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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

改憲論15~自民党の過去の改正案とほそかわ私案

2018-05-27 08:41:59 | 憲法
4.自民党の過去の改正案とほそかわ私案

 次にこれまで書いたことを踏まえて、憲法第9条の改正を目指す動きについて述べる。
 憲法改正への動きを最も強く推進している政党は、自民党である。自民党は、昭和30年(1955年)の立党宣言に「自主独立の権威の回復」の文言を掲げた。だが、その後、自主独立の権威回復の要となる憲法の改正のできないまま、半世紀が経過した。そこで自民党は、平成17年(2005)の立党50年に当たって、「新綱領」の第一に「新しい憲法の制定を」を掲げた。
 この年、自民党は、憲法改正草案を発表した。そのうち第9条は、次のような案となっていた。

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●自民党平成17年版憲法改正草案より

第二章 安全保障

(安全保障と平和主義)
第九条 日本国民は、諸国民の公正と信義に対する信頼に基づき恒久の国際平和を実現するという平和主義の理念を崇高なものと認め、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する平和国家としての実績に係る国際的な信頼にこたえるため、この理念を将来にわたり堅持する。
2 前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
3 日本国民は、第一項の理念に基づき、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動に主体的かつ積極的に寄与するよう努めるものとする。

(自衛軍)
第九条の二 侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 自衛軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して行わなければならない。
4 自衛軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。

(自衛軍の統制)
第九条の三 自衛軍は、内閣総理大臣の指揮監督に服する。
2 前条第二項に定める自衛軍の活動については、事前に、時宜によっては事後に、法律の定めるところにより、国会の承認を受けなければならない。
3 前二項に定めるもののほか、自衛軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。
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 安全保障を独立した章として新設し、現行9条の主旨を維持しつつ、9条の二、三を設けて自衛軍を保持するとしたものである。
 私は、翌年となる平成18年の拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」でこの案を批判し、憲法改正私案を提示した。私案の全体は、下記の掲示文をご参照願いたい。私は自民党員ではなく、どの党の党員でもない。一国民として意見を述べている者である。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08h.htm
 本稿では、第9条にかかわる私案の条文のみを掲示する。条文の番号が現行憲法と異なるのは、私案全体における通し番号になっていることによる。

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◆ほそかわ案より

(国際平和の希求、侵攻戦争の否定)

第十三条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
2 前項の目的を達するため、我が国は国際条約を遵守し、国際紛争を平和的手段によって解決するよう努める。

(自衛権、国防の義務と権利の制限)
第十四条 日本国民は、国家の平和と独立、国民の生命と財産、自国の伝統と文化を守るため、自衛権が自然権であることを確認する。
2 わが国は、自衛権の一部である集団的自衛権を保有し、平和を維持するため、国際的な相互集団安全保障制度に参加することができる。
3 日本国民は、統治権を共有する者として、国防の義務を負う。また、国家防衛と治安維持のために、必要最低限度において、自由と権利の制限を受ける場合がある。

(国軍)
第十五条 外国からの武力攻撃やテロリズムから我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の生命及び財産を保守するため、国軍を保持する。
2 国軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 国軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して行わなければならない。
4 国軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。

(国軍の統制)
第十六条 国軍の最高指揮権は、内閣総理大臣に属する。
2 内閣総理大臣は、国家安全保障会議を組織し、これを統括する。国家安全保障会議については、法律で定める。
3 前条第2項に定める国軍の活動については、第十九条に規定される非常事態宣言が発せられている場合を除いては、国会の承認を必要とし、動員には、外国の侵攻を受けた場合またはその危険が切迫した場合の他は、国会の事前の承認を必要とする。
4 前3項に定めるもののほか、国軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。

(軍人の地位) 
第十七条 現役の軍人は、内閣総理大臣及びその他の国務大臣になることができない。
2 軍人については、軍隊の規律を保ち、その任務を遂行するに必要な限度において、第五章の規定の適用を排除することができる。

(軍事裁判所)
第十八条 軍人は、軍事上の犯罪について、軍事裁判所の管轄に服する。
2 軍事裁判所は、最高裁判所の統括管理に服せず、内閣総理大臣がこれを統括管理する。
3 軍事裁判所の組織、訴訟手続については、法律でこれを定める。

(註 非常事態条項については、本稿では割愛する)
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 次回に続く。

改憲論14~自衛官の宣誓、国民の印象、実態と自己欺瞞

2018-05-25 12:42:10 | 憲法
(10)自衛官の宣誓

 自衛官は、任官に当たり、「ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える」と宣誓する。国家の主権と独立、国民の生命と財産を守るために、命をかけて任務に当たっているのが、自衛官である。そうした職業を選び、その職務に専心している人々に対して、国民は敬意を抱くべきである。
 人間には利己心と利他心があるが、国家・国民を守るために危険を顧みず、生命をかけて務めを果たすことは、最も強く利他心を発揮する行為である。国家という一つの共同体は、命を懸けてその共同体を守る者が存在しなければ、危難に遭遇した時に崩壊する。危難のうち最大のものは、主権と独立が脅かされる事態、特に外国による侵攻である。それゆえ、普通の国では、国家・国民の防衛のために貴い生命を捧げた人々に深く感謝し、篤い敬意を表し、最高の名誉を与える。
 わが国では、自衛隊創設以来、訓練中の事故等によって、約1,800人の自衛官が殉職している。殉職自衛官は、外国の侵攻に立ち向かう自衛戦争の中で斃れたのではない。だが、わが国の平和と安全を守るためには、日常の厳しい訓練が欠かせない。その訓練において殉職した自衛官に対しては、国家危急の時に散華し、靖国神社に祀られている英霊と同様に、感謝と慰霊の誠が捧げられるべきである。

(11)国民の印象

 自衛隊は、創設以来、これを違憲だとする見方があり、多くの国民から冷たい目で見られてきた。自衛官が殺人者のように罵倒されたり、自衛官の子供がいじられたりすることが長く続いた。しかし、そのような中でも、自衛員は黙々と任務に勤しむことにより、段々国民の支持を拡大してきた。特に平成23年(2011年)の東日本大震災における献身的な救助活動は、国民の多くに感動をもたらした。
 平成27年(2015年)1月に内閣府が行った世論調査では、全般的に見て自衛隊に対して良い印象を持っているか聞いたところ、「良い印象を持っている」とする者の割合は92.2%だった。内訳は「良い印象を持っている」が41.4%、「どちらかといえば良い印象を持っている」が50.8%である。一方、「悪い印象を持っている」とする者の割合は4.8%だった。内訳は「どちらかといえば悪い印象を持っている」が4.1%、「悪い印象を持っている」が0.7%だった。国民の9割以上が、自衛隊に良い印象を持っており、悪い印象を持っている者は5%に満たない。
 このように国民の大多数が自衛隊に良い印象を持っていながら、現行憲法では、自衛隊の存在は違憲だという見方が、憲法学者の約7割を占めている。この乖離を埋めることが、強く求められている。
 自衛隊は合憲のか、違憲なのか、憲法上明確な根拠規定がないとされる現状を改善する必要がある。

(12)実態と自己欺瞞

 自衛隊は、普通の国であればそれぞれ陸海空軍に相当する陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊からなり、加えて自衛隊を管理・運営する防衛省が設置されている。
 自衛隊の予算は、ほぼイギリスの軍事予算と同額で、年間5兆円を超える。また、自衛隊は、現代的な最新技術の装備と編成による22.4万人を擁する実力組織である。また、自衛隊は士気、能力、練度ともに高い。その実力は、世界第7位といわれる水準にある。この水準は、台湾、ベトナム、マレーシアなどの軍隊を上回る。これらの国々が保持する軍隊は戦力だが、自衛隊は戦力ではなく、軍隊でもないというのは、外国には通じない詭弁である。自衛隊は、最新型の戦車、巡航ミサイル、イージス艦、戦闘機、潜水艦等を保有する。国際的にみれば軍隊である。その実力は、警察力を遥かに超えている。自衛隊の実態は、自衛戦争を行うための防衛力としての戦力を持つ国防軍である。
 わが国の政府が、自衛隊は憲法の禁止する戦力ではなく、「必要最小限度の実力組織」だと欺瞞的な位置づけをしてきたのは、憲法第9条に問題があるからである。また、自衛隊は国際社会では軍隊とみなされるが、国内では軍隊ではないとされるという矛盾におかれている。これもまた欺瞞である。冒頭に第9条の問題点を述べたが、第9条を改正しなければ、わが国は自己欺瞞から脱することができない。

 次回に続く。

改憲論13~専守防衛政策の誤り

2018-05-23 08:53:35 | 憲法
(9)専守防衛政策の誤り

 現在では、あたかも憲法制定以来の原則であったかのように誤解されている「専守防衛」という言葉は、昭和40年代に入って出始めた言葉である。当初、専守防衛は、政治的な用語で、確定した定義はなかった。45年ごろ当時の中曽根康弘官房長官が言い出したらしい。
 防衛庁は、昭和45年(1970年)に『日本の防衛』を発表した。初めての防衛白書である。この白書は、「専守防衛の防衛力」という項目に、次のように記述している。
 「わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする。専守防衛の防衛力は、わが国に対する侵略があった場合に、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである」。
 「専守防衛」を本旨とするとしながら、「戦略守勢」という用語も使用している。「戦略守勢」は軍事用語で、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地へも反撃を行う。また、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃を行うことも含む。
 したがって、昭和45年の時点では、専守防衛といっても、防衛庁の見解は、攻撃を受けた場合の敵基地への反撃や自衛のための先制攻撃ができるものだったと考えられる。
 また、この昭和45年版防衛白書は、核兵器については、次のように述べている。
 「(註 わが国は)核兵器に対しては、非核三原則をとっている。小型の核兵器が、自衛のため必要最小限度の実力以内のものであって、他国に侵略的脅威を与えないようなものであれば、これを保有することは法理的に可能ということができるが、政府はたとえ憲法上可能なものであっても、政策として核武装しない方針を取っている」
 法理的に可能という部分は、昭和35年(1960年)の岸信介首相がそのような見解を出しており、その見解を保つものである。政策上の方針とは、佐藤栄作首相が打ち出した非核三原則を指している。これらを踏まえて、核武装は「たとえ憲法上可能なものであっても、政策として核武装しない方針」と表現している。「政策として」と明記しているので、政策の変更がありうることが含意されている。
 そして、この白書は、他国を侵略する兵器は持てないが、自衛のために攻撃する兵器は持てるという見解を示していた。B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦、大陸間弾道弾(ICBM)等は保有しないとしているが、世界最高級のB52まではいかない長距離爆撃機であれば、保有しうるということである。モスクワまで届くミサイルは持てないが、シベリア、北京に届くミサイルを持つことは可能。シーレーンを往く艦船を護衛する小型空母は可能――こういう余地があったわけである。
 現行憲法の下でも、45年版防衛白書は、このように書いていた。この白書の内容のままであれば、わが国は平成になって北朝鮮の核に右往左往することなく対応でき、外交においても、もっと毅然とした姿勢を取り得ただろう。
 ところが、この後、専守防衛という用語は、戦略守勢と異なる受動的な防御を専らとするという意味に変質した。わが国の防衛政策は、昭和40年代後半から大きく後退してしまったのである。この後退には、米中接近・日中国交回復という戦略・政略の一大変化が関係していた。
 防衛戦略の重大な変更は、日中国交回復の翌月に行われた。昭和47年(1972年)10月31日、田中角栄首相は、衆院本会議で次のように答弁した。
 「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うということでございまして、これはわが国の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。
 なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されないーー専守防衛と同様の意味を持つものでございます」と。
 これが、その後、わが国の防衛政策を制約している政策の変更である。田中は、ここで専守防衛を「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と説明した。
 田中のいう意味での専守防衛は、戦略守勢の概念とは大きく異なる。戦略守勢は、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地に反撃するし、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃することも含まれる。
 ところが、田中は、戦略守勢を、自分が上記のように定義した専守防衛と同様の意味のものであるという。これは、戦略守勢の本来の意味を否定し、受身の防御をもって「専守防衛=戦略守勢」だと歪曲したものである。
 田中は、日中国交回復によって、経済的な利益を求める一方、わが国の防衛を危うくした。私は、国益を大きく損ねた重大な過失だと思う。
 専守防衛という政策は、よほど国防をしっかりしないと、国を危うくする。相手が攻めてくるのを防ぐのみでは、相手はこちらが防ぎきれなくなるまで攻め続けるだろう。よほど守備がしっかりしていないと、執拗な攻撃を防ぎきれず、敗北する。スポーツでも武道でも、彼我の力に大差がない限り、防御だけで守り通すことは、できない。
 もし専守防衛という理想を追求するなら、よほど国民の国防意識を高め、共同防衛の義務を徹底し、防備と訓練を怠らないようにしなければならない。私は、永世中立国だったスイスに学ぶべきものが非常に多いと考えているが、わが国は、スイスに比べ、国民の国防意識が著しく低く、防衛の装備も訓練もされていない。非常事態のマニュアルもない。核シェルターもない。受身一方の専守防衛政策を取りながら、国民をこのような状態に置いてきた政治家の怠慢は、許しがたい。しかし、これもまた、そうした政治家を選び、国政をゆだねてきた国民の責任である。
 昭和47年の田中答弁の後、昭和51年に「防衛計画の大綱について」が策定され、第二版の防衛白書が発表された。
 この白書では、「戦略守勢」という軍事用語が削除された。すなわち、「わが国の専守防衛に徹する防衛力‥‥」とか「わが国の防衛力は自衛に徹する専守防衛のものでなければならない」とかの表現が使われ、戦略守勢とは言っていない。ここでの専守防衛は、45年版のそれとは意味が変わっている。自衛のための攻撃を行わない受動的な防御の意味になっている。田中が「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と定義した専守防衛に変化している。
 昭和45年版の防衛白書は、他国を侵略する兵器は持てないが、自衛のために攻撃する兵器は持てるという含意のある見解だった。ところが、昭和51年版では、専守防衛の意味の変化により、自衛に用いる攻撃的兵器が持てなくなった。
 45年版は、ICBM、B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦等は保有しないとしていたが、51年版では、中長距離弾道弾(ICBM、IRBM)、長距離爆撃機、攻撃型航空母艦等は保有しないという内容になった。45年版は、モスクワまで届くミサイルは持てないが、シベリア、北京に届くミサイルは持てたが、51年版は、北朝鮮に届くミサイルも持たない。中距離弾道ミサイル(IRBM)を持たないからである。長距離爆撃機には「B52のような」という限定がなくなり、長距離爆撃機を一切持たないことした。
 これによって、わが国は敵基地を攻撃し得る兵器を持つ意思を否定した。これは、防衛戦略の大きな後退である。憲法の規定は、変わらない。同じ9条2項のもとで、国防の制約を自ら行ったものである。
昭和47年から、わが国は受動的防御に徹する専守防衛を国是としている。相手から攻撃されるまでは絶対に手を出さない、外国に脅威を与える軍事力を持たない、非核三原則を堅持するというのが、それである。
 そのため、ここにきて北朝鮮の軍事力に脅威を覚え、「反撃」だ、「先制攻撃」だ等と言っても、現在の自衛隊では対処できない。そのための兵器を整備してきていないからである。IRBMも、長距離爆撃機も、攻撃型航空母艦もなく、相手に有効な損害を与えることはできない。これでは、侵攻を抑止する抑止力にはならない。

 次回に続く。

・関連掲示
 拙稿「核大国化した中国、備えを怠る日本~日中戦後のあゆみ」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12c.htm 

改憲論12~自衛隊の予算・評価・人員・装備

2018-05-21 13:34:31 | 憲法
(5)予算

 日本の防衛費は、世界各国の軍事費と比べると、金額において平成27年(2015年)時点で第7位に位置する。第1位から並べると、①米国、②中国、③サウディ・アラビア、④ロシア、⑤イギリス、⑥フランス、⑦日本、⑧インド、⑨ドイツ、⑩韓国の順である。日本の防衛費は、GDPの1.0%を上限としている。これら上位10各国には、軍事費のGDP比率は2~3%台の国が多い。日本のGDP比率は、10ヶ国中で最低である。
 日本の防衛費は、陸上組織よりも海上組織と航空組織に多くの予算を回している。
 政府は、平成30年度(2018年度)の一般会計予算の総額を過去最大となる97.7兆円に設定した。これと同じく防衛費も約5.2兆円と過去最高額となった。

(6)評価

 自衛隊の実力を軍事力として、世界各国と比較するとどの程度に評価されるか。
軍事分析会社グローバル・ファイヤーパワーの「世界の軍事力ランキング2017年版」では、第7位にランクされている。第1位から並べると、①米国、②ロシア、③中国、④インド、⑤フランス、⑥イギリス、⑦日本、⑧トルコ、⑨ドイツ、⑩イタリアの順である。
 陸海空の3自衛隊のうち、海外では特に海自の実力への評価が高い。多くのランキングが世界で第2位~第5位としており、中国海軍を上回って、アジア最強という見方もある。こうした評価は、装備の優秀性だけでなく、自衛隊員の質の高さを反映したものである。

(7)人員

 平成29年版の防衛白書によると、平成29年(2017年)3月31日現在、自衛隊の人員は、224,422人である。内訳は、陸上自衛隊約13.6万人、海上自衛隊は約4.2万人、航空自衛隊は約4.3万人である。他に予備自衛官、防衛省相職員が約7万人いる。
 自衛隊には定員があり、約24.7万人と定められている。上記の約22.4万人は、充足率90.8%である。人員は減少の傾向があり、人で不足となっている。

(8)装備

 わが国は、防衛費、一般的には軍事費において世界第7位にランクされながら、政府が専守防衛の政策を採っており、海外に侵攻・展開できるような装備は持っていない。
 たとえば、自衛隊は長射程のミサイルや長距離飛行の可能な爆撃機を保有していない。これらは、他国を侵攻するための攻撃用兵器と映るから、自制しているものである。自衛隊が保有するミサイルや爆弾は、日本の領空・領海・領土に侵出してきた敵国に対する自衛のための武器であって、敵国に攻め込んで基地や軍事施設を叩く能力を持っていない。

 次回に続く。

改憲論10~自衛隊創設の経緯

2018-05-16 09:23:11 | 憲法
3.自衛隊とは何か

 憲法第9条をめぐる議論は、自衛隊に関する議論でもある。本稿ではこれまで自衛隊について幾度か言及してきたが、いったい自衛隊とはどのようなものであるか。

(1) 概要
 
 自衛隊は、日本の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略および間接侵略に対して防衛することを主な任務とする部隊および機関である。昭和29年(1954年)6月に防衛庁設置法および自衛隊法によって設置された。現在自衛隊は、防衛省本省、統合幕僚監部、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊、防衛施設庁の総称として使われている。
 自衛隊は、警察と軍隊の中間的な組織であり、警察軍としての一面と国防軍としての一面がある。こうした複雑な性格を持っているのは、その創設までの経緯によっている。
 次に、その経緯を書いたうえで、任務・行動・権限・予算・評価・人員・装備等について述べる。

(2) 創設までの経緯

 大東亜戦争の敗北の結果、わが国は、連合国軍総司令部によって占領され、旧大日本帝国陸海軍は解体された。わが国は、国防のための実力組織を持たない被占領国となった。GHQは秘密裏に英文で憲法の草案を作り、それをもとにした日本国憲法が、占領下の昭和22年(1947年)5月3日に施行された。日本国憲法は、前文で「安全と生存」を「平和を愛する諸国民」に委ねるとし、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を規定した。占領期間の終了後、日本が独立と主権を回復した時、国防や治安維持をどのように行うか。それが占領下のわが国の一大課題だった。
 昭和25年(1950年)6月25日、北朝鮮軍の侵攻により、朝鮮戦争が勃発した。これに対処するため、在日米軍が約8万人派兵された。7月8日、連合国軍最高司令官マッカーサーは、空白となった日本の治安維持と防衛を担当させるため、警察予備隊の設立を指示した。これに基づいて8月10日、警察予備隊令が公布され、即日施行された。占領命令を実施するためのポツダム政令によるものだった。警察予備隊は7万5000人で設立され、総理府の機関として組織された。
 警察予備隊の目的は「警察力を補う」ことであり、治安維持のため特別の必要がある場合に内閣総理大臣の命を受けて行動するものとされた。だが、実質的には、在日米軍を補完する小型陸軍の建設が目的だった。師団相当の管区隊4個が全国に配備され、在日米軍の警備任務を引き継いだ。小銃、機関銃、ロケット弾発射筒、迫撃砲などが米軍から貸与された。準軍隊的な組織であり、一部の国に見られる警察軍に当たると言えよう。後にこれが陸上自衛隊に発展した。
 マッカーサーは、警察予備隊の設立を指示した際、海上保安庁の定員を8000人増加することも指示した。海上保安庁は「海の警察」であるが、旧海軍の残存部隊がこれに加わっていた。昭和27年(1952年)4月26日、海上保安庁法の一部が改正され、海上保安庁に海上警備隊が創設された。陸上における警察予備隊に相当するものであり、日本海軍の不在を補うものである。海上警備隊の任務は、海上における人命・財産の保護、治安維持のため緊急の必要がある場合、海上で必要な行動をすることだった。やはり準軍隊的な組織であり、海上の警察軍的なものと言えよう。後にこれが海上自衛隊に発展した。
 昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、わが国は独立を回復した。主権の一部は制限されたままとはいえ、独立主権国家として国際社会に復帰した。
同日、日米安全保障条約(旧日米安保条約)が発効した。この条約は、日本における安全保障のため、アメリカ合衆国が関与し、米軍を日本国内に駐留させることなどを定めたものである。米国には日本を守る義務があるが、日本には米国を守る義務のない片務的な条約であり、形を変えた占領の延長という性格を持っていた。この時点の日本には、自力で国を守る力はなく、国防を米国に依存する体制となった。
 昭和27年4月の独立回復後、保安庁法が国会に提出され、7月31日に可決された。翌8月1日、警察予備隊と海上警備隊を管理運営するために、総理府の外局として保安庁が設置された。警察予備隊は保安隊に改組され、海上警備隊は保安庁の管轄下に移った。これらの部隊の任務は、「わが国の平和と秩序を維持し、人命、財産を保護するため特別の必要がある場合に行動する」ことだった。
 陸上の保安隊には、榴弾砲、戦車、連絡機などが米軍から貸与され、海上の警備隊にはフリゲート艦、上陸支援艇が引き渡された。任務はあくまで治安維持だったが、陸上海上とも準軍隊的な組織が一段と実力を増大することになった。
 昭和29年(1954年)6月、防衛庁設置法および自衛隊法が成立した。これらを合わせて、「防衛二法」という。これらの法律の施行により、保安隊は陸上自衛隊、海上警備隊は海上自衛隊に改編された。翌月、新たに領空警備を行う航空自衛隊も設置され、ここに陸・海・空の3自衛隊が発足した。
 自衛隊は、現行憲法と日米安保条約のもとで、自立した実力組織ではなく、在日米軍を補完する組織として設立された。米軍を「矛」とすれば、自衛隊は「盾」の役割を担っている。言い換えれば、自力だけでは日本を守ることのできない実力組織が、自衛隊である。先に警察力・侵攻力・防衛力について書いたが、この点において、高度の警察力を持つ警察軍としての性格と、防衛力のみを持つ実力組織としての国防軍という性格を併せ持っている。

 次回に続く。

改憲論9~戦力ではない実力という欺瞞

2018-05-14 09:32:55 | 憲法
(14)戦力ではない実力という欺瞞

 自衛隊は、政府によって「最小限度の実力組織」とされている。実力は、警察力、防衛力、侵攻力に分類できる。これらの実力のうち、戦力と見なされ得るのは、どのような実力であるか。
 (11)に書いたように、戦力とは「戦争を遂行するための力」「戦争を遂行しうる力」「対外的な戦闘を行う手段となるいっさいの実力」である。その点から言って、まず国内の治安維持等のための警察力が、戦力ではないことは明らかである。次に、他国への侵攻を目的とする侵攻力は、侵攻戦争を遂行し得る実力であるから、明らかに戦力である。それゆえ、問題は、外敵からの独立と主権の守備等を目的とする防衛力は、戦力と言えるかどうかに絞られる。
 外敵の侵攻と戦う戦争は、自衛戦争である。自衛戦争を遂行し得る実力は、戦力である。それゆえ、防衛力は戦力であると言わねばならない。
 戦闘には攻撃と守備の両面があり、攻撃を行う力が守備に役立ち、また守備を行う力が攻撃にも役立つ。ただし、自国を守備するための攻撃と、他国を侵攻するための攻撃は異なる。それによって、戦闘を行う組織の編制や装備、技術等も異なる。それゆえ、防衛力を担う組織の実力は、自衛戦争を遂行することに限定された戦力である。
 侵攻力には攻撃と守備の両面があり、防衛力も同様である。侵攻力においては攻撃力が主であり、守備力が従である。防衛力においては守備力が主であり、攻撃力が従である。侵攻的攻撃力は他国に侵攻するための攻撃力であり、防衛的攻撃力は侵攻してきた外国軍を攻撃するための攻撃力である。それによって、装備は大きく異なる。大陸間弾道弾、長距離爆撃機等は侵攻的攻撃力を構成するための武器であり、地対空ミサイル、短距離戦闘機等は防衛的攻撃力を構成するための武器である。
 ただし、侵攻力と防衛力は、戦力として全く異なる性格を持つわけではない。核時代において、相手国が核兵器を持っている場合、戦争を抑止する最大の防衛力は核兵器を持つことである。相手国が戦略核兵器を使って侵攻できる大陸間弾道弾、長距離爆撃機等を持っている場合、最大の防衛力は同様の戦略核兵器を持つことである。それゆえ、その兵器は侵攻力として使用することもできる。だから、核攻撃を受ければ、核兵器で報復するという能力を持っていることが、戦争抑止力となる。このように攻撃力と侵攻力はコインの両面のような性格を持っている。
 それでは、自衛隊の実力は、戦力であるのか、ないのか。戦力とは何かついて既に概略は書いたが、これを掘り下げて検討するならば、戦力には解釈上、諸説ある。日本大百科全書(ニッポニカ)は、次のように解説している。

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(1)広義に解する説では、戦力とはなんらかの形で戦争に役だつすべての力をさす。この説によれば、警察力、飛行場、航空機およびその製造工業・重工業、原子力研究など、平時には戦争以外の目的のものでも、いざというときに戦争目的に役だつものはすべて戦力となる。日本国憲法制定当初において有力な説であった。
(2)戦争を遂行する目的と機能をもつ組織的な武力をさし、(1)に掲げた平時用のものは除かれる。この説においては、警察力と戦力とをはっきり区別する。警察力とは、目的・装備・編成などの点で国内の治安維持に必要な程度をいい、この程度を超えたものが戦力であって、現在の自衛隊はこの意味の戦力に該当するとされる。この学説をとるものが現在は多い。
(3)近代戦争遂行能力を備えた実力をさす。この説によれば、相当高度の組織と装備をもつものでないと戦力にはならないことになる。従来の政府の考え方がこれと一致し、警察力と戦力の間にもう一つの実力(防衛力)があるとされ、したがって、この考え方によれば、自衛隊は防衛力であって、戦力ではないとされる。
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 上記の(2)は「戦争」を遂行する目的と機能をもつ組織的な武力を戦力とする。これに対し、 (3)は戦争のうち「近代戦争」の遂行能力を備えた実力のみを戦力とする。
 では、近代の戦争と前近代の戦争を分けるものは、何か。基本的には、兵器の技術水準である。兵器の歴史では、前近代と近代との間で、弓矢から銃へ、投石器から大砲へと飛び道具の飛躍的向上があった。13世紀にシナで火薬が武器に使用されるようになり、15世紀にヨーロッパで火縄銃が発明された。以後、火打ち式(フリントロック式)、ライフル(施条式銃)、金属薬莢式自動拳銃等が開発された。1950年代に自動小銃が世界的に普及した。また、この間、15世紀にヨーロッパで石の砲丸を発射する大砲が使用され、同世紀中に鉄製の砲丸に変わった。1940年代にミサイルが開発され、それが大陸間を飛行する0ものや核兵器を搭載するものへと発達した。
 こうした兵器の歴史において、火縄銃や鉄製砲丸以降の火器は、近代西洋文明の世界侵出を可能にした武器である。また、「近代戦争」とは、火縄銃以降の銃や鉄製砲丸以降の大砲を使用する戦争ということができる。それゆえ、戦争遂行能力について近代戦争のレベルか前近代戦争のレベルかという分け方は、戦力か、それとも戦力未満の実力かという判断の基準として、ほとんど意味をなさないほどに不十分である。
 わが国は憲法9条2項により戦力不保持を定めているが、わが国政府は「必要最小限度の実力」を保持することはでき、自衛隊は「必要最小限度の実力組織」であるから戦力ではないという立場を取ってきている。私は、この考え方は欺瞞的だと思う。自衛隊は外国の侵攻から日本の独立と主権、国民の生命と財産を守る自衛のための戦争を戦うことのできる実力組織である。自衛戦争を遂行し得る実力は、戦力である。戦力のうち、侵攻力ではなく防衛力のみを保持する実力組織が、自衛隊であるということになるだろう。その点では、侵攻力と防衛力をともに持つ一般的な軍隊に比べ、防衛力だけを持つ国防軍という性格を持っている。
 以上、憲法第9条の改正を検討するに当たって、基本的な概念の整理を行った。ここであらためて浮かび上がるのが、自衛隊とは何かという問題である。

 次回に続く。

改憲8~警察、軍隊、自衛隊

2018-05-12 08:41:54 | 憲法
(12)警察と軍隊の違い

 警察力は、主に警察が保有する実力であり、防衛力・侵攻力は軍隊が保有する実力である。
警察は軍隊とともに、多くの国家が保有する組織である。警察は軍隊とは別に、武器を保有する実力組織である。広辞苑は、警察を「社会公共の安全・秩序に対する障害を除去するため、国家権力をもって国民に命令し、強制する作用。またその行政機関。行政警察」と定義している。警察は、こうした目的を持つ組織として、法を執行するため、必要な実力を有する。その実力が、警察力である。
 わが国の警察法は、警察の任務として「国民の生命・身体・財産の保護、犯罪の予防・鎮圧・捜査、被疑者の逮捕、公安の維持」を定めている。警察力は、これらの任務を遂行するために必要な実力である。
 わが国の警察は、警棒・拳銃のほか催涙弾、放水砲、装甲車、短機関銃等を保有する。これらの装備では、外国から侵攻する軍隊とは戦えない。国内であっても、重機関銃やバズーカ砲、ロケット弾等を使用する大規模な武装集団が内乱を起こしたならば、警察が鎮圧するのは困難である。多くの国の場合、警察が鎮圧できない程度の内乱・騒擾は軍隊が出動し、治安維持を行う。わが国においては、警察力では治安を維持することができないと認められる場合、内閣総理大臣の命令または都道府県知事の要請によって、自衛隊が治安出動を行う。この場合、自衛隊が治安出動で行使する筆力は、警察力の高度なものである。この点を加えて言い直すならば、一国が保有する警察力は、低度のものは警察が保有し、高度なものは軍隊が保有する。軍隊は、高度な警察力とともに、防衛力・侵攻力を持つ。
 警察も軍隊も、その目的の中に国民の生命・財産を守ることを持つ機構だが、この二つには大きな違いがある。警察は、国内における治安維持・犯罪防止等を主たる任務とする。軍隊は、対外的に国の主権と独立を守るために、外国の軍隊への対応を主たる任務とする。そのため、警察と軍隊では、許される行動原理が違う。
 警察は、その権限を国内法によって付与され、国内法で認められたことしか行使できない。警察権は国民に対して行使されるため、国家権力の乱用を防ぐためにこうした規制がかけられている。また、警察力の行使は、国内に厳格に限定されている。警察官は文官であり、武官(軍人)ではないので、戦時国際法における軍人として扱われることはない。
 これに比し、軍隊は、主に他国の軍隊と戦闘することを目的としており、軍隊に与えられる権限は、国際法による。また、軍事力の行使が可能な領域は、国内に限定されない。軍隊の権限は、国際法の主権絶対の原則や主権平等の原則に基づく。軍隊は、戦時国際法で禁止されていること以外は権限を行使できる。基本的には原則無制限の権限である。戦時国際法による禁止事項とは、毒ガス等の国際的に禁止されている兵器の使用、非軍事施設への攻撃、捕虜の虐待等である。それ以外については、軍隊は自国を守るため、国際法に従って自由に行動し、権限を行使することができる。軍隊にこのような自由が認められているのは、外国の侵略はいつどこでどのように行われるか、全く予測できないからである、警察のようにあらかじめ許された行動規定を設けるのでなく、いかなる事態にも対処できるように、こうした自由が認められているのである。
 世界的に軍隊を持たない国は、ローマ・カトリック教会の宗教国家であるバチカン市国、人口500万以下の小国コスタリカなどごくわずかである。コスタリカは、1949年の憲法で常備軍を廃止したが、その憲法は非常時徴兵を規定している。
 大多数の国では、軍隊が保安機能を持ち、その機能の一部を担っているのが警察という関係になっている。ただし、人口や政府機関の人員が少ない国では、警察と軍隊が明確に分離していないことが多い。例えば、トンガでは、軍人の過半数が普段は警察官としての業務を行っている。また、警察が警察軍と呼ばれる準軍隊的な組織を保有している国もある。わが国の自衛隊は警察予備軍を前身の一つとしており、警察軍としての性格を持っている。

(13)軍隊と自衛隊

 自衛隊は、軍隊であるか、軍隊でないかについて説が分かれている。政府の見解は、平成27年(2015年)4月3日に閣議決定された答弁書に示されている。それによると、自衛隊は、「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」が「自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織」であり、「国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる」という。答弁書の主要部分は、次の通り。
 「国際法上、軍隊とは、一般的に、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられている。自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであると考えているが、我が国を防衛することを主たる任務とし憲法第九条の下で許容される『武力の行使』の要件に該当する場合の自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織であることから、国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる。」
 自衛隊が国際法上は軍隊として取り扱われるということについては、戦時国際法関連の条約は、「戦争に参加した軍隊」に適応されるのではなく、「紛争に参加した国の組織的な戦闘員全て」に適応されるとしている。それゆえ、わが国が自衛隊を軍隊と規定していなくとも、軍隊と同様の組織として取り扱われると理解される。
 それでは、自衛隊が武力を行使した場合、その行為は国際法上、戦争と認められるか。この点に関し、平成14年(2002年)2月5日に閣議決定された「戦争」「紛争」「武力の行使」等の違いに関する政府の答弁書は、次のような見解を示している。
 「憲法第九条第一項は、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められているところであると解されるから、自衛隊が自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第八十八条に基づいて必要な武力を行使したとしても、憲法第九条で禁止されている『国権の発動たる戦争』には当たらないと考える。」
 自衛隊法第88条は、防衛出動時の武力行使を定めるものである。
 さて、政府見解によると、憲法9条1項はすべての戦争を放棄したものであるから、自衛戦争も放棄したという意味になる。だが、1項は独立国家に固有の自衛権までも否定するものではないと解するので、自衛権を発動して自衛隊が武力を行使しても、それは戦争ではないことになる。自衛戦争ではなく、自衛のための武力行使であり、軍隊ではない実力組織がそのために武力行使を行うことは、戦争ではないという論理である。ここには、自衛隊は警察でも軍隊でもなく、その中間に位置する実力組織だという考えがある。また9条2項は戦力の不保持を定めており、自衛隊の持つ武力は戦力ではなく、「必要最小限度の実力」であるという見解に立っている。これに対して、政府の見解に矛盾を感じ、自衛隊の持つ能力は戦力であるという見方がある。

 次回に続く。

改憲論7~武力、兵力、戦力、実力

2018-05-10 11:12:30 | 憲法
(9)力とは何か

 戦力、武力、実力等の概念は、それぞれ何を意味するのか。
 日本国憲法は、武力以外に戦力という言葉を用いている。またわが国の政府は実力という言葉も用いている。これらは、どれも力の概念に基づく言葉である。
 力とは何か。力は、物事を生起させる原因に係る概念である。日常的な言語では、目には見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを、力という。
 力とはまず身体的な力である。その典型が腕力である。腕の動きは、押す、掴む、殴る、奪う、投げる等、直接相手の身体に働きかける。その働きを力の観念でとらえたものが、腕力である。
 力とはまた物理的な力である。自然界の風や水等の動きや火・光等の働きを、力の概念でとらえることができる。人間においては、人間が自然の事物や仕組みを利用して作る道具は、手や腕の延長である。道具は、身体的な力を物理的な力に変える。道具が複雑な機構を持つ様になったものが、機械である。機械に動力を加えることにより、人間はさらに大きな物理的な力を生み出すことができる。
 力とはまた社会的な力である。人間は集団生活を送る動物であり、集団の行為によって、身体的・物理的な力は社会的に組織された力となる。こうした社会的な力が、武力、戦力、実力等における力である。

(10)武力と兵力

 (2)の戦争の項目に書いたように、武力は「軍隊の力。兵力」(広辞苑等)である。武力は、国家が有するものに限らない。国家以外も武力を持ち得る。民間の自治組織や独立を目指す組織、反政府組織等である。また武力を発揮するものは、軍隊とは限らない。武力の発揮を目的として組織された集団であれば、それを軍隊と見なすかどうかに関わらず、武力の担い手となる。
 武力に似た言葉に兵力がある。兵力は、武力より具体的に定義される。広辞苑は、兵力を「軍隊の力。戦闘力。兵員数・軍艦数・兵器数の総体の力」とする。デジタル大辞泉は、「1兵員数・兵器数などの総合力。戦闘力」「2 国際法上、戦闘に従事できる資格を有する人々の集団」と定義する。日本大百科全書(ニッポニカ)は、さらに詳しく「広くは兵員のみならず兵器、軍艦、航空機などの性能や数量から引き出される直接戦闘力をさすが、国際法上は交戦資格を有する人々の集団を意味する」と説明している。
 ここで国際法上、「戦闘に従事する資格を持つ人々」「交戦資格を有する人々」の集団は、軍隊以外に民兵、義勇兵団を含むことに再度留意したい。

(11)戦力と実力

 武力、兵力と戦力の違いは何か。戦力は武力であり、また兵力でもあるが、これらとの違いは、「戦争を遂行するための力」(デジタル大辞泉)「戦争を遂行しうる力」(大辞林)などと定義される力であることである。
 日本大百科全書(ニッポニカ)は、戦力を「対外的な戦闘を行う手段となるいっさいの実力」としている。「対外的な戦闘」は、主に戦争を意味する。この定義では、単に力ではなく実力という言葉が使われている。実力とは何か。広辞苑は「①実際の力量。ほんとうの力量」「②武力。腕力」と定義する。①は日常語で使用される意味であり、本稿に関わりのあるのは②である。②に関して、デジタル大辞泉は「目的を果たすために実際の行為・行動で示される力。腕力・武力など」、大辞林は「実際に行使されることにより示される力。武力・警察力など」と定義している。これらの定義に使われる腕力は、個人的で身体的な力である。戦力の定義に使われる実力は、武力の一種であり、特に目的を果たすために実際に行使されることで示される武力をいうものである。
 実力を行使する目的には、治安維持、犯罪の鎮圧、国家の独立と主権の守備、他国への侵攻等が考えられる。それぞれの目的に応じて組織され行使される実力は、国内の治安維持等であれば警察力、外敵からの独立と主権等の守備であれば防衛力、他国への侵攻であれば侵攻力と分類することができる。

 次回に続く。

改憲論6~自衛権

2018-05-08 09:32:46 | 憲法
(8)自衛権

 現在も常設の国連軍は組織されていない。そうした国際社会の現状において、各国の安全保障のために重要な権利が、自衛権である。自衛権とは、自らを守る権利である。
 権利は「~することができること」「~してよいこと」に関わる概念である。広義では、何かをする、またはしないことができる能力または資格をいう。狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力または資格をいう。権利としての能力または資格は、それを行使することによって現実化できる。
 自衛権の行使においては、それを行使するための人間を組織し、武器を整備しなければならない。すなわち武装した集団を保持することによって初めて自衛権を行使することができる。
国連憲章は、自衛権について、第51条に次のように定めている。
 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」
 本条は、各国が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を有することを前提とした条文である。また自衛権を自然権とする思想に基づいている。国際連合は、自然権として個別的及び集団的な自衛権を持つ国家が加盟する集団安全保障機構である。国際連合が自衛権を付与するのではなく、国家は固有の権利として自衛権を有し、それを行使できることを認め、そのことを憲章に明文化しているものである。
 上記のように、国連憲章は第51条において、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間」は、加盟国が有する「個別的又は集団的自衛の固有の権利」に基づいて必要な措置をとることができるとしている。それゆえ、国連憲章の規定の上では、個別的または集団的自衛権は、集団安全保障体制を補完するものとして認められているものである。しかし、実際は、もとになるべき集団安全保障体制を、未だ実現できていない。だから、世界の現状では、各国は、他国から武力攻撃を受けた場合、安保理の措置に頼ることはできず、個別的または集団的自衛権を行使して自衛しなければならないのである。
 わが国は、国連に加盟する前から国家固有の自然権としての自衛権を持ち、その自衛権を前提として日本国憲法を制定している。また国連に加盟する段階で、個別的及び集団的自衛権を持つ国家として加盟を承認されている。わが国は、国連憲章に明文化された自衛権を持ち、それを行使することができる。一般の国では自衛権の行使のために組織されている集団が軍隊であるが、わが国では、政府によってそれが自衛のための実力組織である自衛隊であるとされてきている。

 次回に続く。

関連掲示
・権利については、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第2章(4)~(6)をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
・拙稿「国防は自然権であり堤防のようなもの」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08.htm
 目次から07へ
・拙稿「集団的自衛権は行使すべし」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08n.htm

改憲論5~侵攻戦争と自衛戦争

2018-05-06 08:48:44 | 憲法
(6)侵攻戦争と自衛戦争

 ここまでの間、戦争に関連する概念を整理した。それを踏まえて、あらためて戦争について考察する。
 戦争には、軍事上の概念と国際法上の概念では違いがあることに注意する必要がある。軍事的には、戦争は武力を用いた戦闘行動が実行されている状態を指す。武力を行使する主体は国家に限らない。国際法においては、開戦宣言がされれば、実際の武力行使がされていなくとも戦争の開始と認められる。戦争開始と同時に交戦国は国交を断絶し、関係国には戦時国際法が適用される。戦争の終結は、戦闘行為を停止する休戦を経て、政府間の講和によって法的な意味での終了となる。もっとも歴史上には、宣戦布告が行われずに開始された戦争が数多く存在する。
 国際法は国内法と異なり、違反した場合の刑罰や強制力が整っていない。国際法のうち条約法は、条約等によって国家間でなされた合意の体系であり、その条約等を締結していない国家への法的拘束力はない。また慣習法に関しては、その慣習を認めず、また従わない国家があり得る。こうした点が特に問題になるのが、戦争である。
 20世紀初頭まで、国家は国際紛争解決の最終的手段として戦争に訴える権利があるとされ、交戦法規に従うかぎりあらゆる害敵手段の行使が許され、戦争状態のもとでは交戦国は互いに平等な法的地位に立つとされた。
 だが、未曽有の大戦争となった第1次世界大戦後、戦争を非合法とする考え方が広がった。1928年に不戦条約、正式には「戦争放棄に関する条約」が、15カ国によって調印された。加盟国は後、93カ国に増加した。今も約60カ国が当事国である。同条約は、国際紛争はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用の禁止を決めた。だが、1930年代に大恐慌やブロック経済の影響で国際社会が激動し、国益のぶつかり合いがエスカレートした。その結果として生じたのが第2次世界大戦である。
 第2次大戦後、連合国が発展する形で国際連合が設立された。国連憲章(連合国憲章)において、戦争は禁止され、戦争でない武力の行使や武力による威嚇も、自衛権の行使および国連の強制措置を除いて、一般に禁止されている。
 しかし、国連の設立後も、世界では多くの戦争が行われてきた。早くも昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発した。今も休戦状態が続いている。ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、対「イスラーム国」戦争等、地球上で戦争が行われていない期間の方が少ない。
 国家が戦争をするのは、目的があるからである。戦争の目的は何らかの利益の獲得・拡大または維持・保守である。前者の目的で行う戦争を侵攻戦争、後者の目的で行う戦争を自衛戦争と分けることができる。ただし、侵攻戦争と自衛戦争の区別を判断する客観的な基準はない。相手国にとっては侵攻戦争であっても、当事国がこの戦争は自衛のための戦争だと主張すれば、その国にとっては自衛戦争となる。不戦条約の締結後も、ある国が行う戦争が侵攻戦争であるか、自衛戦争であるかを決める権利は、その国にあるとされた。戦争はしばしば自国民の在外居留者の安全を守るためとか、既得の権益を守るためという目的で行われる。相手国がそれを主権の侵害や領土の略奪と見なせば、相手国にとっては侵攻戦争となる。また、他国の主権を侵害したり、領土を略奪する戦争であっても、当事国は自らこれを侵攻戦争とはいわない。何らかの理由を以て、戦争を正当化する。戦争は国家間の紛争を解決する最終手段であるという現実は変わっていない。勝者は自らの正義を主張し、取得した権益を保持する。仮に敗者に正義が認められたとしても、戦勝国の勝利が取り消され、賠償が行われることはない。

(7)国連憲章の安全保障規定

 国際連合は、第2次世界大戦における連合国が発展する形で、昭和20年(1945年)10月24日に発足した集団安全保障機構である。日本国憲法は昭和21年(1946年)11月3日に公布、22年(1947年)5月3日に施行された。憲法が公布・施行された時点では、わが国はまだ国際連合に加盟していない。わが国は、昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約の発効によって、主権を回復し、国際社会に復帰した。この年、国連に加盟申請をしたが、ソ連など社会主義諸国の反対でなかなか実現しなかった。昭和31年(1956年)10月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復によってこの障害がなくなり、同年12月18日に加盟を認められた。主権回復後、約4年8か月非加盟の時期があった。
 国連憲章は、安全保障について、第7章に「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」を定めている。国際社会の安全保障のための中心機関は、安全保障理事会である。安保理の一般的権能は、第39条に次のように定められている。
 「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。」
 第41条は非軍事的措置を定めたもので、安保理は「兵力の使用」を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができるとしている。
 しかし、安保理は、非軍事的措置では不十分であろうと認め、または不十分なことが判明したと認めるときは、軍事的措置を取ることができるとして、これを第42条に定めている。
 「安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」
 安保理がこの第42条の規定に基づいて必要な軍事的な措置を取るために編制する軍隊が、国連軍である。続いて第43条から第50条にかけて、国連軍編成に関する事項が定められている。
 国連軍は、国連憲章が定める集団安全保障制度の下で侵略の防止・鎮圧などの軍事的強制措置のために使用される国際的な常設の軍隊である。ここにいう集団安全保障は、国家の安全と平和を公の紛争処理機関や対立関係にある国も含めた連合組織によって集団的に保障しようとする体制を意味する。一国の軍備強化や特定国との同盟の形をとらず,国際紛争の処理に当たっては原則として各国が個別に武力を行使することを認めない。これに比べ、北大西洋条約機構(NATO)、日米安全保障条約などは、第三国に対する軍事同盟であり、国連憲章が目指す本来の意味の集団安全保障の機構ではない。
 国連が目指す集団安全保障体制の要となるべきものは、国連軍である。国連軍は、国連憲章第43条に定める特別協定に基づいて国連加盟国が提供する兵力で編成される軍隊である。安保理のもとに五大国の参謀総長から成る軍事参謀委員会を設け、その指揮・命令に服して活動する。だが,その特別協定は、五大国不一致のために今日もなお締結されていない。そのため、国連創設以来、今日まで正規の国連軍は組織されたことがない。
 こうした状態で国際社会の平和を維持するために行われるようになったのが、国連による平和維持活動(PKO)である。その活動の一環として、紛争地域で停戦監視や兵力の引離し、警察任務などを行う組織が生れた。それが国連平和維持軍(PKF)である。これを指して国連軍と呼ぶことがあるが、これは国連憲章第43条に定める本来の国連軍ではない。

 次回に続く。