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●漫画・・ 「スリルくん」

 9月30日日曜朝放送のテレ朝系列「題名のない音楽界」が、懐かしの昭和30年代40年代の海外ドラマテーマ曲特集で、非常に懐かしかったけど、“海外ドラマ”といっても全部当時の、アメリカTV連続ドラマの日本語吹き替え日本国内放送ものだ。ゲストがデーブ・スペクターさんだった。デーブ・スペクターという人も日本のTVのワイドショーやバラエティーで随分前から見ていた人だけど、いったい本業は何してる人で、年齢は幾つなんだろう? え~と調べたら、「TVプロデューサー」が第一番の本業のようですね。何か、日本の番組を海外に、主にアメリカにでしょうが、紹介している、というか、売り買いしている仲介役みたいな仕事してるのかな(?)。そういうのとか、日本と海外のTV情報を紹介している、やはり仲介役か。TV番組とかTV情報の輸入輸出のバイヤーみたいな仕事か(?)。“TVプロデューサー”というからには、TV番組制作にも携わってるのかな(?)。今の番組制作って、総合プロデューサーが居て部分的には分業的で、パートパートに振り分けられているのかも知れないから、デーブ・スペ久ター得意分野の製作の仕事をやっているのかも知れないな。まあ、デーブ・スペ久ターの仕事がどうだろうと何だろうと別にイイんですけど。え~と、1954年生まれですね。俺よか年上になります。58、9歳くらいですね。番組内オーケストラが演奏していたのは、国内TV放送黎明期、往年のアメリカ輸入ドラマのテーマ曲。「バットマン」「鬼警部アイアンサイド」「ローンレンジャー」「ヒッチコック劇場」「スパイ大作戦」「コンバット」「奥様は魔女と、どれも本当にとても懐かしいメロディー。こういう子供の頃、聞いたメロディーは脳裏にこびりついて離れませんね。全然関係無いんですけど、さっき、YouTubeでCarly Simonの名曲Jesse」の2007年のホールライブらしいのを聴いて、懐かしいしやはり名曲でハートにジーンと痺れて気分良かったです。これも懐かしい! 「Jesse」は俺は確か78年か79年頃に新宿のレコード店で輸入版で買って来て聴いた。ちなみに「ローンレンジャー」は、僕が高校生の頃の何かの科目の先生で、「俺は今度車をローンで買って、今、ローンをいっぱい持っているから、“ローンレンジャー”だ」というギャグを言っていたのを、今でも記憶しています。 

 ということで、漫画ですが、今回は「スリルくん」です。「スリルくん」は、懐かしの往年の海外輸入ドラマとも、カーリー・サイモンの名曲「Jesse」とも関係ありません。「スリルくん」は60年代ギャグ漫画で、上記の昔々輸入ドラマのテーマ曲は50年代末から60年代のもので、年代的には符合しているけど、♪「Jesse」は70年代終わり頃の洋楽ロックだし。まあ、いいか。みんなワシが「懐かしい」モノということで。板井れんたろうさんはもう76歳にもなるのか。1936年生まれで天秤座だから、もう76歳になられる。1950年代末から60年代に活躍された漫画家さんで、大学行ってる人は珍しい。日大卒だそうだ。あの吾妻ひでお氏は弟子筋になるんだな。そういえば若干、絵柄も似ているかな。まあ、板井れんたろう先生は70年代以降も活躍されてるけど、やっぱり板井れんたろう先生といえば、昭和の少年漫画月刊誌、黄金時代のギャグ漫画だよねえ。1970年頃にはだいたい、付録がいっぱい付いた往年の月刊誌は消えるんだよね。板井先生の作品も70年代に入ってからはあんまり見なくなって来て、僕自身はもう70年代半ばには見なくなったんだけど、昔ながらの月刊誌で一番最後まで残ってた「冒険王」に、70年代半ば頃まで連載が載ってたろうか。同じ秋田書店発行の「まんが王」はいつ頃休刊(事実上の廃刊)になったんだろ。「冒険王」は70年代後半頃から、児童向けの特撮やアニメのTV番組専門誌みたくなっちゃったもんね。「まんが王」の休刊は70年代半ば頃かな。

 「スリルくん」は秋田書店の往年の月刊誌、「まんが王」に長らく連載されました。「冒険王」の弟雑誌、「まんが王」。僕が子供の頃、「まんが王」と講談社の「ぼくら」だけが例月の1日発売で、「冒険王」や光文社の「少年」など、その他の雑誌は毎月6日発売だった。月刊誌が待ち遠しくてたまらない僕は、本当は「少年」が欲しいのに、待ちきれなくて毎月、1日発売の「まんが王」か「ぼくら」を買っていた。僕が児童漫画を読み始めたのは1962年の暮れ頃か、63年初頭で、月刊誌を購入し始めたのも1963年に入ってからだ。多分、「ぼくら」の方から買い始めたと思うのだが、63年には「まんが王」も続けて購読している。僕が「まんが王」を読み始めたときから既に、板井れんたろう氏の「スリルくん」は載っていた。60年代ギャグ漫画家の代表格が赤塚不二夫と森田拳次のツートップなら、板井先生は、そのすぐ下に位置していたギャグ漫画家と言っても良いのではないか。板井れんたろう氏の代表作と言われるとね、どうしてもTVアニメ化された「おらぁグズラだど」とかになっちゃうんだけど、60年代のギャグ漫画シーンでは各児童漫画誌に連載を持った、当時の売れっ子の一人でもありましたね。「ドカチン」とかもTVアニメ化されたんですよね。「おらぁグズラだど」も「ドカチン」もアニメ化作品というよりも、どちらかというとアニメ企画先行のコミカライズ作品ですね。やっぱりアニメ化された作品の方が広く一般に知れ渡るから、どうしても“有名”というネームバリューで「代表作」になっちゃうけど、僕個人的には、板井れんたろう先生の代表作は、光文社の月刊誌「少年」に連載された「ポテト大将」と、秋田書店「まんが王」長期連載の「スリルくん」ですね。

 「スリルくん」といつも一緒に居て遊んでる親友が、名前が“デン太郎”。後から思った推測ですけど、多分、“板井れんたろう”氏の名前をもじったんでしょうね。「スリルくん」て「まんが王」でどれくらい続いたんだろう? 多分、1962年の内には「まんが王」でもう連載が始まってたから、僕が読んでたのが65年くらいまでで、多分、67年頃までは連載されていたと思うんだけど。済みません、定かではありません。僕が「まんが王」読んでたのは65年頃までですからね。あるいは、断続読みで66年か。板井れんたろう先生の漫画は後は、同じ秋田書店発行の月刊誌「冒険王」で見ましたね。「ドタマジン太」なんか読んでました。「ドタマジン太」は「冒険王」で71年頃まで連載されてたんじゃないかなあ。板井れんたろうさんの作風はジャンル的には“ギャグ漫画”ですが、赤塚的なギャグと言うよりは、「生活ゆかい漫画」ですね。代表作の「ポテト大将」「スリルくん」共に子供の“生活ゆかい漫画”そのものです。劣等生の小学生の悪ガキの子供が、勉強が大嫌いで遊びといたずらが大好きで、小狡くて、遊び以外は怠け者で、毎日の子供生活の中でいろいろと作戦を練るが、結局失敗し、先生や父母や近所のカミナリオヤジとかおまりさんに激しく怒られて、ひどい目に合うというオチなんですが、基本的に根っからの明るい性格で鈍感でめげない子供。根は“良い子”なんですね。だいたい“ガキ大将”というよりは、勉強も運動も喧嘩もダメで、劣等生ですね。

 この時代の月刊誌連載の「生活ゆかい漫画」には、お話の内容に、その月その月で季節感があって良かったですね。冬場は、「冬休み」「雪合戦」「スキー」とかで、夏場は「夏休み」「海水浴・プール」「山のキャンプ」とかですね。5月号は「子供の日」、12月号は「クリスマス」。必ず、その月号月号の季節感が入っていた。月刊誌の月号数は一ヶ月早いからお話舞台もひと月早いんですけどね。あれも楽しかったな。記憶しているお話エピソードは、夏場に家に居ると暑くてたまらないので、デパートへただ涼みにだけ行くトコロとか。小遣い持ってないから。まだまだ家庭にクーラーの無い時代で、扇風機だけでしたね。あの時代はエアコンが出て来る前でクーラーしかなかったんじゃないかな。冬場のデパートはどうだったんだろう? 後は、10月号では必ずのように近所のカミナリオヤジの家の庭の柿を柵越しに盗もうとして失敗して、カミナリオヤジから全力で逃走するシーンとか。懐かしいなあ。自分もスリルくんも同じ年頃だったし。僕も小4か小5の頃、桃泥棒に失敗して、桃の木のある家のオヤジから厳しく怒られたのを覚えてます。スリルくんもデン太郎もドン吉もユー坊もみんな、はるか遠くへ行ってしまって、決して帰っては来ない‥。

 僕は「スリルくん」のコミックス単行本を見た記憶がないのだけど、1989年か90年頃発刊の「ペップおもしろ漫画ランド」全10巻の中に収録されているんですね。第5巻「スリルくん」。その前に秋田サンデーコミックスとかでコミックス化はされてたんだろうか(?)。

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