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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

イスラーム41~米国等とイランの核合意

2016-04-12 08:53:35 | イスラーム
●米国等とイランの核合意

 サウディアラビアとイランが断交に至ったより大きな要因は、米欧諸国とイランが核合意をしたことにある。サウディは、この合意に強い不満を持ち、独自の判断で行動した者だろう。
 イラン革命後、米国と断交したイランは、米国に対抗するため、核兵器の開発を進めているとみられた。近年中東で最もアメリカが最も警戒しているのは、このイランの動きである。イランの側からすれば、核大国の米国から自国を防衛するために、抑止力としての核を持つという政策判断だろう。一方、米国は、反米的な国が核を持つことを防ぎたい。その成否は、中東だけでなく世界規模の戦略に関わる。
 2002年(平成14年)に、イランの核兵器開発疑惑が発覚し、米国をはじめとする国際社会が、経済制裁措置などによってイラン封じ込めを行って来た。2008年に米国大統領となったオバマは、イランに対して「核開発疑惑には経済制裁で対処する」と発言し、ブッシュ子政権の方針を引き継いだ。そのうえ、2012年にEUがイラン産原油の禁輸措置を発動し、日本・韓国等も徐々に原油の引取量を削減していったことは、イランの国家財政に大きく響いた。イラン経済は2012年に成長率が約6%のマイナスとなるなど、疲弊してきた。
 2005年(平成17年)から13年(平成25年)にかけて大統領を務めたアフマディーネジャードは、反米的な姿勢を貫いた。イランは石油輸出で得た資金をもとに、近代兵器を購入したり、核開発に取り組んだりしてきた。イランに最も多く兵器を売っているのは、中国である。またイランは同じく反米的な北朝鮮とも密接な関係にあり、中国・北朝鮮から技術支援を受けて、核開発を進めてきたとみられる。ハンチントンの予測する「儒教―イスラーム・コネクション」は、一部イランと中国・北朝鮮の間で現実になっている。中国はインドと対立関係にあるパキスタンにも核技術を提供しており、これも「儒教―イスラーム・コネクション」の一つである。
 しかし、経済制裁の効果が強まるなか、2013年夏に大統領となった法学者ハサン・ロウハーニー師は、最高指導者のハーメネイーのもと、敵対関係にあった米国等との「建設的な関係」を築くことを政策に掲げた。イランを世界市場と国際社会に戻そうとするものである。一方、米国の側もイラク等の駐留経費増大等で財政に影響が出ている。他の要因も重なってデフォルト寸前になっては債務不履行の回避を繰り返しているオバマ政権は、2015年夏、イランとの関係を改善させる方向に転換した。
 1979年のイラン革命後、米国はイランと国交を断交した。イランは経済制裁で窮地に追い込まれたが、ただそれだったのではない。中東で占める地政学的に重要な位置を利用し、政治外交的な力量を発揮してアラブ社会に楔を打ち込み、シーア派の諸勢力を結び、シリア戦争では最重要当事国となって、国際社会に存在感を示しもしている。
 イランは、米欧の経済制裁に耐える中で、ロシアに接近した。イランにとってロシアは伝統的に敵国であり、領土を占領され、割譲してきた。だが、そのロシアと同盟関係を結ぶという戦略的な判断をした。そして、シリアのアサド政権を支援することによって、シリア内戦の最重要当事国となった。ロシアがシリア空爆に踏み切るに至って、イランにとってのロシアとの関係は、スンナ派諸国への対抗においてもまた米欧諸国への対抗においても一層重みを増すことになっている。
 2015年(平成27年)7月、イランと国連安保理常任理事国の米英仏中露に独を加えた6カ国は、「包括的共同行動計画」に最終合意した。今後15年間にわたって、イランは核兵器の製造につながる濃縮ウランの製造を制限され、この点に疑念が生じた場合にはIAEA(国際原子力機関)による査察をイランは受け入れる。その見返りとして、国際社会はイランに対する経済制裁を解除するというものである。この合意は、アメリカとイランの歴史的な合意という評価がある。アメリカが30年以上、国交を断絶して強くけん制してきたイランが核兵器を手にすることをひとまず阻止できたと言えるからである。
 オバマ政権はISILの掃討を最優先課題とする。課題達成にはシリアのアサド政権の退陣によるシリアの和平実現が不可欠と考え、同政権を支えるイランの協力に期待しているとみられる。だが、米国では、イランとの合意に関して、オバマ政権の融和的な姿勢に強い批判が出ている。また、最終合意がイランに一定のウラン濃縮を認めたことについて、米国と同盟関係にあるサウディアラビア、イスラエルは強く反発している。
 実際、イランの核合意は、イランが核兵器を生産できる時間の可能性を2カ月あるいは3か月から1年まで引き延ばしたに過ぎない。10年後の2026年から新型の遠心分離器の開発は自由になり、15年の履行機関が終われば平和利用の名目でウラン濃縮や再処理の核技術を生かして理論的には核兵器製造が可能になる。
 イランを安全保障上の脅威ととらえ、核合意に反対してきたサウディには、同盟国・米国の裏切りと映ったに違いない。また、イランと敵対するイスラエルも、イランの核兵器保有につながるとして容認できないところである。
 2016年(平成28年)1月16日、イランのザリフ外相と6カ国側代表を務めるモゲリーニEU外交安全保障上級代表は、ウィーンで共同声明を発表し、最終合意の履行を宣言した。これに伴い、オバマ大統領は、イランに課していた経済制裁の一部を解除する大統領令に署名し、外国の企業・個人に対するイランとの取引制限などを解除した。EUは、イラン産原油の輸入禁止や国際送金システムからの排除といった措置を解除した。
 イランのロウハーニー大統領は、「イランと世界の関係に新たな一章を開いた」と述べた。イランは約1千億ドル(約12兆円)に上る国外の凍結資産の確保や、制裁前から約6割も落ち込んだ原油輸出の拡大で、疲弊した経済の建て直しを急いでいる。制裁解除はイランの国際社会復帰となり、各国の経済関係強化の動きが加速するとみられる。
 2016年2月下旬、イランで国会議員選挙が行われ、ロウハーニー大統領を支持する改革派及び穏健保守派が議会の過半数を確保した。だが、強硬保守派は、国政に強い影響力を持つ革命防衛隊や、政策が「イスラーム的価値」に合致しているかを判断する護憲評議会を掌握している。政権が改革を進めれば、強硬保守派との対立がいっそう深まる可能性は高いとみられる。
 注意すべきは、今回の最終合意で、イランが核合意を守るという保証はないことである。今後、状況によっては、イランが合意を反故にして、再び核開発を進める可能性を排除できない。もしイランが核開発を進めた場合、米欧等は激しく反発するだろう。これに対し、イランがその制止に反発して強硬な姿勢を貫き、世界各国に石油を運ぶ通路であるホルムズ海峡を封鎖するという手段に出る可能性がある。わが国にとっては、シーレーンによる石油の輸送が脅かされる事態となる。国際社会が封鎖解除を図る際、その中心となるのはアメリカだろう。軍事的には、アメリカが海軍力で優勢ゆえ、比較的短期間で鎮圧される可能性が高い。だが、イランが米軍基地への報復、イスラエル本土へのミサイル攻撃、湾岸諸国の油田や製油所の爆撃・爆破等へと行動をエスカレートすると、新たな中東戦争に発展するおそれがある。
 さらにシリア、トルコ等の問題が重なると、中東情勢の深刻化が第3次世界大戦の火種となることが予測される。この点は、後の項目であらためて述べることにしたい。

 次回に続く。

イスラーム40~サウディアラビアとイランが断交

2016-04-10 10:37:04 | イスラーム
●サウディアラビアとイランが断交

 ISIL掃討作戦の最中、ロシアとトルコが対立するようになり、対ISILの連携にひびが入った。そのうえ、2016年(平成28年)1月には、イスラーム教国の間でサウディアラビアとイランが断交するという新たな事態が発生した。
 中東では、1979年(昭和54年)のイラン革命後に米国とイランが断交して以降、米国と親米的なスンナ派のアラブ諸国が、シーア派の地域大国イランの影響力を防ぐことで基本的な秩序を形成してきた。スンナ派の盟主を自任するサウディは、反イラン網の一翼を担うとともに、豊富な石油資源を持つ国としてこの秩序から最も大きな恩恵を受けてきた。
 サウディの王家であり、メッカなど二大聖地の守護者を務めるのが、サウード家である。サウード王家の祖イブン・サウードは、1744年、ワッハーブ派の祖法学者アブドゥウル・ワッハーブと盟約を結び、同王家の長が最高宗教指導者であるイマームを兼務するとした。それによって、サウディでは世俗的権力者である国王が宗教上の長ともなっている。
 サウディアラビアは、ワッハーブ派というスンナ派の中でも特殊な、かなり過激な宗派を国教とする。ワッハーブ派は、スンナ派の厳格化を求めるもので、イスラーム原理主義の古典的潮流となっている。
 オサマ・ビンラディンは、サウディの富豪の一族に属し、豊富な資金を以てアルカーイダを結成・指導した。サウディの富裕層には、スンナ派過激組織を支援する者が少なくない。ISILへの資金提供者もいるとみられる。
 ワッハーブ派は、シーア派を諸悪の根源とする。それゆえ、サウディとイランとの対立は、根が深い。そのうえ、2015年(平成27年)からはISILやイエメンへの対応などで対立を強めている。
 サウード王家は従来、極めて穏健な協調外交が信条だった。ところが、「今サウジは大きく変わりつつある」と、イラクでの勤務経験を持つ元外交官で、現在キャノングローバル戦略研究所主幹の宮家邦彦氏は、言う。
 変化の発端は、2015年(平成27年)1月23日親米的なアブドゥッラー国王が死去し、サルマーン新国王が就任したことである。新国王は、ムクリン副皇太子兼第2副首相を皇太子兼副首相に任命した。また、副皇太子兼第2副首相にナエフ元皇太子の息子ムハンマドという55歳の第3世代を任命した。ところが、4月末、国王はムクリン皇太子兼副首相を解任、ムハンマド副皇太子を皇太子兼副首相に、自分の息子で30歳のムハンマド・ビン・サルマーン国防相を副皇太子兼第2副首相に、それぞれ任命した。宮家氏は、「この頃からサウジの対外政策は大きく変わり始めた」という。
 サウディは、同年3月末、内戦が激化した南方の隣国イエメンで、反政府勢力への空爆を開始した。また同年12月15日、サウディ政府はISILなどに対抗するため、イスラーム圏の34の国・地域が「イスラーム軍事同盟」を結成したと発表した。
 宮家氏は、こうした軍事的対外強硬策の裏にいるのがムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子兼国防相だという見方を伝えている。副皇太子兼国防相は、サウディの経済開発評議会議長と国営石油会社アラムコ最高評議会議長も兼ねている。
 こうした変化を見せていたサウディアラビアは、2016年(平成28年)1月初め、一段と強硬な行動に出た。サウディアラビア政府が、テロ関与容疑者47人の死刑を執行したのである。47人のうち、大半はアルカーイダ系だが、シーア派の高位法学者ニムル師が含まれていた。サウディの国内にも少数だがシーア派がおり、東部に多い。ニムル師はサウディ王家を批判し、宗派対立を扇動したなどの罪で死刑判決を受けていた。それが執行された。
 これに対し、イランでは、二ムル師の処刑に怒った群衆がテヘランのサウディ大使館を襲撃した。イラン軍で重要な位置を占めるイスラーム革命防衛隊は、1月2日、処刑を問題視し「サウディは重い代償を払うことになるだろう」と強く非難する声明を発表した。これが両国の外交問題に発展し、サウディとイランは断交状態となった。バハレーン、カタール等の湾岸主要国はサウディに同調し断交や大使召還に踏み切った。サウディは、イランに対抗するため、22カ国が加盟するアラブ連盟を舞台にスンナ派各国の糾合を図っている。
 ISIL壊滅はサウディとイランにとっても最優先課題のはずだが、イスラーム文明の二つの地域大国が宗派の違いから対立関係になってしまった。このことで、中東情勢は一層複雑さを増した。サウディとイランの対立は、ISILを利することになる。
 米国とサウディの歴史的な同盟関係がオバマ政権下で弱体化する一方、イランは米欧との核合意で国際社会復帰を実現し、イラクやシリア情勢への発言力を強めている。サウディは、米国のイラン傾斜に不満を抱いているに違いない。イランとの断交は、シリア和平協議にイランが参加することを阻止するためという意図もあったと考えられる。
 折から中東を訪問した中国の習近平国家主席と対談したサルマーン国王は、米国一辺倒の方針を改め、中国を外交の対象として格上げし、関係を深めることに合意した。習主席はイランも訪問し、ここでも関係の拡大を進めた。海外で大規模な軍事作戦を展開する力を失いつつある米国が中東で後退し、またイスラーム教諸国の関係が不安定になっているところへ、中国が巧みに進出している。
 中国は、2030年にアメリカを越えて世界最大の石油輸入国となると予想される。輸入の大部分は中東に依存する。一方、アメリカの中東石油輸入は、シェールガスや国内石油生産によって、2011年の日量190万バレルから、2035年には10万バレルに激減すると見られる。そのため、中東産油国にとって、中国はますます重要な輸出相手国となる。中国と中東産油国はともに相手を必要とする。ここにも、西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立という可能性を見て取ることができる。
 ところで、サウディアラビアは、隣国イエメンの民主化過程の後ろ盾になってきた。サウディにおける王位交代はイエメンに影響を与えている。
 イエメンにおける2015年(平成27年)1月のフーシー派によるクーデタは、サウディにおける王位交代の隙を突いたものだったとみられる。池内氏は「サウジの内憂と裏庭のイエメンの外患は連動している。そして、サウジが揺らげば、中東の混乱は極まる」と述べている。
 サウディはスンナ派アラブの盟主を自任する。イエメンのフーシー派はシーア派の一派、ザイド派を信奉する。シーア派大国のイランがザイド派を支援しており、サウディはイエメンでイランが影響力を増すことを警戒している。
 2015年(平成27年)2月15日国連安保理は、全会一致で、政府施設を制圧しているフーシー派に即座・無条件で権限を大統領・首相に戻すように要求する決議をした。ただし、決議を主導した湾岸協力理事会(GCC)の求めていた国連憲章第7章の軍事的強制力は盛り込まれなかった。そうしたなか、サウディは、同年3月末、イエメンでの空爆を開始したのだった。
 イエメンでは、サウディの後押しを受けるハディ政権と、イランが支援するフーシー派が激しく対立して、内戦状態になっている。サウディは、フーシー派が首都サヌアを掌握したことなどを受けイエメンへ軍事介入した。そのことによって、サウディはイランとの対立を深めた。このことが、サウディとイランが断交することになった要因の一つとみられる。
 サウディアラビアとイランが断交した情勢について、山内昌之氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』に次のように書いている。
 「1980年のイラン=イラク戦争で始まったシーア派対スンナ派の対立激化は、次々と新たな衝突ひいては戦争に発展し、宗派と政治の絡んだ文明内対立はこれから深化することはあっても、薄まることはない。政治化したセクタリアン・クレンジング(宗派浄化)の恐怖は、いまや中東の広い範囲に及んでいる。言い換えれば、『宗派戦争』とその脅威は、もはやシリア戦争やイエメン内戦やバハレーン紛争を超えてしまった。2016年のイランとサウディアラビアの危機は、現代中東のいちばん深い『宗派的断層線』(sectarian fault lines)がどこに横たわっているかをまざまざと見せつけたのである」
 ここで、「セクタリアン・クレンジング(宗派浄化)」とは、エスニック・クレンジング(民族浄化)の概念を、イスラーム教の宗派間に応用したものである。また「断層線」は、ハンチントンが使った概念であり、ハンチントンは、文明の衝突は文明間の断層線(フォルトライン)で起こると指摘した。山内氏は、これを文明内の宗派間にも用いているものである。

 次回に続く。

イスラーム39~ISILのテロは米国・東南アにも編集する

2016-04-08 08:44:47 | イスラーム
●ISILのテロは米国にも広がる

 パリ同時多発テロ事件後、米国でも国内のイスラーム教過激派によるテロが警戒された。そうしたなか、2015年(平成27年)12月2日、米国カリフォルニア州サンバーナディーノで銃乱射事件が起きた。襲われたのは発達障害がある人の支援を目的とした福祉施設だった。14人が死亡した。
 事件を起こして射殺されたのは、パキスタン系米国人のサイード・ファルークと妻のタシュフィーン・マリクで、妻はパキスタン国籍とみられる。夫はサンバーナディーノ郡職員で、大人しく敬虔なイスラーム教徒だったという。妻はフェイスブックにISILの指導者に忠誠を誓う内容の投稿をしていた。ホームグロウン(自国育ち)かつローンウルフ(一匹狼)型のテロと考えられる。この事件は、パリ同時多発テロ事件以後、米国で初めて起こったISIL関連のテロとして全米に衝撃を与えている。
 米国のイスラーム教徒の数は人口の約1%と推定されており、イギリスの4.5%、ドイツの5%より少ない。2050年までにこの割合は2.1%に増加するとみられている。
 現在、米国のイスラーム教徒は、その63%が移民及びその子孫である。かつて米国に奴隷として連れてこられたアフリカの黒人は、4分の1から3分の1がイスラーム教徒だった。その多くはキリスト教に改宗させられた。1960年代以降の公民権運動の進展によって、自らの意志でイスラーム教に改宗する黒人が現れて注目されるようになった。その後、中東・アフリカ・アジア等の様々な国からイスラーム教徒の移民が米国に流入している。調査機関ピュー・リサーチ・センターの2011年(平成23年)の調査によると、米国のイスラーム教徒は世界77カ国からやって来ている。西欧諸国の多くでは、一つか二つの集団がイスラーム教徒のうちの多数派を占めている。例えば、フランスではアルジェリア人、オランダではモロッコ人とトルコ人である。これに対し、米国ではイスラーム教徒は、特定の宗派や民族が圧倒的な多数派を構成することがない。互いに他の集団と混ぜ合わせたような状態で居住しているとみられる。
 2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件は、イスラーム教過激派の犯行とされ、米国ではイスラーム教徒や中東出身者が警戒されるようになった。2001年から2014年まで、109人の米国人イスラーム教徒が米国を標的として攻撃を行った。また同時期に、米国人イスラーム教徒によるテロで50人が死亡した。その一方、これ以外の銃乱射事件などにより、2014年だけで136人の死者が出ており、イスラーム教徒によるテロが特に多いとはいえない。
 だが、パリ同時多発テロ事件後に起こったカリフォルニア州サンバーナディーノの銃乱射事件によって、ISILの影響が米国でも急速に浸透していることがわかり、テロ活動の拡大が懸念されている。2016年11月に行われる米国大統領選挙では、ISILへの軍事的対応と米国内テロからの防衛が、一大争点となりつつある。

●東南アジアでもISILによるテロ事件が

 2015年(平成27年)12月31日、東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟10カ国は、「ASEAN共同体」を発足させた。6億人の単一市場や共生社会を掲げている。共同体の総人口は欧州連合(EU)を上回り、国家に例えると中国、インドに次ぐ規模となる。
 東南アジアは、総人口のほぼ40%がイスラーム教徒である。イスラーム教は仏教、キリスト教を上回る域内最大の宗教勢力である。世界で最も多くのイスラーム教徒がいるインドネシアは、人口約2億4千万(2010年現在)の約90%に当たる約2億2千万人がムスリムである。マレーシアもイスラーム教徒が多く、人口の約50%を占める。
 東南アジアにイスラーム教が伝来したのは、13世紀初頭とされる。中東でのイスラーム教の伝道は武力を伴うものであったのに対し、東南アジアでの伝道は、西アジア、とりわけインドを経由したイスラーム教徒の貿易商によって行われた。また神秘主義教団の教団員が、この地域にやってきて民衆の改宗を進めた。こうした武力によらない改宗の結果、東南アジアのイスラーム教徒には、穏和性と多様性という特徴がみられる。
 また、東南アジアの多くは亜熱帯雨林気候に属する。その緑豊かな自然環境は、イスラーム教が発生した砂漠地帯とは、大きな違いを示す。その影響と思われる特徴が、マレーシア等でみられるアニミズム的な精霊崇拝、アジア特有の土着慣習への寛容性である。こうした多神教との共存・融和は、しばしば中東のイスラーム教原理主義者からはイスラーム教からの逸脱と非難されている。
 だが、多くの民族、文化、宗教が存在する東南アジアでは、穏和性、多様性、寛容性を表すイスラーム教徒のあり方が、域内の安定と発展にプラスになっている。
 その一方、東南アジアにも、イスラーム教原理主義を信奉する者や過激組織に共鳴・参加する者がおり、近年しばしばテロ事件が起こっている。
 1990年代からアフガニスタンの内戦に東南アジア諸国からイスラーム教徒の若者らが参加した。彼らは帰還後、インドネシア等で大規模テロ攻撃を繰り返すなど、過激な活動を続けている。インドネシアの武装組織ジェマ・イスラミア(JI)は、2001年(平成13年)の9・11の前後からアルカーイダとの関係を強め、タイやシンガポール、マレーシア等に設立した支部組織と連携して、欧米の権益を狙ったテロ路線を取っている。JIによる2002年(平成14年)のバリ島爆弾テロ事件では、多数の外国人観光客を含む202人が死亡した。その後も2009年(平成21年)にかけて、ジャカルタの米系高級ホテルやオーストラリア大使館を標的にしたテロが発生した。
 2010年(平成22年)にJIの精神的指導者アブ・バカル・バシル師がテロ容疑で逮捕されたが、バシル師の指揮下にあるとされる過激組織は、ISILへの忠誠を表している。JIとその関連勢力がシリアやイラクへ「人道支援」の名目で組織的に人員を送り込み、一部は「義勇兵」としてISILなどの戦闘員になっている。ISILは東南アジア諸国の過激組織と連携し、戦闘員の募集や活動資金集めを活発化させている。インドネシアの他、マレーシア、オーストラリア等からの戦闘参加者がいる。インドネシア当局は、ISILに加わるため800人以上が中東に渡り、うち約240人が帰国したことを確認している。
 そうしたなか、2016年(平成28年)1月14日、東南アジアで初めてISILが関与したとみられるテロが、インドネシアで起こった。首都ジャカルタ中心部の商業施設などで連続爆弾テロが発生し、現場周辺では銃撃戦となった。カナダ人ら2人と容疑者5人が死亡した。「インドネシアにいるISIL戦闘員が、十字軍の集まる場所を標的にした」とISILが犯行声明を出した。
 今後、インドネシアだけでなく、他の東南アジア諸国でもイスラーム教過激派のテロが起こることが懸念されている。東南アジアの穏和性、多様性、寛容性を特徴とするイスラーム教の大多数の信徒が、中東の戦闘的・排他的なアルカーイダやISILの影響を受けた過激派にどう対処するか、注目される。
 パリ同時多発テロ事件後、米国や東南アジア等でISILが関与したテロ事件が起こったと書いたが、こうしたテロがロシア、中国、日本等へと広がっていくおそれがある。いつ、どこで、次のテロが起こっても、不思議ではない。

 次回に続く。

イスラーム38~トルコとロシアの対立が発生

2016-04-06 08:53:36 | イスラーム
●トルコとロシアの対立が発生

 ロシアがシリア内戦への介入を本格化した後、2015年(平成27年)11月24日トルコ政府は、ロシア爆撃機が領空侵犯を繰り返し警告に従わなかったので撃墜したと発表した。エルドアン大統領は、露軍機撃墜は「交戦規定の枠内だ」と正当性を主張した。これに対し、プーチン大統領は、ロシア機の領空侵犯を否定し、「テロリストの共犯者が後ろから攻撃してきた」とトルコを激しく非難した。逆にトルコのエルドアン大統領は、ロシアがシリアの反政府勢力でトルコ系の少数民族トルクメン人に攻撃を加えているとして、ロシアを非難している。
 トルコによるロシア機撃墜によって、フランスとロシアの連携に始まる大国間の連合の動きは水がさされた。プーチンにとっては、ISIL掃討で国際的な孤立からの脱却を狙っていたところ、思わぬ形で足をすくわれた格好である。
 フランスがロシアとの連携を軸に、連合を拡大するには、米国だけでなく、有志連合に参加するアラブ諸国やトルコの理解も欠かせない。トルコとロシアの反目が続けば、フランス、ロシアがそれぞれ構想する自国中心の大連合の実現は難しくなるだろう。各国の利害に違いが大きく、それぞれの思惑で外交・作戦を行っており、同床異夢の状態である。
 ロシアは、軍機撃墜の報復としてトルコに経済制裁を行って圧力をかけている。トルコにとってロシアは貿易額でドイツに次ぐ2位であり、特にエネルギー供給では最大の輸入国である。それゆえ、経済制裁を受けると苦しい。だが、安易に謝罪すると、エルドアン政権は国民の批判を受ける。そのうえ、ロシアは、トルコが石油密輸などを通じてテロ組織に協力していると主張し、エルドアン大統領、その息子らを激しく批判している。「アラブの春」以降、トルコでは民主化を求める反政府運動が広がり、政権の足下が弱くなっている。政権は、ロシアの強硬姿勢によって窮地に置かれている。
 一方のロシアは、2014年(平成26年)3月にウクライナのクリミア共和国を併合したことで米欧の経済制裁を受けている。そこで、トルコに経済多角化の望みを託していたのだが、ロシア機撃墜でトルコを強く非難して農産品禁輸などの制裁を発動したため、逆に自国の経済を圧迫することにもなっている。こうした誤算がロシア経済の疲弊を早めることになるとみられる。
 また、ロシアには約2000万人のイスラーム教徒がいる。ロシア人口の14%を占める。その多くはスンナ派である。ロシアがISILを掃討したり、トルコに圧力を加えたりすることは、ロシア国内のイスラーム教徒を刺激し、テロを誘発するおそれもある。
 それゆえ、トルコ、ロシアとも引くに引けない対立関係になったものの、互いにあまり深刻化するとまずい状況にあるとみられる。
 トルコはイスラーム文明、ロシアは東方正教文明の国である。この両国の間には、18~19世紀にオスマン=トルコ帝国とロシア帝国が数次にわたって争った露土戦争以来の対立の歴史がある。当時トルコは、ロシアの南下政策に苦しめられた。近年、両者の関係は協調的になっていたが、ロシア機撃墜事件で関係が一気に悪化した。関係の悪化が進むと、こうした文明間的・歴史的な対立の感情を掘り起こしかねない。
 トルコ・ロシア関係の焦点は、シリアにある。トルコはアサド政権の崩壊を願っているが、ロシアはアサド政権を支援しているという正反対の立場にある。
 トルコは、ISILの支配地域に隣接する国であり、イラク、シリア等と国境を接している。トルコ政府としては、ISILとの全面対決は避けたい。対ISILの有志連合に加わっているが、軍事面では関与しないとし、ISILとの全面対決は避けてきた。900キロに及ぶトルコ南部の国境から過激派が侵入するのを阻止するのは困難であり、強硬措置を取ればテロによる報復を受け、治安が悪化するおそれがあるからである。だが、ISILの活動が対トルコでも活発化しており、エルドアン政府はISILへの軍事的圧力を強める考えを示している。
 ロシアの主導で仏米英露等が連携を強めることによって、ISILと地上戦を戦っているクルド人がイラクやシリアで勢いを増すことは、国内に多くのクルド人がいるトルコにとって、別の懸念材料である。
 シリアでは、2012年(平成25年)夏に、シリアのクルド人地域(ロジャヴァ)は事実上の自治を獲得した。彼らがイラク北部のクルド人のように独立国家に近い自治区を作れば、トルコ南部に多いクルド人の分離独立機運が高まる可能性がある。トルコには、過激なマルクス主義の流れをくむ非合法組織「クルド労働者党」(PKK)が分離独立を求めてテロを展開してきた歴史がある。また、トルコではクルド人は「山岳トルコ人」と呼ばれ、アイデンティティを否定する政策がとられてきたので、潜在的に深い対立感情がある。
 イラクでのクルド自治政府による独立への動きが活発化すれば、トルコ国内のクルド人がこれに呼応し、それによって、トルコ政府とクルド人独立派の対立が、中東に新たな不安定要因を加えることが予想される。

 次回に続く。

イスラーム37~国際社会の対テロ連携の強化

2016-04-04 09:34:17 | イスラーム
●国際社会の連携の強化

 今やISILのテロは、全世界に向けられている。いつ、どこで無辜の人々が無差別自爆テロの犠牲になるかわからない。いかなる宗教的な教義によろうとも、テロを許すことはできない。自由・デモクラシー・人権・法の支配等の価値観とも相いれない。テロリスト集団の壊滅に向け、国際社会が団結する必要がある。
 2015年(平成27年)11月15日からトルコで開かれた20カ国・地域(G20)首脳会合は、2日前に発生した同時多発テロ事件を受けて、テロとの戦いにおける国際連携を謳った。各国首脳からフランスへの連帯が相次いで表明された。同月18日からフィリピンで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議でも、テロへの非難と国際協力が宣言された。また同月22日にマレーシアで開催された日米中や東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国による東アジア首脳会議(EAS)でも、テロ対策の協力が合意された。国際社会がテロに屈せず、わずか1週間の間に相次いで結束を確認したことは極めて重要である。
 この間、国連安全保障理事会は11月20日、パリ同時多発テロを非難するとともに、ISILとの戦いに各国が立ち上がる決意を示す決議案を全会一致で採択した。決議は、ISILが「国際的な平和と安全への世界規模の前例のない脅威」になっていると強調した。ISILへの合流を図る外国人の渡航阻止とテロ資金遮断を加盟国に要求するとともに、テロ活動抑止に向けた各国間の「調整努力」も求めた。
 その後、欧州では、英国もシリア空爆に参加することを決め、軍事行動に慎重なドイツも後方支援のために部隊を派遣した。フランスへの支援で欧州は団結を強めた。

●ISIL掃討作戦でのロシアの思惑

 シリアでは、「アラブの春」以後の内戦が長期化し、ドロ沼化している。2011年(平成23年)以来、人口2200~2300万人のシリアで、内戦による死者は27万人を超えている。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、2015年末の時点で420万人を超える難民が国外へ脱出した。難民は近隣のトルコ、レバノン、ヨルダン、エジプト、リビアに逃れ、約32万人以上が地中海を渡ってヨーロッパへ流入している。ヨーロッパにとっては、第2次世界大戦以来、最も深刻な難民危機の到来である。だが、もっと深刻なのは、中東や北アフリカの諸国である。UNHCRによれば、2015年夏の時点でシリア難民はトルコに180万人、レバノンに117万人、ヨルダンに62万人、イラクに24万人、エジプトに13万人、その他の北アフリカに2万人が避難している。また、シリア国内では、少なくとも760万人が家や故郷を失い、国内避難民となっている。難民と国内避難民を合わせると、2000万人規模の国家で、1000万人状の国民が路頭に迷っているのである。シリアの統治機構が安定しない限り、難民の流出が止まることはなく、また、国民の安寧は得られない。欧米諸国は、反政府勢力への攻撃で一般市民を多数殺害するアサド政権の正統性を認めていない。だが、ロシアは、欧米が非難するアサド政権を支持している。ロシアにとって、シリアは中東に残る最後の重要な資産であり、米欧の圧力でアサド政権が倒壊することを防ぎ、シリアでの地政学的な利益を保持したいのである。
 シリア内戦を舞台にして、ISILが勢力を伸長し、強大化した。2015年(平成27年)9月末、ロシアはISIL掃討として、シリア内戦へ軍事介入した。これは、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻以来の、中東の独立主権国家に対するロシアの公然たる軍事行動だった。
 ロシアが介入した理由の一つは、軍事的なものである。ロシアは、シリアのタルトゥ―スに地中海に面する唯一の海軍基地を持っている。シリアは、ロシアが地中海に出る上で重要な拠り所となっている。また、別の理由は、シリアがイラクやイランなど中東から欧州への石油パイプライン計画の中心になっていることである。その計画が実現してしまうと、欧州はロシアへのエネルギー依存度を下げるだろうから、ロシアは親米欧勢力を抑えて、アサド政権を維持したいのである。
 一方、アサド政権は、ロシアの後ろ盾によって政権の存続を図ってきた。ロシアの軍事介入により、ロシア軍の空爆支援を受けて、劣勢から息を吹き返した。シリア正規軍の実情は、長期化する内戦の結果、多数の欠員や多大な損失を出し、すでに補填が不可能なまでになっていた。かつて25万人いた正規軍は、兵士が2000~3000人、将校・将軍が200~300名ほどに減った。大半は、アサド政権維持のために戦う外国人部隊である。そのような政府軍を指揮・監督するのは、イラン革命防衛隊の対外諜報と特殊工作(作戦)を担当する部隊たるクドゥス軍団の将校だと伝えられる。だが、こうしたシリアにロシアがテコ入れをしたことによって、アサド政権は反政府勢力との戦闘を優位に進めるようになった。反政府勢力には、国民連合、イスラーム軍、トルクメニスタン人等がある。ロシアのシリア空爆は、ISILへの攻撃という触れ込みをしつつ、主にこうしたアサド政権に対抗する反政府勢力を攻撃しているとみられる。これに対して、反政府勢力を支援する米国を中心に、ロシアへの批判が上がった。
 アメリカは、トルコ、サウディとともに、反政府勢力のうちの穏健派を支援している。だが、反政府勢力には過激派もおり、アルカーイダ系の組織「ヌスラ戦線」等が活動している。またクルド人もアサド政権と戦っており、アメリカはこれも支援しているという複雑な関係にある。
 パリ同時多発テロ事件後、ロシアはフランスと提携し、一層積極的に空爆を行っている。ロシアとしては、フランスが連携を求めてきたのに応えることで、これまでの米欧諸国の批判を緩和することが出来ることになった。
 ISILは、ロシアが2015年9月に空爆を開始すると、ロシアへの報復を予告していた。そうした中で、10月31日ロシアの旅客機がエジプト北東部シナイ半島で墜落した。乗客乗員224人が死亡した。プーチン政権は、国際社会のパリ同時多発テロ事件への反応を見てから、11月17日になってロシア機墜落が爆弾テロだったとする調査結果を発表した。同日プーチンは、シリアでの作戦強化を国内外に誇示した。また、同日フランスと共同作戦を行うことを提案し、露仏の共同作戦が開始された。
 ロシアは、ロシア機爆破テロの報復として、ISILへの空爆に本腰を入れざるを得なくなり、シリア内戦に深入りした。また、これを奇貨として、プーチン大統領は、シリア空爆の強化やフランスとの共同作戦を進め、対ISILの主導権を握ろうとしているとみられる。
 山内昌之氏は、「アメリカとフランスは、2015年9月のロシア軍の介入以降、11月のパリ同時テロを機に、ISと本格対決するために、アサド氏に宥和的な態度を示すようになった。これは、氏を『最大の犯罪者』と考えるスンナ派アラブの大勢に背を向けており、シリア問題の主導権をさながらロシアとイランに委ねたに等しい」と述べている。
 イランは、米欧の経済制裁に耐える中で、ロシアに接近した。イランにとってロシアは伝統的に敵国であり、領土を占領され、割譲してきた。だが、そのロシアと同盟関係を結ぶという戦略的な判断をした。そして、シリアのアサド政権を支援することによって、シリア内戦の最重要当事国となった。ロシアがシリア空爆に踏み切るに至って、イランにとってのロシアとの関係は、スンナ派諸国への対抗においてもまた米欧諸国への対抗においても一層重みを増すことになっている。アサド政権は、今やロシア=イラン同盟によって支えられているのである。米仏は、シリア問題における主導権を、ロシアとイランに握られている。
 ロシアがシリアへの空爆を強化しているのは、ISIL掃討後を見越して、アサド政権を擁立し、シリアやその周辺諸国への影響力の拡大を目指しているものだろう。このことは、ISILへの有志連合とロシアによる攻撃が奏功し、ISILを弱体化させ得た場合、必ずロシアと欧米・トルコ等の間の対立が顕在化することを意味する。それと同時に、シリアの内戦は、アサド政権と反政府勢力の戦いに重点を移しつつ、なお継続することが予想される。

 次回に続く。

イスラーム36~テロの拡大と拡散

2016-04-02 08:42:03 | イスラーム
●大規模テロに転じたISILの事情

 ISILは、2014年(平成26年)6月にカリフ制国家樹立を宣言し、支配領域の拡大を図った。当時、その基本戦略は、シーア派が主導するイラク政府や、イランを後ろ盾とするシリアのアサド政権といった地理的に近い敵を主な攻撃対象として宗派対立を煽り、域内外から戦闘員を吸収して支配地域を拡大させることにあったと考えられる。
 この段階では、欧米への攻撃は、ISILの過激思想に共鳴した個人や少数グループが敢行するローンウルフ(一匹狼)型や、各地の傘下勢力によるものが主体だった。欧米への直接攻撃は、ISILの最優先事項とまではいえなかった。
 だが、パリ同時多発テロ事件は、標的の選定や犯行の手際の良さ、ISILの組織がフランスや隣国のベルギーに浸透していた点などから、これまでとは一線を画している。このことから、ISILは大規模テロの実行へ方針を転換したと推測される。
 どうしてこのような方針の転換が起こったのか。まず欧米主導の有志連合による軍事作戦によって、ISILはシリアやイラクでの支配地域の拡大が行き詰まっており、支配地域外でも活動を本格化させる方針に転換したのだという見方がある。また、パリで同時多発テロを行ったのは、有志連合の空爆で追いつめられたISILが、フランスを有志連合から脱落させようとして決行したという見方もある。
 確かに空爆は、一定の効果を上げているとみられる。空爆でISILのナンバー2や著名なテロリストであるジハーディ・ジョン、また多数の戦闘員が死んでいる。相当の打撃になっているはずである。だが、それでも次々に戦闘員の補充がされるのが、ISILの特徴である。世界各国から支持者・賛同者が集まってくるからである。2014年(平成26年)前半に約1万5千人とされたISILの外国人戦闘員は、2015年初めには2万人に増え、同年末では3万人に上ると推計された。また、ISILの資金源は、人質の身代金、アラブの富豪等の寄付、石油の販売等だが、空爆は、こうした資金源を断つには至っていない。
 過去に空爆によって雌雄を決した戦争はない。地上戦で相手を殲滅することなくして、決着をつけることはできない。ISILに対しても、これを制圧するには、最後は大規模な陸上部隊を派遣し火力で圧倒するしかない。大規模地上戦は、大量の犠牲者が出るから、欧米はこれを避けようとする。実際、有志連合は地上戦には参加していない。周辺のアラブ諸国も、ISILへの対応のために地上軍を送っている国は一つもない。
 当事者であるイラクとシリアは、中央政府の統治能力が低く、正規軍が事実上ないに等しいほどに、地上部隊が弱い。その中で最も戦果を挙げているのは、クルド人の部隊である。ISILの壊滅のためには、こうした有志連合による空爆と地上戦が相乗効果を上げることが期待される。しかし、仮にこれらが効果を上げても、ISILが普通の国家のように敗北を認め、講和に応じるとは思われない。国家ならざる過激組織だからである。ここにテロリスト集団との戦いの難しさがある。戦争における国家の論理が通用しないのである。

●テロの「拡大」と「拡散」

 2015年(平成27年)11月パリ同時多発テロ事件の発生の直後、池内恵氏は、次のように述べた。「テロをめぐって今、『拡大』と『拡散』が起きている。中東では政治的な無秩序状態がいくつも生じ、『イスラム国』をはじめ、ジハード(聖戦)勢力が領域支配を拡大している。そして、そこを拠点にして世界に発信されるイデオロギーに感化され、テロを起こす人々が拡散していくメカニズムができてしまった」と。
 ここで拡大というのは、「地理的、面的な拡大」である。イラクやシリアのように、中央政府が弱くなって、ある地方を中央政府が統治できなくなっている所では、面的な領地支配をして、そこに大規模な組織を作って武装し、公然と活動する。
 しかし、そのような活動ができないエリアでは、小規模な組織が勝手に社会の中から出てくることを刺激する。それによって、テロを自発的に行わせるという形で、テロを拡散させる、と池内氏は説明する。
 グローバルなジハードを掲げる勢力は、支配地域の「拡大」とテロ活動の「拡散」という2つのメカニズムで広がっている。拡大と拡散は、別々の動きではない。「拡大がうまくいかない時、軍事的に不利になれば、拡散に向かう。拡散しながら社会を撹乱し体制の動揺を待って、また地理的・領域的な拡大を目指す」と池内氏は述べている。
 世界的には、2000年代以降、活発さを増すグローバル化は、ヒト、モノ、カネ、情報の流れを加速させているが、その動きはテロ組織をも利している。グローバリゼイションの進行の中で、グローバル・ジハード運動が展開されている。世界各国で起こったテロの件数、それによる死者数は増加の一方であり、過去最悪となっている。この傾向に歯止めがかからない状態であり、ホームグロウン(自国育ち)のテロリストを含め、イスラーム教過激思想と過激派ネットワークの拡散、テロのリスクが増大している。
 世界には、ISILを支持・連携している組織が、2016年1月現在で、17か国35組織あるとされる。これらは、決して大規模な国際組織ではなく、各地の小規模な組織の緩やかな連合体とみられる。地域的な過激組織がISILを支持するとか連携するなどと表明すると、そのことによって、その地域での格が上がり、勢力を伸ばせる。各地で頻発するテロは、地域的な組織や個人の集団が行っている。だが、そうした行動をする者がISILと称することで、国際的に大きな組織が存在するかのように錯覚しやすい。
 それぞれ地域的な過激組織が、ナイジェリアでは「イスラーム国西アフリカ州」、エジプトでは「イスラーム国シナイ州」等と名乗っている。そのうえ、パリ同時多発テロ事件は「イスラーム国フランス州」を称する者が犯行を宣言した。これは実際に「イスラーム国」が諸国家にまたがって存在しているのではない。単に「イスラーム国○○州」と自称する組織が点在しているに過ぎない。
 イスラーム教過激派には、国境の概念がない。国境は西洋諸国が引いたものだとして認めない。彼らの観念の中では、国境のないイスラーム世界が広がっているのだろう。地域組織の過激派には、もともと領土的な野心はない。自国の政権を打倒したいということのみである。それゆえ、独立国家を宣言するのではなく、「イスラーム国○○州」と名乗ることに抵抗はない。
 ISILにとっては、各地の地域的な組織が「イスラーム国○○州」と称することは、「イスラーム国」という国家が世界に広がっているようなイメージを与えられる。大きな宣伝効果を生み、各地に支持者・賛同者を増やすことができる。そうした支持者・賛同者の一部は、シリア・イラクのISIL本拠地にやってきて戦闘員になる。そして訓練を受けたり、実践経験を積んだりした者が、各国に帰り、行動を広げる。そこにホームグロウン(自国育ち)のテロリスト志願者が加わり、テロ事件を起こす。こうした関係があると思われる。

●ISILとアメリカ、そしてイスラエル

 ISILについては、アメリカやイスラエルが育成・支援してきたのではないかという見方もある。アルカーイダは、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻していた時代、CIAが育てた武装抵抗組織だった。それが反米に転じたのだが、指導者のオサマ・ビンラディンはずっと米国の支援を受けていたという疑惑がある。この点は、拙稿「9・11~欺かれた世界、日本の活路」に書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12g.htm
 現代世界における国際関係の深層には、常識を覆すような不可解なことがいくつもある。その点については、拙稿「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」に書いている。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09k.htm
 ISILについても、疑惑の可能性を排除することはできない。
 パリ同時多発テロ事件以後、国際社会のISILへの攻撃は格段と強化されている。追い込まれたISILが今後、イスラエルへの攻撃を行い、イスラエルを挑発して、アラブ対イスラエルという対立構図を生み出そうとする可能性がある。イスラエルまでが絡む事態になると、中東地域の更なる混乱、長期にわたる不安定化につながる。こうした展開を防ぐため、国際社会にはISILとイスラエルの間にあるヨルダンを支援し、ISILの攻撃から守って政情を安定させる必要もある。

 次回に続く。

イスラーム35~フランスのISILへの対応

2016-03-31 08:45:20 | イスラーム
●フランスのISILへの対応

 戦後、フランス政府は、移民として流入するマグレブ人イスラーム教徒に対して、フランス社会への統合を重視してきた。だが、彼らの中には、差別や就職難などで不満を持つ者たちがいる。そうした者たちの中から、ISILなどが流し続ける「自国内でのテロ」の呼び掛けに触発される者が出てきている。こうした「ホームグロウン(自国育ち)」と呼ばれるテロリストの増加が、パリ同時多発テロ事件によって浮かび上がった。
 フランスでは、移民の多くが今日、貧困にさらされている。失業者が多く、若者は50%以上が失業している。イスラーム教徒には差別があると指摘される。宗教が違い、文化が違い、文明が違う。そのうえ、イスラーム教過激派のテロが善良なイスラーム教徒まで警戒させることになっている。
 貧困の中で生活し、失業と不安にさらされている若者たちに、ISILが近づき、イスラーム教過激思想を吹き込む。シリアへと勧誘する。また、自国でのテロを呼びかける。ある者は、シリアに行って軍事訓練を受け、戦闘にも参加する。ある者は自国でテロを起こす。若者たちの不満は貧困層だけでなく、インテリ層にも広がっている。
 フランスやベルギー等の社会である程度、西洋文明を受容し、ヨーロッパの若者文化に浸っていた若者が、ある時、イスラーム教の過激思想に共鳴し、周囲も気づかぬうちに過激な行動を起こす。貧困や失業、差別の中で西洋文明やヨーロッパ社会に疑問や不満を抱く者が、イスラーム教の教えに触れ、そこに答えを見出し、一気に自爆テロへと極端化する。
 こうした文明の違い、価値観の違いからヨーロッパでイスラーム教過激思想によるテロリストが次々に生まれてくる。これを防ぐには、貧困や失業、差別という経済的・社会的な問題を解決していかなければならない。これは根本的で、また長期的な課題である。
 同時多発テロ事件後、フランスが移民政策の見直しをするかどうかが、注目されている。フランス人権宣言による個人を中心とした自由・人権等を価値とする普遍主義的な価値観を信奉する限り、移民の受け入れはその価値を堅持するものとなる。移動の自由の保障も同様である。だが、この価値観とは異なる主張もフランスにはある。
 2015年(平成27年)12月にフランス全土で実施された地域圏議会選挙で、極右政党といわれる国民戦線(FN)は、年間20万人の移民受け入れを1万に減らす、犯罪者は強制送還する、フランス人をすべてに優先、社会保障の充実等を訴え、支持率を伸ばした。多くの地域圏で勝利確実とみられるなか、危機感を持った右派・共和党と左派・社会党が共闘して、FNの躍進を阻んだ結果、FNは全選挙区で敗北した。だが、マリーヌ・ルペン党首は次期大統領選挙の有力候補であり、大多数の世論調査において第1回投票で最多票を獲得することが確実視されている。FNが大統領選挙及び今後の国政選挙の台風の目となることは確実とみられる。
 フランスは、同時多発テロ事件後、すみやかにISILに反撃を開始し、米露等と国際的な連携の拡大を進めた。オランド大統領は、事件をISILによる「戦争行為」だと非難した。事件の2日後の11月15日、フランス空軍は、ISILの拠点であるシリア北部ラッカを激しく空爆し、テロに屈しない断固たる姿勢を行動で示した。
 オランド大統領がISIL掃討作戦で米露との協力態勢を強化すると表明すると、オバマ米大統領は直ちに「フランスとともにテロや過激主義に立ち向かう」と表明した。安倍晋三首相は、テロの未然防止に向けて国際社会と緊密に連携する決意を示した。英国のキャメロン首相もシリア空爆に参加する意向を示した。またロシアのプーチン大統領は、テロリストへの対抗に関してフランスとの連携を発表した。
 とりわけオランド大統領がISILに対する攻撃で、ロシアとの協力に乗り出したことが注目された。フランスは、アサド政権との対決を後回しにして、まずISILを殲滅するためにロシアとの協力を選択した。フランスは、ロシアとの連携を得るや原子力空母シャルル・ドゴールを派遣して艦載機による激しい攻撃を浴びせた。ISILの二大拠点である北部のモスルとラッカ、戦略的要衝の中部ラマディ等への空爆を実施し、ISILの司令施設や整備施設を破壊した。
 パリ同時多発テロ事件は、フランスでの出来事であるだけでなく、欧州の中心部で起こった事件でもある。2014年(平成26年)から欧州では、中東や北アフリカから流入する移民や難民が急増している。その49%がシリアから、12%がアフガニスタンから、その他の多くがリビア等のアフリカ諸国からといわれる。それぞれ内戦と政情不安が原因である。こうした移民・難民に紛れてイスラーム教過激派のメンバーが欧州諸国に潜入している。パリ同時多発テロ事件で、そのことが浮かび上がった。事件が起こったのはパリだが、テロリストはベルギーやオランダ等にネットワークを広げていた。
 EUの場合、域内での「移動の自由」が保障されている。テロリストは、EUの域内に入ってしまえば、各国の国境を越えて自由に移動できる。地球上でこれほどテロリストが行動しやすい地域はない。こうしたEUの「移動の自由」が、パリ同時多発テロ事件のテロを許した背景にある。
 パリ同時多発テロ事件後、「移動の自由」を定めたシェンゲン協定の定期用を停止して、国境の検問等を再開した国は、8カ国に上る。中東や北アフリカからの難民・移民の受け入れに最も積極的なドイツも、国境検問を行っている。
 EU諸国には、フランスの国民戦線と同様に、移民政策の見直しを主張する政党が存在する。そうした政党への支持が増加傾向にある。EUは、国民国家(nation-state)の論理を否定する広域共同体の思想に基づく。だが、異文明からの移民を抱えて社会問題が深刻化し、さらに国境の機能を低めたことでテロリストの活動を許していることによって、広域共同体の思想そのものが根本から問い直されつつある。

 次回に続く。

イスラーム34~パリ同時多発テロ事件

2016-03-29 09:36:47 | イスラーム
●パリ同時多発テロ事件

 2015年(平成27年)11月13日パリで同時多発テロ事件が起こった。130人が死亡し、約350名が負傷した。フランスでは第2次世界大戦後、最悪のテロ事件となった。何よりISILへの空爆に参加している主要国の首都で大規模なテロが起こったことが、世界に衝撃を与えた。
 ISILが犯行声明を出した。ISILの壊滅をめざし、国際社会は連携して対応を行っている。本件については、拙稿「パリ同時多発テロ事件と国際社会の対応」に詳細を書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12-1b.htm
 実行犯は少なくとも10人に上るとみられる。彼らは、コンサートホールやカフェで自動小銃を乱射し、一般市民を無差別に殺戮した。その犯人たちは自爆死した。サッカー競技場でも爆弾を爆破したテロ犯も、自爆死した。
 テロリストたちは、最大限の被害をもたらすため、同一の爆発物を身に着けていた。自動小銃の扱いに慣れているようにみえ、身のこなしも軽かったと伝えられる。計算し尽くした作戦とみられる。
 主犯格は、ベルギー国籍のアブデルハミド・アバウドというモロッコ系のベルギー人で、2014年(平成26年)に内戦中のシリアに渡航し、ISILに参加した。フランス警察が、犯行グループの潜伏先の拠点を急襲して銃撃戦を行った際、アバウドは死亡した。
 犯人のうち少なくとも2名は、シリアのパスポートで難民の波に紛れてヨーロッパに渡っていたことがわかった。そのことによって、フランスやEUで移民政策の見直しが活発に議論されるようになった。
 パリ同時多発テロ事件後、フランスは速やかに非常事態宣言を発令し、国内の警備を強化した。ISILのテロリストは、劇場やカフェなど文化的・思想的に象徴的な場所で大量殺戮を企てただけではない。フランス経済の心臓部であるパリ西郊のデファンス地区への攻撃も画策していた。この地区は、フランスの石油や電力、保険、銀行など、同国を牽引する大手企業が本社を置く経済の中心地である。こうした計画は、イスラーム教過激派のテロは、無差別殺戮で人々を恐怖に陥れるだけでなく、国家の経済的中心部を破壊しようとしていることを意味する。このことにより、ISILによるテロは、テロというより戦争というべき水準、テロリストというより都市ゲリラというべき水準に来ていると考えられる。

●フランスにおけるイスラーム関係の事情

 拙稿「家族・国家・人口と人類の将来」に詳しく書いたが、家族人類学は、人類の家族型には平等主義核家族、絶対核家族、直系家族、共同体家族の四つがあることを明らかにしている。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09h.htm
 トッドによると、これらの家族型には、主に相続の仕方に違いがある。親が慣習に従って長子相続等を行うか、自由意思で子のうちから相続者を指名するか、兄弟間で特定の者が相続するか、平等に相続するか。こうした相続の仕方の違いが、価値の違いを生む。平等核家族は自由と平等、絶対核家族は自由と不平等、直系家族は権威と不平等、共同体家族は権威と平等を価値観とする。また、遺産相続における兄弟間の平等・不平等から、普遍主義と差異主義という二つの態度が生まれる。兄弟間の平等から諸国民や万人の平等を信じる傾向を普遍主義という。兄弟間の不平等から諸国民や人間の間の差異を信じる傾向を差異主義という。前者は、世界中の人間はみな本質的に同じという考え方であり、後者は、人間は互いに本質的に異なるという考え方である。
 フランスには、平等主義核家族と直系家族という二つの家族型がある。これら二つの家族型には、共通点がある。ひとつは、女性の地位が高いことである。フランスの伝統的な家族制度は、父方の親族と母方の親族の同等性の原則に立っており、双系的である。双系制では、父系制より女性の地位が高い。もう一つの共通点は、通婚制度が外婚制であることである。フランス人は普遍主義的だが、移民を受け入れるのは、双系ないし女性の地位がある程度高いことと、外婚制という二つの条件を満たす場合である。この最低限の条件を満たさない集団に対して、フランス人は「人間ではない」という見方をする。第2次世界大戦後、フランスに流入した移民の中で最大の集団をなすマグレブ人は、この条件を満たさない。マグレブ人とは、北アフリカ出身のアラブ系諸民族である。アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人の総称である。宗教は、イスラーム教徒が多い。マグレブ人の社会は共同体家族の社会である。女性の地位が低く、また族内婚である。フランス人が要求する最低条件の正反対である。そのため、フランス人は、マグレブ人を集団としては受け入れない。
 マグレブ人は共同体家族ゆえ、権威と平等を価値とする。フランスは、主に平等主義核家族ゆえ、自由と平等を価値とする。ともに平等を価値とするから、普遍主義である。世界中の人間はみな本質的に同じだと考える。フランス人が人間の普遍性を信じるように、マグレブ人も人間の普遍性を信じる。ただし、彼らが持つ普遍的人間の観念は、正反対のタイプの人間像なのである。フランス人もマグレブ人も、それぞれの普遍主義によって、諸国民や万人を平等とみなす。しかし、自分たちの人間の観念を超えた者に出会うと、「これは人間ではない」と判断する。双方が自分たちの普遍的人間の基準を大幅にはみ出す者を「間」とする。ここに二種類の普遍主義の「暗い面」が発動されることになった、とトッドはいう。
 第2次世界大戦後、フランスの植民地アルジェリアで独立戦争が起こった。戦争は、1954年(昭和29年)から62年(昭和37年)まで8年続いた。アルジェリア人の死者は100万人に達した。その悲劇は、正反対の普遍主義がぶつかり合い、互いに相手を間扱いし合ったために起こった、とトッドは指摘する。
ただし、フランス人には、集団は拒否しても、その集団に属する個人は容易に受け入れる傾向がある。実際、マグレブ人は婚姻によって、個人のレベルではフランス人との融合が進んでいる。
 今日、フランスは、欧州諸国の中でもイスラーム教徒の絶対数が多いことで知られる。比率も、人口の8%ほどを占める。トッドは、フランスは普遍主義に基づく同化政策を取るべきことを主張しているが、私は、どこの国でも移民の数があまり多くなると、移民政策が機能しなくなって移民問題は深刻化すると考える。その境界値は人口の5%と考える。フランスの人口比率は、その境界値を超えてしまっている。

 次回に続く。

イスラーム33~チュニジア国立博物館襲撃事件

2016-03-27 07:05:55 | イスラーム
●チュニジア国立博物館襲撃事件

 2015年(平成27年)3月19日北アフリカの地中海岸にあるチュニジアの首都チュニスで、武装したイスラーム教過激派集団が国立バルドー博物館を訪れた外国人観光客を襲撃し、観光客21人が死亡した。うち日本人は3人が犠牲になり、他に3人が負傷した。
 ISILは事件当日、インターネット上で音声による犯行声明を公表した。声明は、「十字軍と背教者どもを多数殺傷した」とテロの成果を誇示し、新たなテロを予告した。
 テロを実行したのは、ISILにつながる「アンサール・シャリーア」とみられる。チュニジアではジャスミン革命後、独裁政権時代には厳しく監視されていた過激なイスラーム教勢力が活動の自由を得て、武装組織を結成し、国内外の組織と連携を深めてきた。その中心的存在が、「アンサール・シャリーア」である。厳格なイスラーム法解釈による原理主義的な統治を目指す過激組織で、組織名は「イスラーム法の支援者」を意味する。チュニジアやリビア、イエメン等に同名を称する組織があり、ISILやアルカーイダに忠誠を誓うグループもあるという。
 イスラーム教過激派は、西欧発の現代国家を非イスラーム教的なものであり、破壊対象とする。イスラーム教過激派の論理では、非イスラーム教的な政府を支える外国人観光客を殺害することは、ジハード(聖戦)として正当化される。国立博物館を訪れた多数の国々からの外国人観光客を無差別に射殺すれば、世界各国に事件が報道され、過激組織が注目を浴びる。それによって、過激派内での評価や地位を高めたり、戦士や資金を多く集められたりするという効果をもたらす。こうした狙いをもって、襲撃事件は行われたと考えられる。
 チュニジアからは約3000人がシリアに渡り、そのうちの多数がISILに参加している。500人ほどがすでに帰国したとされる。東側に隣接するリビアが内戦状態にあることなどから、戦士や武器の流入を防ぐことは難しい。
 外国人観光客襲撃事件は、欧米諸国に衝撃を与えた。米国にとって、「アラブの春」による民主化が唯一成功しているチュニジアが不安定化することは、中東・アフリカ政策に大きな痛手となる。
 欧州ではこの年、1月のフランス風刺紙襲撃事件後、同月に再びフランスで、また2月にデンマークで連続テロが起きており、欧州連合(EU)域内の対策強化に努めていた。チュニスでの襲撃事件では、域外で多くのEU出身者が犠牲となった。EUは、中東などの戦闘に参加した欧州出身の若者が帰国後にテロを起こすことへの警戒を高め、これへの対処のため、中東や北アフリカ諸国との協力を強化する方針を決めた。だが、地中海の対岸にある北アフリカが不安定化すると、その波は地中海からアルプスを越えて、ヨーロッパを深く浸食するおそれがある。
 特にリビアでは、2014年(平成26年)以降、イスラーム教勢力を中心とする軍閥とこれに対抗する勢力との戦闘が激化し、多数の難民が発生し、欧州等へ流入している。地中海を粗末な船で渡ろうとして、沈没・水死する者も多数出ている。内戦状態で政府が機能しておらず、多くの武装組織の武器調達ルートとなっている。また、リビアでもISIL系過激組織が勢力を拡大している。ISILは、世界中のジハード戦士たちにリビアに集まるように呼びかけている。リビアには石油資源があり、ここを活動の拠点とすることを狙っている。ISILは、既にリビアの首都トリポリからスィルトを含む広範なエリアを「タラーブルス州」と勝手に宣言している。今後、混乱が続けば、リビアが欧米に対するテロの拠点となり、地中海を渡る難民に過激派が紛れ込んで欧州に侵入するおそれもある。
 また、ISILは、リビアで勢力を伸ばす一方、リビアに影響力を振るい得るエジプトをも標的にしている。同時にシナイ半島でのテロを活発化させており、東西の両側からエジプトのシーシー政権を揺さぶっているとみられる。

 次回に続く。

イスラーム32~ISILがシャルリー、ケンジ、中尉らを殺害

2016-03-25 10:00:54 | イスラーム
●ISILが各国で連続テロ

 2014年(平成26年)8月以来、米国を中心とする有志連合によるISILへの空爆は、2015年初頭の時点で、2000回以上に及び、打ち込まれたミサイルは7000発以上に上った。ISILは拠点を攻撃され、戦闘員が数千名死亡し、戦闘員の士気が低下したり、残虐な行為に疑問を感じて離反する者が出たりしているとみられた。空爆で原油関連施設が破壊されていることにより、資金源である原油の輸出量が減少した。石油市場での原油の値下がりも、資金獲得にマイナスになった。追い込まれたISILは、外国人を人質にとって脅迫したり、有志連合の結束を乱そうと揺さぶりをかけたりする新たな行動を起こした。
 2015年(平成27年)1月から2月にかけてISIL及びそれに繋がりがある者によるテロ事件が世界を震撼させた。1月7日のフランス風刺週刊紙襲撃事件、1月20日の日本人人質斬首事件、その後明らかになったヨルダン軍中尉焼殺事件である。

●フランス風刺週刊紙襲撃事件

 2015年(平成27年)1月7日フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ市内の本社が銃撃され、同紙の編集者や風刺画家を含む12人が死亡、20人が負傷した。
 「シャルリー・エブド」は、たびたびイスラーム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し、イスラーム教徒の反感をかっていた。事件当日発売された最新号は、イスラーム教の聖戦を風刺する漫画と記事を掲載していた。また襲撃を受ける直前には、ISILの指導者バグダーディーを風刺する漫画をツイッターに掲載していた。
 犯人らはフランス生まれのイスラーム教徒で、アルカーイダ系武装組織が事件に関与しているとともに、犯人らはISILへの忠誠を表明してもいた。
 フランスは、米国を中心とする有志連合の一員としてISILへの空爆に参加している国の一つである。それがイスラーム教過激派の襲撃を受ける理由の一つである。
 風刺週刊紙銃撃事件によって、宗教への批判を含む表現の自由を重んじる欧米諸国の価値観と、神や預言者のあらゆるものへの優先性を認めるイスラーム教の価値観の対立が、改めて鮮明になった。事件によって、テロの連鎖的な発生、報復に継ぐ報復、キリスト教とイスラーム教との文化的摩擦等の増大、EU諸国における移民政策の見直し等が起こった。

●日本人人質斬首事件

 続いて、2015年(平成27年)1月20日、ISILのグループが日本人2人の殺害を警告するビデオ声明を発表した。人質の身代金として、3日間の期限で日本国政府に2億ドルを要求した。わが国政府は、人質の解放を目指して努力したが、ISILは湯川遥菜氏、次いで後藤健二氏を斬首して殺害した。残念な結果となったが、日本国政府はテロに屈しない姿勢を貫いた。身代金の要求を拒否し、友好諸国の協力を得ながら人質解放のために可能な限りの努力をしたと評価できる。
 2月1日に公開した映像で、ISILは、日本国民へのテロ攻撃宣言を行った。この宣言は、極めて独善的かつ激しく狂信的なものだった。破壊衝動、殺戮願望に取り憑かれた異常な集団心理の表現と思われる。わが国は、仏教やヒンズー教の教えと全くかけ離れた思想でテロを正当化したオウム真理教の事件を経験している。宗教的な文言によって破壊・殺戮を説く指導者と、それに同調して集合し、サリンを撒くなどして無差別大量殺人を行う者たち。私はISILにオウム真理教と同じ異常心理を感じる。人間の心の中に潜む悪魔性が活動しているとも言える。

●ヨルダン軍中尉焼殺事件

 わが国は、先の日本人人質事件の際、ヨルダンに協力を求めたが、そのヨルダン軍のパイロット、カサスベ中尉が生きたまま火を付けられて殺害された映像が、2015年(平成27年)2月3日に公開された。
 ヨルダンは、米国を中心とするISILへの空爆に参加し、ISILの殲滅を図っている。その空爆に参加したカサスベ中尉は、ISILの人質にされていた。ISILは、中尉とテロリストの交換を求めていたが、中尉は既に約1か月前の1月3日に殺害されていたことが判明した。
 中尉の殺害は、欧米や日本等の異教徒ではなく、敬虔なムスリムを処刑するものだった。ISILの戦いは米欧の西洋文明に対する戦いとして、アラブ諸国をはじめ世界各国のイスラーム教徒の一部に共感を呼んできた。だが、カサスベ中尉の焼殺は、多くのイスラーム教徒の反感を買った。生きたまま焼殺するという方法は、アッラー以外に火あぶりの刑を認めないイスラーム法に反する。
 ヨルダン政府は、ISILへの報復を行うことを発表し、ヨルダン空軍は、2月5日から3日間集中的に空爆を行い、「復讐」を実行した。アブドゥッラー国王が自ら空爆に参加した。国王はヨルダン軍の特殊部隊のコマンダーの経験もあり、また攻撃ヘリのパイロットでもある。
 ヨルダンでは、「アラブの春」の影響でムスリム同胞団による反王制デモが起こり、その後もデモが頻発している。ISILへの断固たる処置は、国内の統治のためにも必要とみられた。
 ヨルダンは、イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウディアラビア、イラク、シリアと隣接しており、中東の心臓部ともいえる地政学的位置にある。中東の国ではあるが、石油は少量しか産出していない。経済は、リン鉱石やカリ鉱石の輸出、海外からの送金等に多くを負っており、米国・日本・EU等の財政支援なしには、国力を維持できない。最大の援助国である米国の意向を無視することはできない。空爆への参加には、そうした事情もあるだろう。
 ヨルダンは、ハーシム家の王制国家だが、人口の7割近くを王家と関係のないパレスチナ人が占めている。さらに、この人口約630万人の小国に、近年イラクから約40万人、シリアから約70万人、合わせて100万人を超える難民が流入している。政権は民主化を求めるパレスチナ人の宥和を図りながら、統治の安定を目指している。それに失敗すれば、王制が揺らぐ可能性がある。
 ISILは内政不安定な国を狙って戦略的にテロを行っている。ヨルダンは、そのような国の一つあり、テロの標的にされかねない。もしISILの攻撃で穏健親米国のヨルダンが崩れれば、ISILは、次にヨルダンの西側に位置し、長い国境で接するイスラエルに攻撃を仕掛けるおそれがある。

 次回に続く。