の連続テロについて、ISILが犯行声明を出した。犯行声明は、正確に空港や地下鉄を標的にしたと指摘した上、「侵略の代償として十字軍連合は暗黒の日々を迎える」とし、ISIL掃討を目指す欧米諸国に対して警告した。
 フランスのオランド大統領は、「狙われたのは欧州全体だ」と語り、EUの連携を呼びかけた。またバルス首相は、「われわれは戦争状態にある」と述べ、国際社会の団結を訴えた。
ヨーロッパにおけるイスラーム文明と西洋文明の衝突は、ポストモダン型の戦争となっている。ISILは、自らが支配する領域への各国の空爆への反攻として、パリ・ブリュッセル等で大規模テロを行っている。彼らの側からすれば遠隔地の敵国への攻撃であり、遠隔地戦争である。そして、その戦争は手段を選ばずに一般市民を大量殺害することを目的としている。ヨーロッパは、その自由と普遍的人権の観念によって、恐るべきテロリストを地域内に抱えてしまった。
 ベルギーのテロは、2015年11月のパリ同時多発テロ事件より、はるかに過激だった。そのテロは最初、原子力発電所が標的だったのである。その動きを察知したベルギー当局が警備を厳重にしたため、都心部でのテロに変えたのだった。もし原発を攻撃されていたら、かつてない大惨事になった可能性がある。今回は、原発テロを未然に防げたが、今後、最大限の警戒・警備が必要である。
 深刻さを増す一方のイスラーム文明と西洋文明の関係は、将来どのようになっていくのだろうか。2009年(平成21年)8月、英『デイリー・テレグラフ』紙は、EU内のイスラーム人口が2050年までに現在の4倍にまで拡大するという調査結果を伝えた。それによると、EU27カ国の人口全体に占めるイスラーム系住民は2008年には約5%だったが、現在の移民増加と出産率低下が持続する場合、2050年ごろにはイスラーム人口がEU人口全体の5分の1に相当する20%まで増える。イギリス、スペイン、オランダの3ヵ国では、「イスラーム化」が顕著で、近いうちにイスラーム人口が過半数を超えてしまうという。
 近い将来、イスラーム人口が過半数を超えると予想されるイギリスでは、第2次大戦後、非ヨーロッパから多数の有色人種が流入した。主な移民は、ヒンズー教の一種であるシーク教徒のインド人、イスラーム教徒のパキスタン人、キリスト教徒のアンチル諸島人である。彼らは当初、イギリス社会に同化する気構えを持っていたが、イギリス人の拒否に会った。イギリスは、絶対核家族を主とする社会であり、自由と不平等を価値観とする。その価値観は、諸国民や人間の間の差異を信じる差異主義の傾向を生む。人間は互いに本質的に異なるという考え方である。移民集団は、イギリスでその差異主義による拒否に出会った。集団によって、それぞれ異なる結果が現れた。受け入れ社会と移民の文化の組み合わせによって、結果が違ったのである。ポイントは家族型の違いにある。
 インド人のシーク教徒の家族型は、直系家族である。彼らにはイギリスの差異主義が幸いし、囲い込みという保護膜に守られた形で同化が進んでいる。しかし、パキスタン人の家族型は、共同体家族である。共同体家族は、兄弟間の平等から諸国民や万人の平等を信じる普遍主義の傾向を持つ。世界中の人間はみな本質的に同じだという考え方である。この普遍主義とイギリスの差異主義がぶつかり、パキスタン人は隔離された。これに対しもともとイスラーム教スンナ派であるパキスタン人は、宗派の異なるイランのシーア派の活動組織と結び、イスラーム教原理主義に突き進んだ。
 イギリスの差異主義と衝突したイスラーム系移民の一部は過激化し、ロンドン等の大都市で、無差別テロ事件を起こしている。また、イギリス社会では、シャーリア(イスラーム法)の導入を巡って摩擦が起き、一つの社会問題となっている。イスラーム系移民の人口は、年々増加している。その過程で、イギリスの社会には、かつて欧米諸国が体験したことのない質的な変化が起こるだろう。
 イギリス以上にオランダの状態は深刻である。イギリス、ドイツ、フランスにおける移民の人口比は7~9%だが、2010年(平成22年)現在でオランダは10%を大きく超え、20%に近くなっている。オランダは、EUの加盟国以外の外国人にも、地方参政権を与えている唯一の国である。オランダは、この地方参政権付与によって、大失敗した。イスラーム系移民は、オランダ人とは融和せず、都市部に集中して群れを成して居住する。アムステルダムなどの都市部では、彼らが形成するゲットーにオランダ人が足を入れようとすると、イスラーム系住民は敵意を燃やして攻撃する。そういう険悪な状態に、オランダ人も危険を感じるようになった。特に新たに流入したイスラーム系移民たちの暴力、犯罪や組織犯罪が目立ってくると、関係は悪化した。国内に別の国家が作られたような状態となってしまった。人口全体の20%というのは、こういう社会になり得るレベルということである。
 欧州連合(EU)では2014年(平成26年)からイスラーム文明諸国からの難民・移民の流入が急増している。シリアの内戦やアフガニスタン、リビア等の混乱が原因である。2015年11月のパリ同時多発テロ事件後、ヨーロッパの相当数の国々で、こうした難民・移民を本国に帰そうとする動きが起こっている。EUは、2016年3月トルコと密航した難民・移民らのトルコへの送還などの措置で合意した。これらの政策変更によって、イスラーム文明諸国からの難民・移民の流入に一定の制限・抑止が働くだろう。だが、既にヨーロッパには、1000万人以上のイスラーム移民が定住している。今後、そうしたイスラーム移民の多くがヨーロッパ文明に同化するのか、それとも同化を拒否するイスラーム移民がますます対立的闘争的になって文明の「衝突」が深刻化するのか。この問題は、ヨーロッパ文明の運命に関わる大問題である。
 私は、前者つまりヨーロッパ文明への同化よりも、後者つまり文明の「衝突」の深刻化の可能性の方が遥かに高いと考える。かつて第1次世界大戦後、オズワルド・シュペングラーが『西洋の没落』を書いたヨーロッパは、第2次大戦後は、イスラーム教徒という「月と星の民」を多く受け入れることで、没落の道を覆う夜の闇を深くしている、と私には見える。
 ヨーロッパにおけるイスラーム教徒によるテロについて、わが国では、世俗主義・政教分離を強制するからムスリムが屈辱感を感じてテロが起きるという見方がある。だが、池内恵氏は、次のように指摘する。「ベルギーは政教分離を強制するどころか、移民集団の自由に任せ、放置してきた。それなのに(だからこそ)テロが起きている。なお、植民地主義の過去もなく、人道主義で意図的に移民・難民を受け入れてきた北欧ですらテロが起きている、ということも深く受け止めましょう」と。すなわち、移民コミュニティを放置してもテロが起きる、ホスト社会に統合しようと思想信条に介入してもテロが起きる。それが、ヨーロッパの深刻な現実である。
 トッドは、フランスが取るべき移民政策として「率直で開かれた同化主義」を説くが、移民の数が増大すれば、ある段階からその政策は機能し得なくなるだろう。どこの国でも移民の数があまり多くなると、移民政策が機能しなくなって移民問題が深刻化する、その境界値は人口の5%と私は考える。ヨーロッパが自らの西洋文明を守るには、各国で移民の規制をする必要がある。移民を合法的手段で強制的に本国に帰国させる方法があるし、人口の何%以内と上限を定める方法もある。ヨーロッパは、早くそうしないと手遅れになる。西洋文明だけでなく、イスラーム文明の人々にとっても、不幸な結果になるだろう。
 その点、米国の場合は、人口に対するイスラーム教徒の割合は、現在のところ約1%であり、2050年の時点でも約2.1%と予想されているから、ヨーロッパにおけるほど米国内の問題は深刻化しないだろう。しかし、政府による国家間においては、もはや米国とイラク、シリア、イラン、アフガニスタン等の関係が、それぞれ抜き差しならない関係となっている。今後もイスラーム文明との外交は、米国の対外政策において重要な位置を占め続けるだろう。特にイスラエルとの関係とイスラーム教諸国との関係のバランスのとり方がますます重要になっていくだろう。また、イスラーム文明にとっても、米国との関係は一層重要性を増すだろう。その際、世界的規模で米国と覇権を争う中国が中東外交を強化しており、イスラーム文明は、米中の覇権争いの舞台となる。
 先にEU内のイスラーム人口が2050年までに現在の4倍にまで拡大するという『デイリー・テレグラフ』紙の調査結果を記した。人口全体に占めるイスラーム系住民は、現在の移民増加と出産率低下が持続する場合、2050年ごろには20%まで増える。イギリス、スペイン、オランダの3ヵ国では、近いうちにイスラーム人口が過半数を超えてしまうと予想される。
 帝国の中心部(メトロポリス)に、周縁部(ペリフェリ)から移民が流入し、やがてその移民が帝国の運命を左右する。これは古代ローマ帝国で起こった出来事である。周縁部からゲルマン人が流入し、ローマ帝国は大きく傾いていった。帝国中心部の経済力・軍事力を、周縁部の生命力・人口力が徐々に凌駕していく。かつて古代ゲルマン人がヨーロッパ先住民族を圧倒したように、今度はイスラーム教徒が現代ゲルマン人を圧倒していくことが起こりかねない。古代ローマ帝国は部族的信仰を持つゲルマン人をキリスト教に改宗させ得た。それが、キリスト教的なヨーロッパ文明を生んだ。しかし、今日の西洋文明には、イスラーム教徒をキリスト教に改宗し得る宗教的な感化力は存在しない。世俗化の進む欧州諸国では、熱烈な異教徒を信仰転換できる宗教的情熱は、みられない。近代化・合理化は、他の文明から流入する移民の価値観を変え得る。だが、人々が宗教に求める人生の意味、魂や来世の問題については、何ももたらすものがない。イスラーム教はその信徒に近代化・合理化の進む西洋文明がもはや与え得ない宗教的な安心感を与えているようである。そのため、増加するイスラーム教国出身者及びその子孫がそのままイスラーム教の信仰を続け、逆にキリスト教徒をイスラーム教に改宗させる事例が増えていくことが予想される。
 『デイリー・テレグラフ』紙の調査によればイギリス、スペイン、オランダでは人口の過半数がイスラーム系移民になっていく。彼らの人口が増大する過程で、それらの国々の社会には、かつてどの国も体験したことのない質的な変化が起こるだろう。これと並行して、他のヨーロッパ諸国でも、イスラーム系移民の流入・増加による変化が、様々な形で現れるだろう。白人種・キリスト教のヨーロッパ文明から、白人種・有色人種が混在・融合し、キリスト教とイスラーム教が都市部を中心にモザイク的に並存・対立するヨーロッパ文明への変貌である。このまま進めば、やがてユーラシア大陸の西端に、「ユーロ=イスラーム文明」という新たな文明が生息するようになると思われる。ヨーロッパの人々が、それを避けようと欲するならば、早い段階で移民を規制する政策に転換すべきである。

 次回に続く。

イスラーム48~人権に関する動向

2016-04-28 08:17:48 | イスラーム
●イスラーム文明の人権に関する動向

 トッドは、識字率の向上と出生率の低下によって、イスラーム文明は近代化が進み、脱イスラーム化する、と予測している。この近代化及び脱イスラーム化の進行は、イスラーム文明における人権に関する考え方にも変化をもたらすだろう。
 人権については、拙稿「人権――その起源と目標」に詳しく述べている。人権は普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」である。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm
 人権は第2次世界大戦後の世界で中心概念の一つになっている。近代西欧に発した人権の概念は、第2次大戦後、世界に広まり、イスラーム文明においても、これにどう対処するかが課題となった。
 1948年(昭和23年)国際連合で世界人権宣言が採択された際、サウディアラビアは、イスラーム教の教義から宣言の定める自由と権利の一部は受け入れられないとして、採択を棄権した。世界人権宣言音の後、1966年(昭和41年)に宣言の理念を条約に具体化する国際人権規約が国連で採択され、76年に発効した。また、これに続いて種々の国際人権条約が多数の国々の参加で締結されてきた。それら国際人権諸条約に定められた個人の自由及び権利は、国家の体制のいかんを問わず、実現すべき価値であるという認識が、世界的に深まりつつある。
 この間、イスラーム教諸国会議機構に加盟する中東、北アフリカの国々は、人権に関する協議を重ねた。そして、これらの諸国は、1993年(平成5年)のウィーン会議を前後して、1990年(平成2年)に「イスラーム教における人権に関するカイロ宣言」を採択し、94年(平成6年)には「人権に関するアラブ憲章」を採択した。
 カイロ宣言及びアラブ憲章は、人権概念とイスラーム教の教義及び国家原理との調和を図るためのものである。イスラーム教諸国の側から欧米に向けて発せられた「どのような人権なら受け入れることができるか」を示すメッセージだったとも理解できる。カイロ宣言では「イスラーム教における基本的権利及び普遍的自由は、イスラーム教の信仰の一部である」ことが確認された。アラブ憲章では、人権が「イスラーム教のシャリーア(イスラーム法)及びその他の神の啓示に基づく諸宗教によって堅固に確立された諸原則」であることが確認された。このことは、イスラーム教諸国は人権が西洋文明の所産であるという見方を否定したことを意味する。移動や居住の自由、表現の自由といった個別的な人権については、シャリーアの優越が強調された。またカイロ宣言は、イスラーム教諸国の地域性を反映して「高利貸しは絶対的に禁止される」とし、アラブ憲章は「アラブ・ナショナリズムが誇りの源泉である」「世界平和に対する脅威をもたらす人種主義とシオニズムを拒否する」等の他地域の人権条約にはみられない規定が盛り込まれた。
 このように、イスラーム教諸国の人権解釈は、イスラーム教の教義に人権の概念に当たるものを見出して、教義と人権概念の矛盾を解消し、それでもなお矛盾の生じかねない部分、たとえば移動・居住・表現等の自由については、シャリーアの規定を優先させている。ここには西欧発の人権思想を一定程度摂取しながら、それをイスラーム教に固有の概念で置き換えて土着化させるという文明間における主体的な対応がみられる。
 今日の世界で、国際人権規約の自由権規約及び社会権規約は、160以上の国が締約国となっている。個別的人権条約についても、締約国が最も多い子どもの権利条約は190以上の国が締約国となっている。また女性差別撤廃条約も締約国は180以上となっている。イスラーム教国も多くがこれらの条約を締結している。だが、サウディアラビアやイランなどでは、キリスト教に根拠を置く人権思想を異教の思想として受け入れられないとする考えが根強い。その一方、イスラーム教諸国も、血の神聖さなどの教義を中心としたシャリーア(イスラーム法)における人権という考え方を持って欧米の人権思想との整合性を図っている。これに対し、イスラーム法の人権は制限が厳しく、欧米から人権侵害であると非難されている。特に女性の権利への制限は、西洋文明と大きな価値観の相違を示している。そこには、宗教だけでなく、家族型による価値観の違いが表れている。むしろ、家族型的な価値観が宗教的価値観の基底にあることを理解すべきである。
 中東・北アフリカに広がるアラブ社会の家族型は、内婚制共同体家族である。また父系的でもあるので、内婚制父系共同体家族と呼ばれる。この家族形態は、アラブ圏全域に加えて、イラン、アフガニスタン、パキスタン、トルコ、トルキスタンに分布する。東アジアのインドネシア、マレーシア等を除くイスラーム圏の大半の地域である。
 共同体家族は、子供が遺産相続において平等に扱われ、成人・結婚後も子供たちが親の家に住み続ける型である。アラブ社会の遺産相続制度は、男子の兄弟のみを平等とし、女子を排除する。それゆえ、女性の地位は低い。女子は家内に閉じこめられ、永遠の未成年者として扱われる。欧米の価値観に立てば、女性の権利が制限されるアラブの文化、ひいてはイスラーム教の文化は、人権侵害となる。逆にイスラーム教徒から見れば、女性が顔や肌を露出し、性的に自由な行動をする欧米の文化は不道徳となる。アラブの族内婚は、伯叔父・伯叔母の家に嫁ぐために、親しく大事にされ、族外婚の女子が体験するような苦労がない。アラブ社会は、西洋的な価値観に立てば、女性が抑圧されているとみられるが、親族内で女子が守られるという一面もある。それゆえ、文明間においては、こうした家族型による価値観の違いを理解し、そのうえで相違の次元の根底にある共通の次元を見出し、それぞれが人民の自由と権利を拡大していくのでなければならない。
 イスラーム教諸国は女性差別撤廃条約その他の条約を締結はしているが、『クルアーン(コーラン)』やシャリーアを根拠とする多数の留保や宣言を付している。その中には欧米諸国や条約実施機関から条約目的と両立しないという異議や懸念を表明されたものが少なくない。イスラーム教徒は、世界人口の4分の1近くを占める。世界の中でごく一部の国々が異論を唱えているのではない。欧米で発達した人権思想は、イスラーム文明ではそのままでは受け入れられない。それは文明、宗教、価値観の違いに根差すものである。
 イスラーム文明は、イスラーム教を宗教的な中核とする文明であり、人間やその権利についてイスラーム教の教義に基づいて、またその枠内で規定する。それゆえ、西洋文明に発する人権についても、これまでのように、イスラーム文明という単位で対応が行われていくだろう。この過程において、トッドが指摘する識字率の向上と出生率の低下による意識と価値観の変化が、イスラーム文明における人権の概念に大きな影響を与えていくに違いない。そして、この意識と価値観の変化が、イスラーム教という教義の変更を許さない宗教の非常に硬直した規範体系をも変化させる段階になった時、トッドのいう脱イスラーム化が、イスラーム文明の全体において進行していくだろう。

 次回に続く。

イスラーム47~近代化から脱イスラーム化へ

2016-04-26 09:26:04 | イスラーム
4.将来

●トッドの将来予測~近代化から脱イスラーム化へ

 サミュエル・ハンチントンは、1996年(平成8年)に出版した『文明の衝突』で、冷戦終結後の世界では文明のアイデンティティが人々の結束や分裂、対立のパターンを形成しつつあると説き、特に西洋文明とイスラーム文明の衝突の可能性とその回避の方法を論じた。これに対し、エマニュエル・トッドは、西洋文明とイスラーム文明の将来は、文明の「衝突」ではなく「接近(ランデブー)」となると説いている。トッドの説の根拠は、人口学・家族人類学の理論に基づく。イスラームの宗教と文明の将来を考える時、トッドの説は最も注目すべきものの一つである。
 先に書いたように、トッドは、近代化の主な指標である識字化と出生調節の普及という二つの要素から、イスラーム教諸国では近代化が進みつつあるととらえる。
 トッドによると、識字率が50%を超えると、その社会は近代的社会への移行期に入り、「移行期の危機」を経験する。男性の識字率が50%を超えると、政治的変動が起こる。女性の識字率が50%を超えると、出生調節が普及し、出生率の低下が起こる。イスラーム文明では、1970年代にイラン、2010年代に北アフリカ・中東等の国々が、この50%超えの段階に入った。
 イスラーム教の中心地域であるアラブ諸国では、出生率の低下が伝統的な家族制度を実質的に掘り崩しつつある。また、男性の識字化は父親の権威を低下させ、女性の識字化は、男女間の伝統的関係、夫の妻に対する権威を揺るがしている。識字化によって、父親の権威と夫の権威という二つの権威が失墜しつつある。
 トッドによると、「アラブの春」は、17世紀のイギリス、18世紀のフランス、20世紀のロシアなどで起こった近代化の過程における危機と同じ「移行期の危機」の現象である。イスラーム教原理主義は「移行期の危機」におけるイデオロギーである、とトッドは解釈する。そして、次のように言う。「アラーの名において行なわれるジハード(聖戦)は、移行期の危機を体現しているのである。暴力、宗教的熱狂は、一時的なものにすぎない」と。
 トッドは、イスラーム教諸国は、この人口学的な危機を乗り越えれば、近代化の進行によって、個人の意識やデモクラシーが発達し、やがて安定した社会になると予想する。識字率の向上と出生率の低下で、人口は安定し、政治的・宗教的な過激行動は鎮静化する。そして、イスラーム教諸国は民主化が進む、とトッドは予測している。
 トッドは、2007年(平成19年)に刊行した『文明の接近――「イスラームVS西洋」の虚構』で、次のように言う。「イスラーム圏は現在、人口学的・文化的・心性的革命に突入しているが、その革命こそ、かつて今日の最先端地域の発展を可能にしたものに他ならない。イスラーム圏もそれなりに、世界史の集合点に向かって歩みを続けている」と。
 近代化によって「世界史の集合点」に向かうことが、トッドの言う文明の「接近」である。これに加えて、トッドがイスラーム文明についてもう一つ予測することが、脱イスラーム化である。
 イスラーム教の分布地域は、中東から中央アジア、南アジア、東南アジア、アフリカ等に広がる。各社会の家族型は、地域によって異なる。中東・北アフリカでは、主に共同体家族である。ただし、通婚制度には違いがあり、中心地域のアラブ諸国やイラン、トルコ等は、内婚制共同体家族である。その周縁にある中央アジアは、外婚制共同体家族である。北インドも外婚制共同体家族が多い。東南アジアは、地域的には核家族が多い。最周縁のアフリカ南部には、代表的な型がなく多種の家族型が存在する。
 社会の基礎を成す家族制度の変化は、社会全体に変化をもたらす。トッドは、その変化の方向はデモクラシーの普及だという。識字化はデモクラシーの条件である。識字化によって、イスラーム教諸国もデモクラシーの発達の道をたどっている、とトッドは指摘する。そして、トッドは、その行き着く先にイスラーム教諸国における脱宗教化を大胆に予想するのである。
 トッドは、『文明の接近』の「最も根底的な命題」は、「イスラーム教は、キリスト教と同様に、俗世間の非宗教化と信仰の消滅にまで行き着くことがありうる、というもの」であると言う。
 「あらゆる宗教は公然もしくは暗然の形で、出産奨励的である。何故なら宗教とは人の命に意味を与えるものだからである。識字化と並んで、宗教の動揺と、それに続いた消失が、出生率の低下の条件になったのは、そのためである」。それゆえ、それぞれの宗教の教えの違いにかかわらず、「普遍的法則」が存在するのではないか、とトッドは考えている。そのような考えに立って、トッドは、イスラーム教諸国について、「脱イスラーム化のプロセスもすでに始動している可能性は大いにある。そして人口動態はその痕跡を示しているのである」「やがては脱イスラーム化されたイスラーム圏の可能性が、ほとんど確実なものとして輪郭を現している」と述べている。
 このように、トッドは、イスラーム文明は近代化が進行し、さらに脱イスラーム化するという将来予測を打ち出している。

 次回に続く。

イスラーム46~無差別自爆テロを防ぐための宗教的課題

2016-04-24 08:39:23 | イスラーム
●無差別自爆テロを防ぐための宗教的課題

 一般市民への無差別テロは非人道的行為であり、また自爆テロも多くの宗教や倫理思想では許容される行為ではない。だが、イスラーム教においては、これらが宗教的に正当化される。
 イスラーム教にも、ユダヤ教・キリスト教と同じく最後の審判の思想がある。アッラーのために戦い、ジハード(聖戦)で死んだ者は、最後の審判の時、イスラーム教徒はすべて肉体を持って生き返り、神の審判を受ける。しかし、聖戦で倒れた者は、すぐに生きたまま天国に入ることができる、と考えられている。これなら、戦闘に当たり、現世の死など恐れるに足らないだろう。こうした他の多くの宗教や倫理思想にはみられない来世観、死生観、そして戦争観が、イスラーム教を特徴づける。そして、それが絶対唯一神の教えとして若者の心をとらえる時、ごく普通の若者が、来世の至福を信じて、自爆による異教徒の無差別殺人を決行することになると考えられる。
 イスラーム教過激派は、自分たちの行動をジハードだと主張し、異教徒の無差別殺戮を行う。その際の特徴的な戦闘行動が自爆テロである。自爆テロは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件の直前までは行われていなかった。この9・11は、米国政府によって、アルカーイダの犯行とされている。自爆テロが一般化したのは、レバノンのシーア派過激組織ヒズブッラによる。ヒズブッラは、圧倒的なイスラエルの軍事力と戦うために、自分の体に爆弾を巻きつけて戦う戦法を考え出した。だが、イスラーム教は自殺を禁じているから、これは自殺ではなくジハードだとして正当化した。これによって、ジハードと自爆テロ結び付いた。
 スンナ派過激組織アルカーイダから「イラクのアルカーイダ」が派生し、「イラクとレパントのイスラーム国」(ISIL)を自称するようになった。ISILは、アルカーイダ以上に過激な組織であり、2014年(平成26年)に最高指導者のアブバクル・バクダーティがカリフ制国家を宣言し、イラクやシリアで急速に支配領域を広げた。カリフは、ムハンマドの死後、「神の使徒の代理」とされてきた役職である。オスマン帝国の崩壊に伴い、カリフ制は廃止されていた。だが、ISILはカリフ制国家を復興することで、西洋近代文明に発する国際秩序を拒否し、またイスラーム教の既存の体制に挑戦している。
 宗教に基盤を持つ対立・抗争は、宗教が主な原因だから、その解決には、宗教者が取り組まなければならない。特に、各宗教宗派の内部における問題は、その宗教宗派が解決に努力しなければならない。だが、イスラーム教の宗教的指導者は、スンナ派・シーア派の対立の融和にも、スンナ派内部の正統派と過激派の争いの解決にも、ほとんど無力のように見える。これには、イスラーム教の教義の特徴が関係している。イスラーム教は、ムハンマドを最後の預言者としており、『クルアーン』は神の言葉そのものとされるので、教義の変更が許されない。イスラーム教においては、法は啓典の中に発見すべきものとされ、新しい立法という考えは出にくくなった。シャリーア(イスラーム法)は、教義の枠内での細目の整備を積み重ねてきたものである。黒田壽郎氏は、著書『イスラームの心』に次のように書いている。「8世紀から9世紀にかけて登場した主要法学派の内容が、千年を経過したのちのにもさしたる発展を示していない点に彼らの退嬰性は歴然と浮き彫りにされている」「訓詁の学を煩瑣にするばかりで、創造的活気を失っている」と。特にスンナ派では、ウラマー(法学者)と呼ばれる宗教指導者たちは政治権力に従属的で、政治を正す力を発揮できない傾向がある。ウラマーの多くは、現状の体制と権勢の維持のために改革を望まぬ支配者に迎合する傾向があると指摘される。
 池内恵氏は、2015年(平成27年)11月のパリ同時多発テロ事件後、次のように書いた。「スンナ派では構造的に宗教者の政治・経済的基盤が弱いことで政治支配者への従属は必然的となり、また、宗教解釈権において『イマーム』のような超越的存在がないことにより、教義の根底での変更を行う権限を持つ人間が現れない(過去の人物に託して変えることもできない)。そもそもそのような『法的安定性』こそがスンナ派の強みである。『イスラーム国』はスンナ派の構造的な柔構造から現れてくる。『イスラーム国』の根底を覆そうとするとスンナ派の宗教思想・権威・権力の構造そのものが揺らぎかねないという危機感を多くが抱くだろう」と。
 スンナ派における主流派・穏健派の法学者と過激思想の指導者が論争した場合、前者が教義の解釈において後者を論破できないという指摘がある。そうだとすれば、イスラーム文明において、ISILが自称する「イスラーム国」が各地で拡大していくことを防ぐことは困難だろう。
 私は、イスラーム教におけるジハード(聖戦)という教えの特殊性、及びその極端な解釈に問題があると考える。ジハードの項目に書いたが、『クルアーン』は、しばしば聖戦について言及している。アッラーは、信徒の勇気を鼓舞し、激しい表現で決然と「戦え」「殺せ」と命じる。また、アッラーは、聖戦で死ぬ者を救うことを約束する。聖戦で殉教した者は、最後の審判を待たずに天国に直行すると信じられている。
 こうした教えを極端に解釈すると、自爆テロによる無差別大量殺人の決行ということになるだろう。だが、『クルアーン』は、次のように戒めてもいる。「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない」。「だがかれらが(戦いを)止めたならば、本当にアッラーは、寛容にして慈悲深くあられる」。「迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。だがもしかれらが(戦いを)止めたならば、悪を行う者以外に対し、敵意を持つべきではない」(第2章第190節~193節)。
 またシャリーアの第一法源であり、ムハンマドの言行・事跡を記録した『ハディース』には、ムハンマドが「敵国のいかなる老人、子供及び婦人を殺してはならぬ」「僧院に在る僧侶、礼拝の場に座る人々を殺してはならぬ」と信者に命じたと記録されている。過去の歴史においては、イスラーム教は、迫害を止めた者や戦争で降伏した者には寛大であり、支配地域の諸民族に改宗を強制することもなかった。むしろ、キリスト教の方が、十字軍戦争やレコンキスタでイスラーム教徒を残虐に大量殺戮したり、北米や南米で先住民を大量虐殺したりしている。
 今後、イスラーム教の内部から根本的な改革の動きが出てくるか、あるいはイスラーム教を発展的な解消に進めるような新たな宗教が出現するかでないと、イスラーム教諸国も人類全体も、平和と安定を得られないことになるだろう。これは、ユダヤ教、キリスト教を含むセム系一神教全体に共通する課題でもある。

●キリスト教側の動き

 ISIL等のイスラーム教過激組織のテロによって、世界各地で無辜の人々が多数犠牲になっている。犠牲者には、キリスト教徒が多くいる。特に欧米でのテロでは、そうである。
 こうしたなか、2016年2月12日、ローマ法王フランシスコと、東方正教会の最大勢力であるロシア正教会のキリル総主教が、キューバの首都ハバナの国際空港で会談した。両教会のトップが会談するのは史上初めてという。
 キリスト教は、1054年に教義の相違等から東西に分裂した。13世紀にカトリック教会が派遣した十字軍が東方正教会の中心地コンスタンチノープルを攻略したことで、溝は深まった。20世紀に共産主義が勢力を広げたソ連・東欧では、ロシア正教は弾圧された。共産主義政権の崩壊後、東欧をはじめ旧ソ連圏でカトリックが影響力を拡大した。特にウクライナでの布教をめぐってロシア正教会側が強く反発した。
 しかし、今回、東西のキリスト教会は、本格和解に向けて歴史的な一歩を踏み出した。そのきっかけは、イスラーム教過激組織のテロによってキリスト教徒が犠牲になっていることである。2月12日に署名された共同宣言には、テロリズムや中東でのキリスト教徒迫害に対処する必要性が盛られている。
 総主教は署名後、「2つの教会は今日、世界のキリスト教徒保護のため積極的に協力できるようになった」と述べて対話を継続する姿勢を見せ、法王も「兄弟のように話した」と語ったと報じられる。
 東西の教会の教義に対する見解の相違やわだかまりは依然大きい。今回の会談でも、ウクライナでの布教をめぐる対立を棚上げし、イスラム過激派によるキリスト教徒迫害といった両教会の共通課題への対応が優先された。
 なお、ロシア正教側には、シリアやウクライナの問題で孤立を深めたプーチン政権に、バチカンとの接近を通じて欧米の態度軟化を引き出したい思惑があるという見方がある。
 カトリック教会の法王とロシア正教会の総主教が共同宣言を出すというこのキリスト教側の動きは、キリスト教徒の保護という限定されたものであり、一面では、イスラーム教とキリスト教の対立を強める方向に進む可能性もある。

 次回に続く。

イスラーム45~イスラーム文明全体の課題

2016-04-22 08:47:47 | イスラーム
●イスラーム文明全体の課題
 
 イスラーム文明は、「アラブの春」によって、大きな地殻変動を起こしつつある。その中から、従来のテロ組織の枠を超え出たISILが台頭し、この地殻変動を非常に深刻なものにしている。
 ISILが急激に勢力を伸長した背景には、イラク、シリアが破綻国家になりつつあるという事情がある。イラクは、民主化の進展を見たアメリカが撤退したら、途端に政情が不安定になり、その隙にISILが伸長した。シリアは、アサド大統領率いる軍事政権とこれに対抗する反政府勢力との内戦が泥沼化し、多数の難民が欧州に押し寄せている。これら両国の政府は自国の統治がまともにできていない。正規軍も事実上なくなっている。そういう状態だから、ISILが拡大するのである。これをなんとかしないとISIL問題は解決に向い得ない。とりわけシリアの内戦を終結させることが、ISILを壊滅させるためには、不可欠である。シリア内戦の経過と現状については、先に書いたとおりである。
 ISIL問題は、もはや欧米やロシア、トルコ等が関与する一大国際問題となっている。だが、この問題は、なによりアラブ諸国の問題である。アラブ諸国が自分たちで地域をしっかり統治すべきなのである。だが、それができていない。周辺のアラブ諸国でISILへの対応のために地上軍を送っている国は一つもない。空爆だけでISILを壊滅させることはできない。「国家」を名乗るテロ集団の拡大を許したアラブ諸国のあり方が変わらねばならない。
 宮家邦彦氏は、次のように述べている。「『イスラム国』問題は長期化し、国際社会は難しい対応を迫られる。『イスラム国』が攻撃を続ける以上、短期的には物理的な外科手術が必要だ。さらに、中期的には欧州・関係各国で内外警備を強化する必要もあるだろう。しかし、それだけでは不十分だ。長期的に『イスラム国』のようなテロ集団を根絶するには、中東アフリカの破綻国家を再建し、まともな中央政府と正規軍を再構築する必要がある。これこそ日本が貢献できる分野だが、主要国の足並みはいまだそろっていない。日本の貢献にも限界があることだけは確かである」と。
 中東で破綻国家の再建が進まず、逆に、無政府状態に近い国や果てしない内戦の続く国が増えると、それによってさらにISILが勢力を伸ばすだろう。特に中東の弱い環とみられるイエメン、ヨルダンで政権が倒れ、国内に混乱が広がると、ISILはそこに付け込んで、勢力を伸ばそうとする。それが奏功すれば、各国にいるISILの傘下組織や同調するグループが過激な行動を広げていくおそれがある。各国にまだら的にISILが支配する地域が広がり、各国政府軍、反政府軍、過激組織等が入り乱れて戦闘する。そうした状況において、過激なイスラーム教徒の一部がイスラエルへのテロ攻撃を活発化するならば、ユダヤ教国対イスラーム教諸国という最大最凶の対立が再び現実になるかもしれない。
 さらに、破綻国家の再建と周辺各国の安定化が進まなければ、中東は今後、核拡散の舞台となるおそれがある。元外交官で作家の佐藤優氏は、ISILが核兵器を持つ可能性があると警告している。かつてオウム真理教は核開発を進めようとしていた形跡がある。イスラーム教過激組織も当然核の保有を考えるだろう。ISILが核兵器を持って脅迫したら、欧米の民主主義国は国民の人命尊重のためにテロリストの要求に従う可能性がある。持ち運び可能な核兵器で自爆テロを決行されたら、多大な犠牲者が出る。イスラーム教の過激派は、自爆テロで自分は欲望全開の天国に直行できると狂信しているから、志願者が出るだろう。
 私は、過激組織は核兵器以上に生物兵器・化学兵器を入手する可能性が高いと思う。核より安価だし、取り扱いも核ほど難しくない。オウム真理教は、1995年(平成7年)に地下鉄サリン事件を起こした。アメリカでは2001年(平成13年)にイスラーム教過激派と思われる者が炭疽菌を使ったテロを行った。イスラーム教徒の犯行とみられる。ISILが生物兵器・化学兵器を使って欧米の大都市で自爆テロを行った場合、犠牲者数は、軽機関銃や体に巻きつける爆弾によるテロ事件の比ではないものとなるだろう。
 人類は自ら生み出した宗教と思想と科学技術によって、地球を修羅場に変え、自壊滅亡の道に陥りかねない危険なところに来ている。イスラームの宗教と文明で指導的な立場にある人々は、そのことを深く認識し、イスラームの宗教と文明の中において、問題の解決に叡智を結集すべきである。

 次回に続く。

イスラーム44~中東複合危機から第3次世界大戦へ?

2016-04-20 09:14:50 | イスラーム
●収束の見えないイラクとアフガニスタン

 今日のイスラーム文明が対立・分裂の様相を色濃くしているのは、2001年(平成13年)9月のアメリカ同時多発テロ事件後、アメリカがアフガニスタンとイラクに対テロ戦争を仕掛け、それが解決に至っていないことに、大きな原因がある。ここでそのイラクとアフガニスタンの現況について触れておきたい。
 先ずイラクについてだが、2016年(平成28年)1月11日、イラクの首都バグダードやその近郊で商業施設などを標的とする自爆テロや爆発が相次いだ。少なくとも51人が死亡、90人以上が負傷した。同日、ISILがシーア派住民らを狙ったとする犯行声明をネット上に発表した。
 この1月の初め、サウディ等のアラブ諸国とイランが断交し、スンナ派とシーア派の宗派対立の激化が懸念される状況となっていた。ISILは、こうした状況をとらえて大規模なテロを起こすことでこの対立を煽り、イラクのアバディー政権への反攻に利用しようとしているとみられる。
 ISILは、シーア派を「異端者」等として敵視している。イラクのスンナ派には、フセイン政権が崩壊して以降、シーア派主導の政権の下で冷遇されているとの不満を持つ者が多い。ISILはそれらを吸収することで勢力を拡大してきた。
 ISILは2014年(平成26年)6月カリフ制国家樹立の宣言後、急速に発展したが、米国等による空爆を受けて劣勢に転じた。とりわけ2015年11月のパリ同時多発テロ事件後、米仏ロ等による空爆が強化され、司令施設・石油関連施設・石油輸送車両等を破壊されている。こうしたなか、アバディー政権は2015年末、ISILが制圧していた西部アンバール県の県都ラマディを奪還した。サウディも参加する米主導の有志連合やイランも、同政権のISIL掃討作戦を支援している。ISILは同県内や拠点である北部モスル周辺などでなおも強い勢力を維持しているが、一時の勢いはなくなっている。
 こうした中で、ISILは先ほどの2016年(平成28年)1月のテロ事件で、首都及びその周辺で大規模な作戦を遂行する能力があることを改めて示した。イラクの命運は、ISIL掃討作戦の成果いかんに多くを負っている。掃討仕切らなければ、テロによる攻撃が様々な形を変えながら続き、イラクを揺さぶり続けるだろう。
 ところで、イラクの事情が複雑なのは、クルド人が人口の約15%を占め、北部に自治政府を持つことである。クルド人は、民族全体で2000万人以上いるとされ、イラク、トルコ、イラン、シリアにまたがって居住し、「国家を持たない世界最大の民族」といわれる。
 イラクでのISIL掃討作戦は、米軍などの有志連合軍が空爆や情報収集、イラク軍への作戦計画支援などを担い、地上戦をイラク政府軍とクルド自治政府(KRG)の民兵組織「ペシュメルガ」が遂行している。ISILに対する戦いにおいて、オバマ大統領は空爆開始時点から地上戦闘部隊を派遣しない方針を繰り返し表明してきたが、いまだかつて空爆だけで、国際テロリスト組織を殲滅できたことはない。有志連合にとって、高い士気を保つKRGの地上部隊は必要不可欠な戦力となっている。
 地上戦で重要な役割を果たすKRGは、イラク軍とISILの戦いの合間を突いて、勢力圏を広げている。KRGは、ISILとの戦いへの貢献をもとに、今後イラクから独立を宣言する機会をうかがっているとみられる。現在のところは自治区からの石油輸出を開始するなど、財政的な自立を大きな目標としているものの、歳入の大部分はイラク中央政府からの予算配分に頼っており、経済的な基盤が弱い。
 だが、条件が整えば、KRGが独立宣言を発する可能性がある。すでにシリアでは2016年3月に「民主連合党」(PYD)が連邦制を宣言する考えを明らかにした。シリアとイラクのクルド人は、共通の敵としてISILと対決する必要性を感じるようになり、その機運はイラン、トルコのクルド人にも広がっているた。今後、KRGがイラクで独立を宣言すれば、各国のクルド人がこれに呼応するだろう。こうした動きがシリア、イラン、トルコのクルド人地域で相乗的に活発化すれば、中東情勢は一段と複雑化するだろう。
 次に、アフガニスタンについて書く。オバマ大統領は、2014年(平成26年)中にアフガニスタンからの米軍の完全撤退を行うと発表した。だが、タリバン側は停戦の意思を示さず、オバマ大統領は撤退を2016年末に延期した。
 ようやく2015年(平成27年)7月に、政府とタリバンによって、和平を目指す初の公式協議が行われた。だが、タリバンの最高指導者オマル師が2年以上前に死亡していたことが暴露され、話し合いは頓挫した。同年12月、首都カブール北方の米空軍基地近くで自爆テロが行われ、米兵6人が死亡し、タリバンが犯行を認めた。その事件により、不安定な情勢を踏まえて、米国は2016年末までの完全撤退を断念した。
 2016年(平成28年)1月初め、アフガニスタン南部ヘルマンド州でアフガン治安部隊を支援していた米軍特殊部隊が攻撃され、米兵1人が死亡した。同州は反政府武装勢力タリバンの活動が活発な地域とされる。またアフガニスタン北部のマザリシャリフにあるインド領事館が武装集団に襲撃され、また首都カブールの空港付近で自動車爆弾による自爆テロが起こった。アフガン和平やインドとパキスタンの関係改善を模索する動きに対して、イスラーム教過激組織が地域の安定化を妨害しようとしてテロ攻勢を強めている模様である。タリバン内の強硬派など、和平に反対する集団の犯行とみられる。
 そうした中、1月11日に、アフガニスタン和平に向けたアフガン、パキスタン、米国、中国による初の4者協議が、パキスタンの首都イスラマバードで行われた。協議では、アフガン政府とタリバンの公式和平協議再開を目指すことが強調された。だが、タリバンは交渉の席に戻る意思を示していない。そのうえ、アフガン政府側には、実在しないのに給料だけが支払われている「幽霊兵士」が4割ほどもいることが明らかになり、治安維持能力の不足を露呈した。自律的に国家を統治できる状態には、ほど遠い。
 アフガニスタンは、和平実現への道筋が見えない状態が続いている。今後、アフガニスタンに、ISILの影響が広がった場合、米国やパキスタン、中国の対応は、一層困難なものとなるだろう。

●中東複合危機から第3次世界大戦に発展するおそれ

 イスラーム文明の現在において、中東の情勢は誠に複雑である。これを大局的に捉える見方を提示している専門家の一人が、山内昌之氏である。
 山内氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』で次のような見方を提示している。山内氏は「中東で進行する第2次冷戦とポストモダン型戦争が複雑に絡む事象」を「中東複合危機」と定義する。
 「シリアの内戦の多重性がイラクに逆流し、バグダード政府(シーア派のアバディー政権)に対する戦争、シリアのアサド政権とイラクのバグダード政府を後援するイラン革命防衛隊との衝突、同じスンナ派のサウディアラビアと、シーア派のイランとの対決など、争いが宗派間と宗派内の対立を複雑に結び付け、それでなくても多重的な内戦に外国を巻き込む多元的な戦争に変質させる構造をつくってしまった」
 こうした状況で「シリア内戦に関与している国々を中心に、世界的規模で第2次冷戦が進行している」と山内氏は見る。
 冷戦とは、もともと第2次世界大戦終了後の米ソ関係を言ったもので、直接超大国同士が砲火を交えはしないが、戦争を思わせるような国際間の厳しい対立・抗争が繰り広げられている状況をいう。米ソ冷戦の終結後、しばらく緊張は緩和したが、2010年代に入って、再び米国と中国、米欧とロシア等の間で、かつての冷戦を想起させるような対立・抗争が生じている。山内氏は、これを第2次冷戦ととらえるわけである。
 そのうえ、山内氏は言う。「シリア戦争には、第2次冷戦とは異質なポストモダン型戦争ともいうべき要素が、別に含まれている」と。
 近代西洋文明が生み出した世界において、戦争とは国家と国家の間で行われる戦争である。これに対し、ポストモダン型戦争とは、国家間の戦争とは異なるタイプの戦争である。2001年の9・11以後の国家とテロ組織の戦いがその典型である。ISILは、前近代的なカリフ制国家を自称することで、テロリストによる疑似国家と既成の国家の戦いという新たな種類のポストモダン型戦争を加えた。山内氏は、「もはや21世紀は、国家が干戈を交える形式だけを戦争と考えられない歴史に入ったのである」という。
 山内氏は、国家がISILのような「テロリズムによって寄生され、軍事力でも圧倒され、国家の骨格が腐朽していく現象が、中東からアフリカにかけてポストモダン的政治現象になっている」「領土や領域、それを画する国境を否定しながら、国家の融解や解体が進展している」という。そして、「第2次冷戦が中東の各地域で熱戦化し、ポストモダン型戦争と結合して第3次世界大戦への道を導く可能性を排除できない」と述べる。
 「トルコとロシアとの間に熱戦が生じるなら、ポストモダン型戦争が結びついて中東複合危機が深まる中で、ますます第3次世界大戦の暗雲が立ち込めるだろう」と山内氏は観測する。またサウディアラビアとイランが正面から事を構えるなら、「肥沃な三日月地帯と湾岸地域を舞台にしたスンナ派対シーア派の宗派戦争に発展するだろう」という。「この最悪のシナリオが実現すれば、中東複合危機は第3次世界大戦への扉を開くことになる。こうなれば米欧やロシアや中国も巻き込まれ、ホルムズ海峡は封鎖されるか、自由航行が大きく制限される。日本はもとより、世界中のエネルギー供給や金融株式市場や景気動向を直撃するショックが到来するのだ」と述べている。
 私はまた別の可能性として、イランが核開発を進めた場合、イスラエルがイランに攻撃を仕掛けることも挙げたい。イランの核開発に最も脅威を感じているのはイスラエルだからである。イランが自前の核を持つ前に叩こうとして、イスラエルが動くかもしれない。
 また、イランが核を持てば、中東では、これに対抗するため、イスラーム教国のパキスタンから核兵器を買って核保有をしようとする国が出るだろう。サウディアラビアは、イランとの断交後、ジュバイル外相が、「イランが核を保有する場合、サウディアラビアも核取得を排除しない」と公言した。その発言の直後にサルマーン国王は中国の習近平国家主席と原子炉建設について協力する合意文書を交わしている。仮にサウディが核を持てば、エジプトは核を自力開発するだろう。こうして核の拡散に歯止めがかからなくなるおそれがある。イスラーム文明の中心地域は、長期的に見て、世界の核開発・核保有の最も深刻な地域になり得る地域である。そして、中東発の第3次世界大戦が、核兵器を主要な兵器として使用するかつてない質の戦争となる可能性が懸念される。

 次回に続く。

イスラーム43~シリア情勢とクルド人・トルコ・EU

2016-04-18 08:56:43 | イスラーム
●シリア情勢に絡むクルド人とトルコの問題

 シリアの和平協議が再開された直後、2016年3月16日、シリア北部を勢力圏とするクルド人組織「民主連合党」(PYD)が、北部地域のクルド勢力などが連合し支配地域での独立性を高める「連邦制」を一方的に宣言する考えを明らかにした。
 クルド勢力は、ジュネーブで再開されたシリアの和平協議に参加資格を与えられていない。和平協議が本格化していない中で、クルド勢力が支配圏確立に向けた動きを強めることは、協議の行方に影響を及ぼす可能性がある。
 また、PYDの連邦制宣言でクルド勢力が独立性を高め、シリアが連邦化に向かう事態となれば、トルコ国内のクルド人を刺激する可能性がある。トルコ政府がPYDを擁護する勢力に強く反発するのは間違いない。
 そのPYDを擁護する勢力の筆頭が米国である。米国は、ISILの掃討に向け、PYDを支援している。PYDは、トルコの非合法組織「クルド労働者党」(PKK)の実質的な傘下にある。トルコ政府はPKKと敵対しており、その傘下のPYDが強大化することを警戒している。トルコにすれば、米国がシリアのPYDを支援することは、自国内のPKKを手助けしていることと同じである。米国は、PKKをテロ組織に指定しているが、PYDをテロ組織とはみなしていない。ここにトルコとの認識の違いがある。米国がトルコの反発を承知の上でPYDを支援するのは、クルド勢力が対ISILで地上戦を担う貴重な存在だからである。だが、トルコとしては、米国のクルド支援を看過できない。エルドアン大統領は、2016年2月10日、米国のクルド支援策が「血の海を作り出す」と警告し、米国に対し、「われわれの側にいるのか、それともテロリスト側にいるのか」と怒りを表した。
 クルド人は、ロシアのシリアへの軍事介入後、米国だけでなくロシアの支援も受けている。そして、ISILとだけでなく、ロシアが空爆を加えている反体制派とも戦ってきた。そのため、トルコのクルド人への警戒は、より一層高まっている。
 トルコは、「アラブの春」以降、政情が不安定になっている。エルドアン大統領を事実上の指導者とするイスラーム系与党、公正発展党(AKP)は、2015年6月の総選挙で過半数割れに追い込まれた。エルドアンは、PKKやISILへの強硬姿勢を打ち出して国民の支持を回復させ、AKPは同年11月の出直し総選挙で絶対多数を獲得し、権力基盤を強化した。
 だが、PKKやISILへの強行姿勢は、これらの組織の反撃を強めることになっている。2015年10月、首都アンカラで大規模テロが起こり、一般市民や観光客らが100人以上死亡した。トルコ政府は、ISILによる犯行とみている。2016年1月には最大都市イスタンブールで、ISILのメンバーによると見られる自爆テロが発生し、観光客ら13人が死亡した。2月18日にはまたアンカラで爆弾テロが起こり、28人が死亡した。トルコのダウトオール首相はPYDとPKKによる犯行と断定した。3月13日にもアンカラで自爆テロが起こり、PKKの分派が犯行声明を出した。3月19日にはイスタンブールでまた自爆テロが起こり、少なくとも5人以上が死亡した。ISILの犯行とみられる。
 こうしたテロの頻発は、エルドアン政権がPKKやISILとの対決にかじを切った結果といえる。政権はクルド組織とISILとの「二正面作戦」を展開する形となっている。だが、国境をまたいで活動する両組織の根絶は困難で、政権の苦戦が続く模様である。
 クルド人の動きやトルコの事情は、シリア問題に影響をもたらす多くの要素の一部に過ぎない。シリアを最も熱い焦点として、複雑さを増す中東の情勢は、イスラーム文明の今後を大きく左右する重大な問題となっている。

●シリアからの難民・移民とトルコ・EUの関係

 ところで、トルコは、シリアと南東で隣接しており、シリアからの難民・移民を最も多く受け入れている国である。また、トルコはシリアの難民・移民がヨーロッパへ流入する最大の通路ともなっている。
 2016年3月18日、欧州連合(EU)とトルコは、難民・移民の流入問題をめぐる首脳会談を開き、トルコから密航した難民・移民らのトルコへの送還など新たな措置で合意した。
 EUは従来、トルコ・ギリシャ間の国境管理強化で流入を抑え、密航でも難民はギリシャで手続きを行った上で加盟国で受け入れを分担する対策を描いた。だが、実際には機能せず、EUは危機感を強めていた。
 これに対し、今回の措置では密入国者をトルコに原則送還し、シリア難民については送還者と同数を同国内の難民キャンプなどから受け入れる。不正規のルートを遮断し、受け入れを正規ルートのみに制限して密航抑止を図ることを狙いとしている。EUは、トルコから引き取る難民を当面7万2千人に限定する。
 こうしてEUは従来の難民・移民の受け入れを容認する姿勢から、難民・移民の管理・制限に大きくかじを切った。この方向転換が無秩序な流入に歯止めをかける転換点になると期待されている。
 だが、EUは2015年に、ギリシャやイタリアに入った難民ら計16万人の受け入れを加盟国で分担する計画を決めたが、実行されたのはまだ約800人に過ぎない。東欧などが分担に強く反対した経緯もあり、トルコからの受け入れをどう加盟国間で負担するかが課題となっている。法的な問題にも課題があり、危機収束の「決め手」となるかどうかは不透明な状態である。
 トルコ側は、EUに利益を与えることで、EUへの要求を強めている。トルコは、EUから難民対策への資金支援を総額60億ユーロ(約7500億円)に倍増するという条件を引き出した。また、EUへの加盟問題で、EUにトルコの受け入れを積極的に求める材料としている。
 トルコは、イスラーム文明では、最も西洋化・近代化が進んでいる国である。西洋文明との関係では、NATOには入っているが、EUには加盟を認められていない。EUは東方の安全保障上、トルコのNATO加盟は必要としているものの、キリスト教国とは宗教文化の違うトルコをEUに受け入れていない。
 EUはトルコの加盟申請を検討しているが、もしトルコがEUに入った場合、シリア、アフガニスタン、リビア等だけでなく、トルコからも独仏等に移民が行くだろう。EUは人口の数で投票権が決まる。トルコが入るとやがて最大人口国のドイツを抜くことになり、票数に逆転が生じる。それゆえ、EU側にトルコの参加を本当に認める意思はなく、一種のリップサ―ビスとみられる。西欧にとって、トルコは冷戦期には共産主義の防波堤だった。今度は難民の防波堤として利用しようとしているのだろう。
 また、トルコの南方にはイラクがあり、シリアがある。そこではISILが勢力を広げており、トルコやその周辺諸国にはクルド人が居住する。EUがもしトルコの加盟を許可すれば、中東のイスラーム教の宗派や国家の対立・抗争、アラブ民族と他民族の対立・抗争を、ヨーロッパ大陸に呼び込むことになるだろう。

 次回に続く。

イスラーム42~シリア内戦を終息させる取り組み

2016-04-15 09:37:35 | イスラーム
●シリア内戦を終息させる取り組み

 イスラーム文明の現在において、最も深刻なのが、シリア問題であることは間違いない。
 シリアでは内戦発生後、2016年3月で、丸5年となった。この間、27万人以上が死亡し、400万人以上が国外へ脱出したほか、国内避難民は760万人を超すとみられる。
 アサド政権に対抗する反体制派は、内戦当初から、シリア北部や首都ダマスカス周辺で支配地域を拡大し、トルコやサウディアラビアなどに加えて米欧の支持も得て、一時は首都をうかがう勢いもみせた。しかし、2013年秋、政府軍の化学兵器使用疑惑を受けて武力行使を示唆していた米国が空爆を回避した。それによって、潮目が変わった。政権側は、米国が本格介入をしないと見て生き残りへの自信を深めた。
 内戦は、アサド政権を支えるロシアやイランと、反体制派を支援するサウディアラビアやトルコとの代理戦争という構図を示している。弱体化した政府軍に多数の外国人部隊が加わり、それをイラン人将校が指揮・監督している。さらに2015年(平成27年)9月末、ロシアが軍事介入し、アサド政権への影響力を強めた。アサド政権はロシア=イラン同盟によって支えられており、ロシアとイランがシリア問題の主導権を握っている。
 内戦の混乱に乗じる形でイスラーム教スンナ派過激組織ISILが台頭したことも、アサド政権には追い風となった。政権が倒れた場合、シリアが過激派の温床となるとの懸念によって、米欧諸国は政権への圧力に抑制的になったからである。
 2015年11月中旬、米欧露やアラブ諸国等が外相級協議で、アサド政権と反体制派の交渉を同年内に開始し、18カ月以内に民主的な選挙を実施するなどの行程表で合意した。アサド政権の扱いなど主要な対立点は残っているが、内戦への対応が遅れればISILを利するだけであると見て、和平が急がれた。
 翌2016年(平成28年)1月29日、アサド政権と反体制派代表団の対話による和平協議がジュネーブでスタートした。反政府勢力の主要代表組織「最高交渉委員会」(HNC)側は、政権側が一般市民も殺害しているとして批判し、政府軍やロシア軍の空爆や包囲の停止を要求した。こうした人道問題が協議されなければ、協議から撤収する可能性を示唆した。だが、2月3日ロシア軍の空爆支援を受けた政府軍が進撃し、反政府勢力の補給ルートが絶たれ、反体制派は反発を強めた。対話を仲介している国連のデミストゥラ特使は、協議を一時中断せざるを得なかった。
 2月11日米国やロシアなどシリア内戦の関係国は、和平協議の進展を図るため、多国間外相協議を開催し、アサド政権と反体制派の戦闘停止を1週間以内に目指すことで合意した。だが、反体制派を「テロ組織」とするアサド政権は、和平協議が再開されても「テロとの戦いをやめることはない」と述べ、完全な停戦には応じない姿勢をあらためて表明した。
 この間、和平協議の開始直後の1月30日、トルコ政府は、ロシア軍機が領空を侵犯したとして、ロシア側に「強い抗議と非難」の意を伝えた。二度目の領空侵犯問題で、両国は、さらに態度を硬化させた。また、ロシアはアサド政権、トルコは反体制派を支援しているので、両国が対立を深めることは和平協議の進展に濃い影を落としている。
 米国とロシアの関係も緊張を強めた。2月13日ケリー米国務長官は、ミュンヘン安全保障会議で演説し、アサド政権の支援のためにロシアが実施している空爆について、「大半は正統な反体制派を標的にしている」と述べ、民間人も犠牲になっているとロシアを批判した。これに対し、ロシアのメドベージェフ首相が応酬し、ウクライナ危機でNATOが東欧の抑止力を強化していることを受け、「われわれは新冷戦に陥った」と欧米を逆に批判した。
 こうしたなか、2月21日シリアの首都ダマスカスや中部ホムスで自爆テロや自動車爆弾テロが相次ぎ、180人以上が死亡した。ISILが犯行声明を出した。アサド政権を挑発し、内戦をさらに複雑化させる狙いがあるのだろう。
 ISILの暗躍を赦すことは、米露双方にとってマイナスである。米露は強い緊張関係の中ではあるが、シリア内戦の停戦を実現するために協力し、2月27日、米露の主導による一時停戦合意が発効した。
 アサド政権は、できるだけ有利な状況に持っていったところで、和平協議に臨もうと考えて、反体制派への攻撃を続けていたのだろう。内戦発生後で最も優勢となった状態で、アサド政権は3月7日に参加を表明した。一方、反体制派の「最高交渉委員会」(HNC)は、政権やロシアのペースで和平協議が進むことを警戒していたが、11日に協議への参加を決めた。
 和平協議は3月14日にジュネーブで再開された。アサド大統領の処遇などをめぐる両当事者の立場は大きな隔たりがあり、協議は難航することが予想される。
 最も注目されるのは、ロシアの態度である。プーチン政権はアサド政権を支援し、同政権をできるだけ有利な立場で和平交渉に参加させるために、力を入れてきた。それが相当の成果を上げたものと見られる。
 和平協議の再開に当たり、プーチン大統領は、シリアから主要航空部隊を撤収させることを決めた。この時点で和平交渉に重心を移すことが、シリア問題での影響力を保持し、さらに国際的孤立から脱する上で得策だと判断したものと見られる。
 こうしたロシアの思惑通り事が運ぶかどうかは、様々な勢力の絡み合いがどう展開するかによるだろう。

 次回に続く。