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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編..(9)β [・・αの続き]

*(『狼病編..9α』の続きです。)

「オオゲサだな。三角関係の痴話喧嘩だろう」

 そう言って達男は、アパートの外階段へ向かい、野次馬オヤジは、人だかりの塊へと戻って行った。二階外付け通路を一番奥まで行くと、藤村敏数の部屋に行き当たった。この部屋は過去に、三、四回は遊びに来たことがあった。一度は、藤村敏数と二人ではしご酒をして、しこたま飲んで泥酔し、泊まったこともあった。

 一番最初に来た時は、もう一年以上前で、まだ敏数が城山まるみと付き合っていた頃で、部屋で二人でビールを飲んでいると、途中からまるみがやって来て参加し、三人で楽しく部屋飲みした。達男もその時は、敏数とまるみは相性が良く、やりとりもうまくやっているし、なかなかお似合いのカップルだな、と思ったものだ。その時分は、この二人はゆくゆく、結婚して行くものと想像していた。ところが、それからしばらくして二人は別れた。藤村敏数の方が、城山まるみを振った形だった。

 確かに、達男もあの頃は、敏数を誘って夜の街で遊びまくり、一時は二人で、酒を飲まない夜はない程だったが、その頃の藤村敏数は、夜の歓楽街に繰り出す頻度が上がる度に、比例して、城山まるみを避けるようになって行った。敏数はどーも、まるみの存在を、鬱陶しく思うようになって行ったようだ。そして最近、有馬悦子という、新たな恋人が出来た。悦子は、保育園に保母として勤めていて、まるみよりも二つ三つ年下になる。

 まるみも悦子も、二人ともソフトな雰囲気で、家に入れば家庭的な感じのする女性で、そういう意味では二人は似ているが、タイプは違っていた。決して太っている訳ではないが、色白・丸顔で、黒髪ストレートのワンレングスヘアのまるみは、見た目ふんわりした感じの、しっとり落ち着いた雰囲気の女性だ。まるみよりも小柄な有馬悦子の方は、ウェーブを掛けた茶髪系のミドルヘアにした、目鼻立ちのはっきりした小顔で、体形はほっそりしている。見掛けはおとなしそうに見えるが、芯はしっかりしていて、本当はなかなか気が強そうな気がする。出しゃばらない控え目なまるみに比べれば、けっこう活発そうで明るい。

 達男は、そんなコトゴトを思い出しながら、敏数の部屋の閉じたドアをノックした。数秒間待って、もう一度ノックする。何の返事もない。達男は、ドアノブを握った。ノブが回って、引くとドアが開いた。

 達男が中に入ると、キッチンと座敷の間に、人が倒れているのが目に入った。女だ。小柄な身体が、仰向けに寝ている。部屋の奥に見える、ガラス戸が開いている。エアコンは掛かりっ放しだ。達男が靴を脱いで、ダイニングに上がった。ムッと、血の臭いが鼻を衝いた。倒れている女を見下ろした。有馬悦子だ。

 首の部分がパックリ、穴が開き、頭と首あたりの下に、どす黒く、血溜まりが出来ていた。両目はカッと見開いたままで、白目部分が黄色く濁っていた。有馬悦子は、ピクリとも動かない。素人目にも、既に死んでいると解った。投げ出されたように開いた、動かない両腕の、片方の手の傍に、小さな、どす黒いものが落ちていた。肉片だ。多分、ポッカリ開いた首の穴部分の肉、喉あたりの肉片ではないか。

 中村達男は尻餅を着き、ガタガタ全身を震わせながら、床に衝いた両手で掻いて、尻を滑らせて後退りした。達男はその姿勢で動いて、上がり口に一度落ちて、尚も尻で後退し、ドアを抜けて、外の通路のコンクリの上まで出た。そしてそこで、やっと声を出した。それは、全身のあらんばかりの力を使ったような、絶叫だった。そして、慌てて四つん這いで、自分の靴を取り、無我夢中で履いて、立ち上がって全力で、藤村敏数の部屋から離れた。飛ぶようにして降りた階段の下には、十人以上の人だかりの塊が居て、達男はその中へ倒れ込んだ。

 人だかりの中の人々が、何人もが一斉に「どうしたんだ?」だの、「大丈夫か?」だのと訊いて来た。達男は、人だかりの真ん中で倒れたまま、まるで泡を吹くように慌てふためき、「ひひひ‥」と、どもりながら「人殺しだ!」と叫んでいた。達男の叫びを聞いて、人だかりの誰もが驚いて、何やら噂話のようにお互いが話し始め、ザワザワと騒々しくなった。

 しかし、現場になる、二階の端の部屋まで、行ってみようとする者は出なかった。誰かが、警察に通報したので、もうすぐパトカーが来る筈だ、と応えていた。達男は、アスファルト地面にペタリと座り込んだまま、蒼白な顔をして、放心状態だった。もう誰も、達男には関心を払わず、みんなはアパート二階を指差して、お互いあれこれ噂話をし合ってざわめき、人だかりは、野次馬が増える一方だった。

 アパートの管理人らしき者が現れたと思ったら、パトカーが一台やって来て、アパート前の駐車場に停まった。階段を上がり掛けた管理人は、パトカーから警察官が降りて来るのを待った。パトカーの後部座席からは、Tシャツ短パン姿の藤村敏数が降りて来た。警官と敏数と管理人は、階段下で何事か話し、揃って階段を登り、二階端の部屋を目指した。

 そうしている内に、もう一台、パトカーがやって来た。敏数の通報に事の重大さを考えた警官が、応援を頼んでいたのだろう。敏数が、開いたままのドア越しに、中には入らず、警官に説明していた。警官がおずおずと中に入って行き、管理人の中年男性も敏数と共に、外に立っていた。やがて、応援の警官二名も現場に合流し、部屋の中に入って行った。敏数は最後まで、中には入ろうとせず、通路で立ったままだった。

 それから、パトカーが何台もやって来て、現場検証が始まった。藤村敏数と中村達男とアパート管理人は、アパート下で簡単な事情聴取を受け、その後、敏数と達男の二人は、警察署までパトカーで移送され、さらに詳しく事情聴取を受けることになった。

 中村達男が、現場を訪れた際、藤村敏数の部屋の中には、有馬悦子の死体だけしかなく、藤村敏数が警察への通報の為に、部屋から走り出た時点では、部屋の中に居た筈の、城山まるみが居なくなっており、部屋奥のガラス戸が開いていた。警察は、藤村敏数と中村達男からの聞き取りから、殺人事件の可能性が大きいと見て、部屋奥のガラス戸から逃亡したのではと推測される、城山まるみが重要参考人として、警察に捜索されることになった。

 事は殺人事件の可能性が極めて大きく、城山まるみは県警挙げて、捜索されることになった。敏数と達男は、被害者や重要参考人との関係を仔細に事情聴取されて、敏数は被害者の悦子や、城山まるみとの過去の恋愛関係など、話せることは思い出せる限り、全て警察に話した。藤村敏数の住まいの入るアパートの前は、報道陣や野次馬で騒然となり、テレビでも深夜のニュース番組で報道された。

 翌日の、警察発表の事件の詳細では、被害者は市内保育園勤務の保育士、有馬悦子さん23歳で、死因は喉を周囲の肉ごと咬み取られた時のショック死。傷は他に、右側首筋を咬まれており、この時破れた頸動脈から吹き出た血液が吹き出している筈だが、それにしては床に残る血溜まりの量が、異状に少ないとのことで、目撃者の証言から、加害者が咬み口から血を飲んだのではないか、との推測が立てられる。

 また、首の傷の形状から、咬み跡がまるで獣が咬んだ痕のような、傷跡をしているとのことだった。まるで野犬が咬んだような咬み痕傷だが、しかし目撃者証言では、被害者の首部分に噛み付いたのは間違いなく人間であるということであり、また目撃者の証言から、現場に居た城山まるみ27歳が重要参考人として指名手配され、警察は、殺人事件として捜査を開始した。なお、目撃者である事件現場のアパート居室住人、29歳独身男性は激しく動揺し、混乱・憔悴している模様で、大事を取って緊急入院した。

       *            *

 「あとニ日で終業式、後は夏休みに入る!」そう思うと、吉川愛子は嬉しくて何やら気分が昂ぶる反面、自分一人だけ現在、校区から離れた地域から、電車通学しているので、一抹の寂しさも感じられた。ぎりぎりセーフの時間で登校して来た愛子は、廊下を抜けて行く際、他クラスの教室の開け放った窓を通して、生徒たちのザワつく賑わいが聞こえていた。愛子は単純に「夏休みが近いから、みんな浮かれ気分で、ワイワイやっているんだろうな」と想像した。夏盛りで、教室・廊下の窓は全て開放してある。愛子は、自分のクラスの前まで近付いて来たが、やはり二年四組も、廊下までそのザワつきの賑わいが、よく聞こえて来た。

 吉川愛子がクラスへ入ると、教室の中は三つ、四つのグループが出来ていて、ガヤガヤと話が弾んでいた。と、いうか、クラス内が騒然としていた。勿論、グループに入らずに一人で机に着いて、教科書か何がしか本やノートを開いて、始業を待っている生徒も何人か居る。愛子は教室に入って来て直ぐ、一応「おはよう」と声を出したが、その挨拶に応える者は誰も居なかった。それぞれのグループのみんなが、何事かの話に夢中になっている。グループに塊って話し合う、クラスメイトたちの誰一人、笑い顔がない。語り合い、聞いている生徒たちの様子は、驚き声やひそひそ声が混ざっていて、その話題は、噂話のようでもある。深刻そうな顔も多く見受けられる。女生徒の中には、顔を顰めて話を聞いている者も居る。

 一人の女子が「いやあ~、怖いーっ!」と叫ぶように言った。愛子の視線が、グループの一つに混ざって話をしている、ピー子の姿を捉えた。愛子が自分の机にかばんを置くと、その音に反応してピー子が振り返り、愛子に気付いた。ピー子が真央と共に、自分の席の横で立ったままの、愛子のもとにやって来た。

 「どうしたの、何かあったの? みんな、朝から騒がしいじゃない?」

 クラスのいつもの朝の様子と比べると、異常とも言える、騒然としたクラス内の状況に驚いて愛子が、傍に来たピー子に急いで訊ねた。

 「まだ、新聞にも載ってないし、テレビのニュースにもなってないから、愛子、知らないだろうけど、ビッグニュースよ。驚くわよ‥」

 ピー子が、自身も興奮している気持ちを抑える様子で、何やら勿体を着けて言う。

 「何よ、ピー子。教えてよ」

 焦らされているようで内心、少しイラつきながら、愛子が話を催促する。真央もピー子の横に立って、恐怖心に駆られているような、蒼ざめた表情で居る。不安げな表情の生徒は、真央ばかりではない。ピー子や真央の背後、クラス内を見渡すと、そういう様子の女子は他にも見える。

 ピ-子が決然とした感じで、一言、言ってのけた。

 「あのね。実は、西崎慎吾が死んだらしいのよ」

 ピー子が、この一言を聞いた愛子の様子を、まるで、自分の言い放った一言の効果を確かめるように、観察するように凝っと見詰めた。愛子は、とにかく驚愕した。「えっ!」と小さく叫んで、息を呑む。愛子は、自分の顔が蒼ざめて行くのが解る気がした。傍に立つ真央は、胸の前で両手をギュッと握り合わせて、深刻な面持ちで黙ったまま、驚く愛子の表情を見ている。数秒、間を置いたあと、ピー子が続けた。

 「今朝早く、郊外の田圃の中で発見されたらしいの。朝五時頃、散歩に出た近くの人が見付けたんだって。それもね、西崎一人じゃないらしいのよ」

 ピー子は興奮した様子のまま、話を続けた。愛子は緊張した表情で、黙ったまま聞いている。

 「殺されてたのはね、三人でね。みんな、二年二組の不良たちなの。西崎のグループの連中ね。それでさあ、野犬に食べられてたんだって」

 野犬のくだりで真央が「ヒッ!」と小さく叫んで、両手で顔を覆い、震え出した。恐怖感に襲われた真央は、軽いパニック症状でも起こしたようにして、急いで自分の席まで戻って顔を伏せた。その様子を見ていたピー子は、続きを話そうかどうか迷っていたけれど、凝っとピー子の顔を見詰めている愛子の視線に促されて、話を続けることにした。

 「それでさ。二人は野犬に食べられてて、一人は喉を裂かれてたんだって。怖いよねー。それで、二組の不良の連中って、ほら、二組の太っちょネクラの後能滋夫。あいつを苛めてたじゃん。だからね、今はみんながね、後能のことを不気味に思ってるの‥」

 ピ-子が後能滋夫のことを“太っちょネクラ”と呼んだことを、愛子は「ひどいな」と感じたが、これはピー子だけでなく、ウチの中学の、特に二年生の大勢の生徒が多分、蔑称のあだ名でそう呼んでいるんだろうな、と思い、少しばかり嫌な気分を味わった。後能滋夫には、愛子は度々関わりを持つので、妙に親近感を覚えていた。

 ピー子の話だと、西崎慎吾と、その不良仲間の二組の生徒二名は、今朝五時過ぎくらいの早朝に、散歩している老人に発見されたものらしい。真夏の夜明けは早い。老人の散歩コースである、早朝のヒトケのない産業道路の歩道に倒れている、一名を発見し、さらに、道路下の田圃のあぜ道で倒れている、西崎ともう一名が発見された。歩道上の死体は、首を鋭利なもので切り裂かれていて、田圃のあぜ道の二名の死体は、獣にでも喰い荒らされたような状態で、損壊がひどかったらしい。老人の通報で駆け付けた警察官たちは、一目見ただけで、三名が絶命していると判断したという。また、死体損壊がひどいのは「野犬に喰い荒らされたのだろう」と話していたらしい。

 ピー子は話を続け、多分、今、郊外の産業道路沿いの現場へ行ったら、マスコミ報道陣が殺到して凄いことになっている筈だ、と言った。教室の中の、ザワついた噂話の渦は止まない。それから、しばらく経って、ホームルームの時間になったのだが、担任がやって来ない。生徒たちはみんな、朝のホームルームの時間だと解っていたが、相変わらず席に着かずにお喋りを続けている。騒然としたままだ。多分、他のクラスでもこの状態なのだろう。くだんの二年二組の中は今、どういう状態なんだろう? と愛子は興味深く考えた。

 愛子は、ハチとジャックが西崎たち不良グループの面々を、校舎裏で懲らしめた時のことを思い出していた。五月のことで、あの時は午後からだったが、午後一番の授業で始業時間になってもなかなか担任が来なくて授業が始まらなかった。結局、副担任が来て自習を指示して職員会議に行ってしまい、その後、校内放送で全校早退が指示されて、午後の授業はなかった。

 愛子は、この、今聞いた事件に関しては胸騒ぎがしていた。野犬に殺され、しかも死体を喰い荒らされているという、被害者の三名とは、無論、後能滋夫を苛めていた連中でもあるが、この間の日曜日、市民公園の森の中で後能滋夫に首吊り自殺を迫って苛め、その後現れたサラリーマン風のおじさんを寄ってたかって痛め付けた、メンバーの中の三人ではないか。あのおじさんを殴る蹴るした連中の中でも、特にひどく暴行した者たちだ。あと二人、この中学の卒業生で西崎の用心棒役だという、ニートのヤツらも居たが。

 ピー子は愛子の傍を離れ、もと居た塊の中に戻って、また熱心に話を聞いて情報を得ていた。お喋り好きなピー子は、ここで仕入れた情報をまた別の場所へ行って、また別の新しい人たちに、得意げに話すのだ。“情報屋”という訳ではないが、人見知りがなく誰とでも気軽に会話し、お喋りが好きなピー子は、他所で聞いた話を直ぐに次のところで違ういろんな人たちに話して聞かせるので、自然と、噂話や話題の拡散装置の役割を果たしていた。愛子は真央を心配して移動し、憔悴した様子で机に伏せる真央の傍まで行って、「大丈夫?」と声掛けていた。

 ピー子が慌てた様子で、また愛子の傍へ戻って来た。これ以上真央に事件関係の話を聞かせてはいけないと、ピー子も配慮して、愛子の夏服の袖を引っ張って、真央のもとから二人で幾分離れて、今仕入れた新しい情報を愛子に披露した。それは、今朝早朝に郊外の産業道路脇で死体が発見された、西崎ら二年二組の生徒三人の惨殺の他にも、実は市内でもう一件、殺人事件が起こっていて、殺害方法が西崎の二組の仲間とよく似ていたと言うのだ。死体が発見された場所は駅前の商店街通り付近らしく、昨夜遅い時間に近隣住民が発見して通報したものらしい。

 「愛子、殺されたの、誰だったと思う? 驚いちゃいけないわよ‥」

 今、自分の新しく仕入れて来たトピックの、一番の驚きの部分を、聞かせる相手を焦らすように、勿体を着けて話に間を置くピー子。愛子はゴクリと唾を飲んで、次の言葉を待った。

 「これがね。いや、こっちもね、西崎慎吾の関係者なのよ

 「西崎の関係者?」

 「うん。西崎とつるんでいたヤツらでね。この中学の卒業生で今、ニートやってる不良なの。二人組のワルで、あたしたちより三個か四個年長になるんだってさ」

 ピー子の話を聞いて、愛子の心臓がドクンッと大きく鼓動した。西崎の関係者って、この二人は、あの公園の森でサラリーマン風のオジサンを、西崎慎吾たちと一緒に袋叩きにしていた仲間ではないか。愛子は驚いて言葉が出ず、両目を見開いたまま、凝っとピー子の顔を見ていた。

 「どうしたの、愛子? そんなに驚いた?」

 「ああ、ううん。ちょっとね‥。そいつらも殺されてたんだ?」

 ピー子に言われて愛子は我に返った。放心したような様子で居たらしい。

 「あんたも大丈夫‥?」

 愛子の様子を見て、ピー子は、気分を悪くして塞いでいる真央の方を見やった。

 「ああ、あたしは平気だよ。ただ、ちょっと驚いただけ。だって、西崎の仲間が軒並み殺された訳だもの」

 愛子はピー子の情報の続きが聞きたかったので、自分の平気さを強調した。

 「うん。こっちの二人はね、一人は喉を切られて殺されてるし、もう一人は首を折られてたんだって。発見が昨夜だから今朝の新聞にも載ってたし、今朝のTVのニュースでも言ってたらしいよ。ただこっちの二人は死体が食べられたりしてないって」

 「西崎たちの方と、この中学校のOBニートと、やったのって同じ犯人かな?」

 「さあ‥。事件の詳しいことはまだこれからだろうから‥。ただ、西崎の仲間の一人、歩道で殺されてた方は喉を切られてたって言うから、商店街で殺されてたOBのヤツと殺され方が同じだよね」

 愛子は、強い衝撃を受けて、もう言葉が出て来ないような状態だった。呆然として、一人考え込んでいた。昨夜と今朝、殺害されたという西崎とその仲間、計五人というのは、あの公園の森でサラリーマン風のオジサンを、殴る蹴るして袋叩きにしていた中心人物ではないか。特に、オジサンが気を失うまで蹴り続けていたのが、この五人だ。そう考えると、愛子はブルッと身震いして、真夏の暑い教室の中で悪寒を覚えた。

 それから少し経って、ホームルームの時間も終わろうかというときになって、副担任の教師がやって来て、自習を言いつけてまた戻って行った。他のクラスも同じような態勢のようだった。副担任が去って行った後、生徒たちがおとなしく自習をする訳がなく、やはりガヤガヤとお喋りは続いた。無論、おとなしく自分の席で、言われたとおりに自習している子も居たが、少数だった。それは他のクラスも同じ状態のようだった。

 教師たちは緊急の職員会議をやっているようだった。愛子はやはり、五月の全校早退を思い出していた。今度も午前中で、授業が打ち切りになり全クラス早退になるんだろうか。ピー子が期待するように、「ねえ、もしかして午前中で早退になるんじゃないの。午前中だけじゃなくて、もう二時限くらいでさ」と言った。今、自習になってるのは二年生のクラスだけなんだろうか。一年や三年のクラスはどうなんだろう。この間のときのようにまた、刑事がやって来たりするんだろうか。今回は、学校内は現場ではないから、警察が来たとしても少数で、事情聴取を受けるのは、教師や二年二組の生徒だけになるんだろうか。

 それにしても愛子が一番気になっていることは、やはり、今回の犠牲者たち、西崎慎吾とその仲間、西崎の用心棒役だという、この中学校OBのニートの二人を合わせた計五人、何者かに殺されたのであろうこの五人と、あの公園の森での一件は関係があるんだろうか? ということだった。今、二組の後能滋夫は、どんな気持ちで居るんだろう? スーパードッグのハチやジャックは、この事件に関して何か知ってるんだろうか? ハチが“サイキック”だという弟の和也は、何か知っているコトがあるんだろうか? 愛子は、この二つの事件に関して、もっともっと詳しい情報が知りたいと欲していた。ピー子らクラスメートからは、これ以上の情報を仕入れるのは無理だ。愛子は今すぐにでも教室を飛び出して、二組の後能滋夫や、弟の和也に会いに行きたいと思った。勿論、和也は今、ここからは百メートルほど離れた、小学校の校舎で授業中の筈だ。

 一時限目も後半が過ぎた頃になると、クラスの中も落ち着いて来て、比較的静かになった。クラスの者たちが持ち寄った事件の情報だけでは、話のネタがなくなったので、みんなしぶしぶ自習に取り掛かったようだ。勿論、中には雑談するグループも居たが、日常の他愛もない話題で、先程までに比べれば、クラスの中は静かなものだった。多分、他のクラスの状況も似たようなものだろう。

 一時限目が終わって、休憩時間になった。トイレに行く者など席を立つ者が大半で、またザワザワとしたが、もう特に事件の話をする者も居なかった。二時限目に入ると、みんなは着席して、今日はこの先、どうなるのか教師の指示を待った。一時限目から引き続き、黙々と自習に励む生徒も居た。だらけた様子で、お喋りを続ける生徒たちも居る。ザワつく何人かが、クラス委員の男子生徒に、二時限目以降は生徒はどうすれば良いのか、先生に訊きに行けと言い出した。クラス委員の男の子が「解ったよ」と、職員室まで訊きに、クラスから出て行った。戻って来た委員長が話す、教師からの伝達は「先生が教室に指示に行くまでは、取り合えず、自習を続けていろ」という内容だった。つまり、担任が直接、教室に指示を出しに来るまでは、何時限目までも自習をやっていろ、ということらしい。

 校舎脇の駐車場には、パトカーが二台ばかり、サイレンを鳴らさずにやって来た。私服刑事が数人、校舎へと入って行く。愛子のクラスの中でも、お調子者の男子生徒二人が、偵察と称して、教室外へ様子を窺いに行った。十分ほどして、その二人が教室へ帰って来て、教壇の上からみんなに報告した。彼らの話す情報に寄ると、刑事たちは職員室の隣の応接室に入り、校長や教頭の他、二年生各組の担任教師が応対にあたった。そして、事件の当事者である西崎慎吾他全三名の、二組クラス内でも普段、特に親交の深かった生徒が応接室に呼ばれた、ということだった。

 殺人事件にしろ、野犬に襲われた事故にしろ、被害者の死亡生徒の一人、西崎慎吾の親は、幾つもの会社を経営する県下有数の実業家で、特に市内では絶大な影響力を持つ実力者であるため、いくら学校時間外に校外で起こったコトにしても、学校サイドは、教育委員会から市役所・市議会の幹部まで巻き込むオオゴトとなっていた。午前中早くから、学校や警察署、市役所などには、西崎慎吾の家からの使者が詰め掛けており、事情説明を求めていた。学校側の校長・教頭を始め、学年主任や担任は、学校始まって以来の一大事と、戦々恐々としていた。特に、校長は自分の首が飛ぶかも知れないと頭を抱えている有様だった。

 この日の生徒の授業体制をどうするか、最初は全学年平常どおりでクラブ活動は中止、ということを決めていたが、次に全校生徒午前中のみ授業で、午後から全校早退を決め、それが二転三転として、結局、被害者の所属した二年二組の生徒だけ残し、他は一年も三年も全部、三時限目を終えた時点で早退となった。二年二組の生徒だけは、警察の事情聴取があるので午前中いっぱいは教室待機となった。PTA関係も、夕方から臨時に総会が開かれることになり、これには教育委員会責任者以外にも、市警察署関係者や市議会・市役所幹部までも出席となった。西崎慎吾の父親の威光の、強大さの示すところだろう。

 愛子の居る二年四組は結局、三時限目まで総て自習で終わり、後は副担任がやって来て、通り一遍な事情を説明し、今から直ぐに帰宅するように支持された。クラブ活動などは総て中止で、生徒は学校に残ることは許されない、ということだった。副担任の話も、ちゃんとした詳しい事情説明などはなく、ただ、この学校の生徒が事件に巻き込まれた疑いがあるので、先生たちは全職員が終日、ことに当たっての話し合いがあるため、授業が出来ないから生徒は直ぐに全員帰宅、ということだけが伝えられた。

 愛子は、二組の後能滋夫から、いろいろと話を聞きたいと思っていたが、二年二組の生徒は警察の事情聴取があるから待機中、ということなので、廊下で少し会話することも出来なかった。しかも、後能滋夫は、西崎慎吾ら死亡生徒三名から日常的に苛めに合っていたクラスメートだし、警察もその経緯は、五月の事故の際の事情聴取で既に知っていた事項なので、今度の事件の参考人としては、他の生徒たちに比べて、後能滋夫は重要視されていた。吉川愛子は、仲の良いクラスメートのピー子や真央と一緒に、二年二組の生徒以外の全校生徒ともども、三時限目を終えて直ぐに下校準備して、帰路に着いた。途中までは三人で帰ったが、愛子は電車通学で駅に向かうので、二人と別れて市街地方面へと歩いた。

 中二の吉川愛子は、いつもは小三の弟、吉川和也と共に電車通学している。駅からバスで小学校前のバス停まで和也を送り、そのままバスで中学校まで通学、登校する。帰りは、六月まで所属していた学校の女子バスケットボール部を退部して、現在は、中学の授業が終わった時点で即、下校に着き、途中、小学校近辺で和也を拾うか、駅前で待ち合わせて姉弟で一緒に電車に乗って帰っている。普段は、中学の授業が終わる時間の方が、小学校の下校時間よりも遅いので、和也が小学校内で時間を潰して姉を待っていることが多いが、時には母親の吉川智美がパートの帰り掛けに、自分の軽自動車で和也を拾って帰ることもあった。

 この日は予期せず、愛子は、午前中で中学を下校になったので、小学生の弟を待つにはあまりにも時間が長過ぎた。小学校は定時下校の筈だから、今日の和也の授業が総て終わるのは、早く見ても午後二時を回るのは間違いないだろう。時間を潰して和也を待つにしても、あと、有に三時間以上はある。愛子は徒歩で小学校の前を通り過ぎ、駅に向かって歩きながら、これから三時間をどうしようか、と思案した。

 暇な愛子は駅まで歩いていた。普段は駅から学校まではバス通学だが、帰りは時々、駅まで弟と二人で歩いて行くこともある。中学校から駅までは、ゆっくり歩けばヘタしたら50分くらいは掛かってしまう。それでも和也の下校時間までは時間が余り過ぎる。駅で二時間以上時間を潰さなくてはいけない。愛子は、母親に電話連絡して今日だけ和也を迎えに行ってもらい、このまま一人で先に帰ってしまおうかとも考えた。そうこうしている内にひらめいた。

 「そうだ。家に行ってみよう!」

 愛子は独り言だが、思わず声を出した。六月までは住んでいた、この地域のもともとの、自分の家に久しぶりで行ってみることにした。勿論、母親からは、弟ともども、家に戻るのは固く禁じられていた。絶対に父・和臣に会ってはならない、と言われている。人間が変わってしまった吉川和臣に、子供たちが会うのは大変危険だと、智美は心配しているのだ。考えてみれば愛子も弟・和也も、六月まで住んでいた自分たちの家に、出てからこっち一ヶ月まではならないが、この二十日間くらいの間は、一度も行ったことがなかった。思えば、学校からは近いのだ。いつでも行けたのに。

 駅前まで歩いて来ると、愛子は、自分の家がある住宅地方面のバスに乗ることにした。田舎町では本数が限られているが、調度良く、正午前の住宅地方面行きのバスの発車時刻だった。愛子は慌ててバスに乗車した。意外とバスは混んでいた。午前中に市街地で買い物をした、高齢者の乗客が多いようだ。混んでいるといっても田舎の正午頃のバスだ、充分、愛子はシートに座れた。夏服の濃紺のスカートの膝上に学生カバンを置き、バスに揺られて、十分も経たずに住宅地のバス停に着いた。住宅地の中の路地をしばらく歩くと、つい此の頃まで住んでいた自分の家の、二階部分が見えて来た。

 「昼間だけど、まさか、お父さん居ないよね‥」

 愛子は自然と独り言が出た。自分の家も変わらなければ、隣の家も変わらない。そういえば、隣の義行お兄ちゃんは具合はどうなんだろうか? 愛子は、弟・和也に誘われて宵闇の公園の森に入り、通り魔に大怪我を負わされて入院していた、隣家の長男、本田義行のことを思い出した。入院したのは五月で、確かもう退院はしている筈だが‥。

 家の近くまで来て先を見ると、自分の家の玄関下の門扉の前に立つ人が居た。小柄な女性だ。家の門の前で吉川家の二階家を見上げている。愛子に気が付いたのか、女性が振り返った。茶髪をショートカットにした若い女性が愛子の方を見た。半袖部分だけ水色の薄いクリーム色のシャツに、ショートパンツ姿で運動靴という、ラフな格好だ。女性がこくんと頭を下げたので、慌てて愛子も会釈を返した。女性が門を離れ、愛子の方を見つめながら、こちらに近付いて来そうなそぶりを見せたので、「誰なんだろう?」と思いながら、愛子はおそるおそると自分の家に近づいて行った。

 

小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(10)へと続く。

 

 ◆(2012-08/18)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(1)

◆(2013-04/09)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編..(9)α
◆(2013-04/09)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編..(9)β [・・αの続き]

◆小説・・「じじごろう伝Ⅰ」..登場人物一覧(長いプロローグ・狼病編)

 

◆(2012-08/18)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(1)
◆(2012-09/07)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ 」 狼病編 ..(2)
◆(2012-09/18)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(3)
◆(2012-10/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(4)
◆(2012-10/28)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(5)
◆(2012-12/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(6)
◆(2013-01/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(7)
◆(2013-01/25)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(8)
◆(2013-04/09)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編..(9)

◆(2012-08/04)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(12) 

  

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