●インド文明との関係
第2次世界大戦後、インド文明とイスラーム文明の間で緊張が高まったことを、先に書いた。
インドとパキスタンは、分離独立後、カシミールの帰属をめぐり、3次に渡る印パ戦争を行っており、1990年(平成2年)以降、インドのジャンム・カシミール州では、州人口の90%以上を占めるイスラーム教徒が分離独立運動を起こし、反印闘争を展開している。
2001年(平成13年)12月には、カシミール地方のイスラーム教過激組織によるとされるインド国会議事堂襲撃事件が起こった。2008年11月には、インド西部ムンバイで同時テロ事件が起こり、約170人が死亡した。インド側はパキスタンのイスラーム教過激派の関与を指摘している。2014年10月には、カシミール地方で両国軍が砲撃、銃撃を応酬し、両国の住民ら20人以上が死亡した。
こうした中で印パ間の対話が進められている。2014年(平成26年)5月モディ首相の就任宣誓式に、パキスタンのシャリフ首相が史上初めて出席した。首脳レベルでの対話を続けた印パ両国は、2015年12月包括的対話の再開で合意した。しかし、カシミール地方のインド支配地域のインドからの分離を目指すイスラーム教過激組織は、インドに有利に引かれた同地方の実効支配線が、印パ関係改善によって固定化されることを妨害するテロを繰り返している。インドは、パキスタン情報機関が過激組織の背後にいると非難しており、包括的対話が順調に進むかどうかが危ぶまれている。ここでも国家間の論理とは違う価値観で行動する過激組織の行動が事態を複雑にしている。
インドにおけるISILの地域指導者は、ISILのインターネット上の英字機関誌『ダービク』で、カシミール地方に「領土」を拡大すると主張しており、インドでもISILの脅威が強まっている。
今後、多神教のインドと一神教のパキスタンが協調・融和できるかどうかは、両国を含む多神教文明群と一神教文明群が協調・融和できるかどうかにも関わっている。この点は、イスラーム文明とインド文明が西洋文明・シナ文明等とともに交差・混在している東南アジアにも言えることである。
先に書いたように、東南アジアではイスラーム教が域内最大の宗教勢力であり、東南アジア的なイスラーム教は穏和性・多様性・寛容性を特徴とする。東南アジア的なイスラーム教がその特徴を発揮すれば、東南アジア共同体の発展に貢献できるとともに、イスラーム文明全体に変化の方向を示すものとなるかもしれない。
●アフリカ文明との関係
ハンチントンは、1990年代に世界の主要文明の一つとなる可能性のあるものとして、サハラ以南を地域とするアフリカ文明を挙げた。その後、アフリカ文明は発展を続けており、現在の2010年代において、私は主要文明の一つに数える。
アフリカ大陸の北部にはイスラーム文明が、南部にはアフリカ文明が広がっている。北緯10度線を境に、大きく二つに分かれる。イスラーム文明とアフリカ文明の関係は、第2次世界大戦後に欧米の植民地か独立したアジア・アフリカ諸民族のつながりを基礎とする。
アフリカ文明には、中核国家が存在しない。唯一地域大国と言えるのは、南アフリカ共和国である。以前はブラジル、ロシア、インド、中国の新興大国4国をBRICsと呼んだが、2011年(平成23年)に南アフリカを加えて、BRICSとSを大文字で表すようになった。南アフリカは、アパルトヘイトを止めて民主化を進めてから、アフリカ最大の経済大国として経済発展を続けている。
先進国によるG8に対して新興国11か国を含むG20が、世界的な経済政策の調整の場として重要性を増してきているが、南アフリカはG20のメンバーにもなっている。これに比べ、イスラーム文明にはBRICSに加えられる国家はまだ存在しない。G20は、サウディアラビアとトルコがメンバーになっている。
アフリカ文明で、最大の宗教はキリスト教である。西欧の旧宗主国イギリス、フランス、オランダ、ベルギー等の影響によるものである。キリスト教に次ぐ第二の宗教は、諸部族・諸民族のマナイズム・アニミズム・シャーマニズム等のいわゆる原始宗教である。キリスト教徒が多い地域でも、これらが混在・並存している。第三の宗教は、ヒンズー教である。キリスト教以外のほとんどは、多神教である。それゆえ、イスラーム文明とアフリカ文明が協調・融和できるかどうかは、まずイスラーム教とキリスト教の関係の問題であり、またこれら二つの一神教がアフリカ土着及びインド由来の多神教と協調・融和できるかどうかの問題である。このことは、アフリカ大陸全体の将来に関わる事柄だろう。
ここで注目したいのが、アフリカにおける人権の概念の受容と変容である。世界人権宣言のもと、国際人権規約とは別に各地域で地域的な人権条約が各地域で作られており、フリカでもアフリカ人権憲章が作られた。バンジュール憲章とも呼ばれる。1981年(昭和56年)に採択され、1986年(昭和61年)に発効した。現在の批准国は54カ国であり、アフリカ連合の全ての加盟国が批准している。アフリカ連合には、モロッコを除くアフリカの全ての独立国家が加盟している。イスラーム教諸国やイスラーム教徒の多い国々も皆参加している。それゆえ、アフリカ憲章は、イスラーム文明の諸国家とアフリカ文明の諸国家がともに参加している人権憲章である。
アフリカ憲章は、西洋文明の価値観に基づく欧州人権条約や、中南米諸国による米州人権条約とは、多くの点で異なっている。第1に、前文に植民地主義、新植民地主義、アパルトヘイト、シオニズムの廃絶が謳われている。第2に、権利のみならず、義務をも宣言している。第3に、個人の権利に加えて人民の権利として民族自決の権利、民族の発展を規定している。第4に、自由権としての市民的及び政治的権利に加えて、社会権としての経済的、社会的及び文化的権利を多く保障している。第5に、条約で保障する権利の行使に対して締約国が非常に広範な制限や制約を課すことができる規定となっている。第6に、環境権が盛り込まれている。
こうした独自性を持つアフリカ憲章には、イスラームの宗教と文明の価値観が一定程度反映されている。アフリカ大陸においてイスラーム文明とアフリカ文明が協調・融和するために、宗教・文化・家族型等の違いを越えて価値観の共有を図ることのできる人権の発達への取り組みが有効だろうと私は考える。
●ラテン・アメリカ文明との関係
世界の主要文明の中で、イスラーム文明のかかわりが最も薄いのは、ラテン・アメリカ文明である。
ラテン・アメリカ文明は、旧宗主国スペイン・ポルトガル等の影響で宗教的にはカトリック教徒が90%以上を占める。21世紀に入って、伝統的な土着の宗教は、急速に小数化しつつある。それゆえ、イスラーム部名との文明間の関係は、基本的にはイスラーム教とキリスト教の関係になる。この点では、アフリカ文明との関係にある程度似ている。
ラテン・アメリカでは、フランスの1830年の七月革命と48年二月革命をきっかけに、スペイン・ポルトガルからの独立の気運が高まり、1810年代から20年代にかけて、18の独立国家が誕生した。この点が、20世紀後半に民族独立を獲得した国の多いアジア・アフリカと事情が異なる。イスラーム文明とラテン・アメリカ文明の関係は、発展途上国の間の関係となっている。
ラテン・アメリカ文明にも、中核国家がない。地域大国のブラジルはBRICSの一角をなす。ブラジルが中国・インド・ロシア・南アフリカと並んで、急速に成長しつつあることは、地域全体の成長可能性を表すものとして注目される。またラテン・アメリカ文明から、G20には、ブラジルの他にメキシコ、アルゼンチンが参加している。
ラテン・アメリカは「米国の裏庭」といわれるように、ラテン・アメリカ文明には米国の強い影響下にある国が多い。その一方、米国の支配に反発する反米的な国家も少なくない。ベネズエラ、ボリビア、キューバ、ニカラグア、エクアドル等である。こうした国々には左派または中道左派政権が多い。イスラーム文明には、イランを代表とする反米的な国家があり、ラテン・アメリカ文明の米政権との間に一定のつながりがある。こうした国々が連携を強め、文明間の反米勢力が増大し、さらにそれが中国と結託する時、米中の世界的な覇権争いに関与するものとなるだろう。
●日本文明との関係
イスラーム文明と日本文明との関係については、次の項目である「結びに」でイスラーム文明と人類の将来について述べる際に書く。
次回に続く。
第2次世界大戦後、インド文明とイスラーム文明の間で緊張が高まったことを、先に書いた。
インドとパキスタンは、分離独立後、カシミールの帰属をめぐり、3次に渡る印パ戦争を行っており、1990年(平成2年)以降、インドのジャンム・カシミール州では、州人口の90%以上を占めるイスラーム教徒が分離独立運動を起こし、反印闘争を展開している。
2001年(平成13年)12月には、カシミール地方のイスラーム教過激組織によるとされるインド国会議事堂襲撃事件が起こった。2008年11月には、インド西部ムンバイで同時テロ事件が起こり、約170人が死亡した。インド側はパキスタンのイスラーム教過激派の関与を指摘している。2014年10月には、カシミール地方で両国軍が砲撃、銃撃を応酬し、両国の住民ら20人以上が死亡した。
こうした中で印パ間の対話が進められている。2014年(平成26年)5月モディ首相の就任宣誓式に、パキスタンのシャリフ首相が史上初めて出席した。首脳レベルでの対話を続けた印パ両国は、2015年12月包括的対話の再開で合意した。しかし、カシミール地方のインド支配地域のインドからの分離を目指すイスラーム教過激組織は、インドに有利に引かれた同地方の実効支配線が、印パ関係改善によって固定化されることを妨害するテロを繰り返している。インドは、パキスタン情報機関が過激組織の背後にいると非難しており、包括的対話が順調に進むかどうかが危ぶまれている。ここでも国家間の論理とは違う価値観で行動する過激組織の行動が事態を複雑にしている。
インドにおけるISILの地域指導者は、ISILのインターネット上の英字機関誌『ダービク』で、カシミール地方に「領土」を拡大すると主張しており、インドでもISILの脅威が強まっている。
今後、多神教のインドと一神教のパキスタンが協調・融和できるかどうかは、両国を含む多神教文明群と一神教文明群が協調・融和できるかどうかにも関わっている。この点は、イスラーム文明とインド文明が西洋文明・シナ文明等とともに交差・混在している東南アジアにも言えることである。
先に書いたように、東南アジアではイスラーム教が域内最大の宗教勢力であり、東南アジア的なイスラーム教は穏和性・多様性・寛容性を特徴とする。東南アジア的なイスラーム教がその特徴を発揮すれば、東南アジア共同体の発展に貢献できるとともに、イスラーム文明全体に変化の方向を示すものとなるかもしれない。
●アフリカ文明との関係
ハンチントンは、1990年代に世界の主要文明の一つとなる可能性のあるものとして、サハラ以南を地域とするアフリカ文明を挙げた。その後、アフリカ文明は発展を続けており、現在の2010年代において、私は主要文明の一つに数える。
アフリカ大陸の北部にはイスラーム文明が、南部にはアフリカ文明が広がっている。北緯10度線を境に、大きく二つに分かれる。イスラーム文明とアフリカ文明の関係は、第2次世界大戦後に欧米の植民地か独立したアジア・アフリカ諸民族のつながりを基礎とする。
アフリカ文明には、中核国家が存在しない。唯一地域大国と言えるのは、南アフリカ共和国である。以前はブラジル、ロシア、インド、中国の新興大国4国をBRICsと呼んだが、2011年(平成23年)に南アフリカを加えて、BRICSとSを大文字で表すようになった。南アフリカは、アパルトヘイトを止めて民主化を進めてから、アフリカ最大の経済大国として経済発展を続けている。
先進国によるG8に対して新興国11か国を含むG20が、世界的な経済政策の調整の場として重要性を増してきているが、南アフリカはG20のメンバーにもなっている。これに比べ、イスラーム文明にはBRICSに加えられる国家はまだ存在しない。G20は、サウディアラビアとトルコがメンバーになっている。
アフリカ文明で、最大の宗教はキリスト教である。西欧の旧宗主国イギリス、フランス、オランダ、ベルギー等の影響によるものである。キリスト教に次ぐ第二の宗教は、諸部族・諸民族のマナイズム・アニミズム・シャーマニズム等のいわゆる原始宗教である。キリスト教徒が多い地域でも、これらが混在・並存している。第三の宗教は、ヒンズー教である。キリスト教以外のほとんどは、多神教である。それゆえ、イスラーム文明とアフリカ文明が協調・融和できるかどうかは、まずイスラーム教とキリスト教の関係の問題であり、またこれら二つの一神教がアフリカ土着及びインド由来の多神教と協調・融和できるかどうかの問題である。このことは、アフリカ大陸全体の将来に関わる事柄だろう。
ここで注目したいのが、アフリカにおける人権の概念の受容と変容である。世界人権宣言のもと、国際人権規約とは別に各地域で地域的な人権条約が各地域で作られており、フリカでもアフリカ人権憲章が作られた。バンジュール憲章とも呼ばれる。1981年(昭和56年)に採択され、1986年(昭和61年)に発効した。現在の批准国は54カ国であり、アフリカ連合の全ての加盟国が批准している。アフリカ連合には、モロッコを除くアフリカの全ての独立国家が加盟している。イスラーム教諸国やイスラーム教徒の多い国々も皆参加している。それゆえ、アフリカ憲章は、イスラーム文明の諸国家とアフリカ文明の諸国家がともに参加している人権憲章である。
アフリカ憲章は、西洋文明の価値観に基づく欧州人権条約や、中南米諸国による米州人権条約とは、多くの点で異なっている。第1に、前文に植民地主義、新植民地主義、アパルトヘイト、シオニズムの廃絶が謳われている。第2に、権利のみならず、義務をも宣言している。第3に、個人の権利に加えて人民の権利として民族自決の権利、民族の発展を規定している。第4に、自由権としての市民的及び政治的権利に加えて、社会権としての経済的、社会的及び文化的権利を多く保障している。第5に、条約で保障する権利の行使に対して締約国が非常に広範な制限や制約を課すことができる規定となっている。第6に、環境権が盛り込まれている。
こうした独自性を持つアフリカ憲章には、イスラームの宗教と文明の価値観が一定程度反映されている。アフリカ大陸においてイスラーム文明とアフリカ文明が協調・融和するために、宗教・文化・家族型等の違いを越えて価値観の共有を図ることのできる人権の発達への取り組みが有効だろうと私は考える。
●ラテン・アメリカ文明との関係
世界の主要文明の中で、イスラーム文明のかかわりが最も薄いのは、ラテン・アメリカ文明である。
ラテン・アメリカ文明は、旧宗主国スペイン・ポルトガル等の影響で宗教的にはカトリック教徒が90%以上を占める。21世紀に入って、伝統的な土着の宗教は、急速に小数化しつつある。それゆえ、イスラーム部名との文明間の関係は、基本的にはイスラーム教とキリスト教の関係になる。この点では、アフリカ文明との関係にある程度似ている。
ラテン・アメリカでは、フランスの1830年の七月革命と48年二月革命をきっかけに、スペイン・ポルトガルからの独立の気運が高まり、1810年代から20年代にかけて、18の独立国家が誕生した。この点が、20世紀後半に民族独立を獲得した国の多いアジア・アフリカと事情が異なる。イスラーム文明とラテン・アメリカ文明の関係は、発展途上国の間の関係となっている。
ラテン・アメリカ文明にも、中核国家がない。地域大国のブラジルはBRICSの一角をなす。ブラジルが中国・インド・ロシア・南アフリカと並んで、急速に成長しつつあることは、地域全体の成長可能性を表すものとして注目される。またラテン・アメリカ文明から、G20には、ブラジルの他にメキシコ、アルゼンチンが参加している。
ラテン・アメリカは「米国の裏庭」といわれるように、ラテン・アメリカ文明には米国の強い影響下にある国が多い。その一方、米国の支配に反発する反米的な国家も少なくない。ベネズエラ、ボリビア、キューバ、ニカラグア、エクアドル等である。こうした国々には左派または中道左派政権が多い。イスラーム文明には、イランを代表とする反米的な国家があり、ラテン・アメリカ文明の米政権との間に一定のつながりがある。こうした国々が連携を強め、文明間の反米勢力が増大し、さらにそれが中国と結託する時、米中の世界的な覇権争いに関与するものとなるだろう。
●日本文明との関係
イスラーム文明と日本文明との関係については、次の項目である「結びに」でイスラーム文明と人類の将来について述べる際に書く。
次回に続く。