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「ザンバ」-石川球太·作画 1962~64年-

 もう、このブログの中では何度も何度も書いていることだが、僕が漫画というものを読み始めたのは1962年の晩秋から冬の初め、11月の半ば過ぎくらいから12月初め頃からだと思う。そして当時の少年月刊漫画雑誌を読み始めたのは、62年12月初旬発行の63年新年1月号からだと思う。

 僕の記憶でははっきり覚えているのは、市販本屋さんで月刊少年誌を買って来たのは、当時の「少年」3月号と「ぼくら」3月号で、はっきりした記憶はないのだが、「まんが王」2月号と「少年画報」2月号を本屋で買って来てるのかも知れない。これは記憶があやふやだ。よく覚えてない。「少年画報」2月号はウチの兄貴が買って来たものかも知れない。

 僕の年齢6歳の終わり頃の話で、小1二学期の終わり~小1三学期の初め頃の話だ。僕が漫画本を読んだのは、市販の本屋さんで購入したものよりも、当時の住み家の近所の貸本屋さんで借りて来た本の方が早かった。幼稚園や保育園に行っていない僕がひらがなが読めるようになるのが、多分、小1二学期の11月頃だったんじゃないかと思う。小1の僕に両親も兄貴も「字」を教えてくれなかった。多分、小1二学期半ばまで自分の名前さえ書けなかったんじゃないかな。

 多分、家の近所の貸本屋に通い始めたのも1962年11月頃からじゃないかなぁ。そこから66年4月いっぱいくらいまで、ほぼ毎日、この貸本屋に通った。最初は兄貴の使いだったけど、僕自身が字は読めなくとも漫画の絵そのものが好きだったし、その内、漫画に熱中して何よりも漫画大好き少年になった。漫画超大好き少年。

 62年12月初旬発行の各少年月刊誌63年1月号は貸本屋で借りて来て読んだ。2月号の「まんが王」を買ったんじゃないかなぁ。「少年」と「ぼくら」3月号は市販本屋で買って来た。

 当時の少年月刊誌は「ぼくら」「まんが王」「少年」「少年画報」「冒険王」「少年ブック」の六誌があって、六誌とも貸本屋で借りて読めた。この当時、講談社の「少年クラブ」が62年12月号が最終刊で休刊し、集英社の「日の丸」が63年2月号で休刊した。どちらもそれが事実上の廃刊だった。「少年クラブ」は全く記憶にないけど、「日の丸」の1月号~2月号は貸本屋で借りて読んでるかも知れない。

 

 僕は子供雑誌が大好きだったので、本当はできれば少年誌を買って来て自分のものとしてずっと手元に置いておきたかった。でも、子供の小遣いの金額上、漫画雑誌はせいぜい月に2~3冊しか買えなかった。だからあとは漫画本は貸本屋で一泊二日で借りて読んだ。

 そんな小一、6歳の終わり頃、初めて少年漫画雑誌を読み始めた頃、秋田書店発行の月刊少年誌は二冊あり、一つは「まんが王」もう一つは「冒険王」だった。当時の「まんが王」は僕はよく市販本屋で購読してたが、「冒険王」はほとんど貸本屋で借りて読んでた。僕が「冒険王」を購読するのは中学生になってからで、小学生時代は全冊と言っていいくらい貸本屋で借りて読んだ。

 僕が「冒険王」を初めて読んだのは多分、1963年新年1月号で、この本に「ザンバ」が掲載されてた。別冊ふろくにも「ザンバ」は着いてた。当時の少年雑誌はペーパークラフトの紙製組み立てふろくやすごろくみたいなゲームなどの紙製の遊びふろくと、B6判32ページ、48ページ、たまに厚い64ページの別冊ふろくが3~5冊着いてた。それ以前は少年雑誌の別冊ふろく合戦で8~10冊着いてたが、僕が読み始めた頃はだいたい4冊程度に落ち着いてた。

 

 当時の「冒険王」連載の漫画、「ザンバ」は石川球太先生のジャングル-サバイバル·冒険漫画で、まだアフリカが暗黒大陸と呼ばれていた時代背景の、和製ターザンものの少年版だ。「冒険王」誌上連載期間は1962年3月号から64年8月号まで、この時代の連載漫画としては長期間の長編漫画だ。

 同じ石川球太先生作画で1961年に週刊少年サンデー誌上で「少年ケニヤ」が連載されている。サンデーの1961年4月から62年4月までの調度1年間で、実写ドラマがテレビ放送されたのが61年5月から62年2月までなので、それに合わせたコミカライズですね。「少年ケニヤ」は作家·山川惣治氏の、新聞連載された大ヒット絵物語で、山川惣治氏の原作の初出は1951年10月から55年10月まで、当時の新聞に絵物語として連載されている。

 僕が週刊少年サンデーを読み始めたのは1963年5月からなので、漫画版「少年ケニヤ」は当然読んでいないし絵も見た覚えがないですね。

 

 「少年ケニヤ」は、暗黒大陸アフリカ-ケニヤに取り残されて孤児となったワタル少年が、マサイ族他部族たちや猛獣などと絡み合いながら、ジャングルでサバイバルする少年冒険活劇。まだアフリカの数多くの原住民の黒人たちを“土人”と読んでいた時代ですね。

 山川惣治氏は戦後直ぐに作画した「少年王者」が巷で大評判となり、紙芝居、単行本、雑誌連載と続けて人気を博した。続いて「少年ケニヤ」も大人気となる訳ですが、どちらも暗黒大陸-アフリカ舞台の日本人少年サバイバル冒険もの絵物語ですね。

 山川惣治氏は絵物語作家ですが、僕は文章を書いてるのが山川惣治氏で“絵”の方は別に作画者がいるものと思い込んでました。山川惣治氏は絵物語作家だから文章も絵も書いてたんですね。

 戦後直ぐの時代は絵物語が児童紙媒体娯楽のメインで、漫画が絵物語に打って変わって主座に着くのは昭和30年くらいかなぁ。昭和20年代末くらいからだろうか。それまでは児童向け雑誌のメインを張っているのは絵物語でしたね。

 「少年ケニヤ」の新聞連載が終わったとき、僕はまだ生まれてません。テレビドラマ版が大人気放送されてたとき、僕はまだ5歳ですね。僕の6、7歳当時「少年ケニヤ」は何度か再放送されて見ているのでよく覚えています。

 「少年ケニヤ」は1984年、東映の角川映画で長編アニメ映画化されて劇場公開されてますが、僕はこれは見ていません。 

 石川球太氏オリジナル漫画の「ザンバ」も物語設定は「少年ケニヤ」とよく似ています。同じように日本人少年がアフリカのジャングルで原住民-部族や猛獣と絡んでサバイバルする、冒険活劇漫画です。

 僕が初めて「冒険王」を読んだときまだ6歳で、「冒険王」この年の3月号を読んだときから7歳になる訳だけど、子供の頃の僕はあんまり利口な子供じゃなくてデキの悪い子、ま、要するにバカ領域の子供でいわゆる劣等生で頭悪くて、漫画も子供向けでもあんまり難しいのは駄目で、内容が濃かったり深いのは駄目で、単純に正義の味方が悪い奴らをやっつける勧善懲悪ものが大好きで、6歳~7歳の僕には暗黒大陸アフリカのジャングルが舞台の少年冒険譚「ザンバ」は少々難しかったのか、当時はちゃんと読んでなかったですね。

 

 「ザンバ」も10歳くらいになってたら、バカガキだった僕でもちゃんと読んだんだろうけど。6歳7歳時の僕は脳たりん度がひどかった。当時の「ザンバ」は漫画絵をパラパラ見てたくらいでちゃんと読んでなかったですね。だから「ザンバ」の物語のストーリーの流れを咀嚼してちゃんと理解してない。パラパラ見て雰囲気味わった程度かな。

 僕が石川球太先生の漫画作品をきちんとちゃんと読み始めたのって、9歳以上か、10歳になった頃からだろうか。

 石川球太さんの漫画で僕が面白いと割りと熱中して読み始めた漫画は、1963年の「まんが王」6月号から始まったSFロボット漫画「巨人ロロ」からだな。僕はまだ7歳だけれども、この作品は正義の巨人ロボットが悪のロボットたちと戦う、SF漫画だからな。子供時分の僕は「鉄人28号」「鉄腕アトム」に代表されるロボットSF漫画が大好きだった。

 石川球太先生というと、狼や闘犬、野生サバイバルで苦闘する大型犬、野生の猛獣、ジャングル、大自然と闘う少年、などの大自然や動物を描いた作品が多く、そういったテーマ·ジャンルの漫画作品の専門家みたいに思われ勝ちですが、50年代末から60年代通しての漫画家-石川球太氏はさまざまなジャンルの漫画を描いてますね。

 石川球太氏は50年代後半は少女漫画も描いてたし、SF漫画、怪奇スリラーもの、野球漫画など熱血スポーツものも多い。代表的な作品は大自然が舞台とか、野生動物や大型犬の苦闘を描いたものが多いですけど。

 50年代後半~60年代は、少年誌の男性漫画家はさまざまなジャンルの漫画を描き分けてましたね。SF、熱血スポーツ、探偵·スパイアクション、ゼロ戦-太平洋戦争活劇…。少女漫画を描いてる男性漫画家も多かった。

 僕も10歳を越える年齢になると、石川球太さんの漫画もきちんとちゃんと読んでました。1966年の少年サンデー連載の、マンモスとかとも戦う原始時代が舞台の「原人ビビ」とか、「少年画報」の「魔山マウジンガ」、1967年「少年画報」のテレビ特撮-怪獣もののコミカライズ「怪獣王子」、1968年の少年マガジン連載「野生犬ザボ」とか。

 そういえば1965年の少年マガジン連載、「牙王」は読んでたと思う。僕はまだ9歳だけど。内容は忘れてるけど、狼と犬の混血種の大型犬の苦闘の物語ですね。北海道の大自然が舞台。日本の動物文学の第一人者、戸川幸夫氏の小説「牙王物語」が原作の漫画作品ですね。

 石川球太氏の漫画作品には「野生犬ザボ」「人喰い鉄道」など、戸川幸夫氏を原作に迎えた作品も多いですね。

 60年代通して石川球太先生は少年雑誌に引っ張りだこの売れっ子漫画家で、さまざまな少年誌で連載や読み切り短編を見掛けましたね。

 ただ僕は、こういう言い方は大変失礼だけど石川球太先生の作品はそんなに大好きな漫画でもなかったので、雑誌連載のものは9歳10歳頃からちゃんと読んではいたけど、後にコミックス単行本で読み返したものはないと思います。無論、石川球太先生は僕が漫画を読み始めた時代から抜群に絵が上手く、ストーリーもしっかりしてて名作揃いなのですが、僕の漫画趣味の問題ですね。

 戸川幸夫氏の動物文学を原作に持って来てたり、脳たりん子供の頭には難しかったのかなぁ。石川球太先生の作品で僕が面白いとけっこう熱中して読んだのはSFロボット漫画「巨人ロロ」くらいかなぁ。あとは、恐竜と侵略宇宙人の出て来る「怪獣王子」とか。

 「ザンバ」はひょっとしたら貸本単行本にはなってるかも知れないけど、新書判コミックスの単行本化はされてないと思う。90年代にアップルボックスクリエイトからB6単行本が発刊されてるけど。

    

少年ケニヤ (上) (マンガショップシリーズ 32)

魔犬ムサシ キリマンジャロの風

石川球太短編集 魔山マウジンガ (マンガショップシリーズ 136)

シートン動物記 石川球太の野生シリーズ (1)

少年ケニヤ (下) (マンガショップシリーズ 32)

原人ビビ (上)

人喰鉄道〔完全版〕 (マンガショップシリーズ 158)

ツンドラ狼物語黒チビちゃん 2 (KCデラックス)

原人ビビ (下) (マンガショップシリーズ 20)

狼ジンギス汗 2 (講談社漫画文庫 い 12-2)

巨人獣 第1話

巨人獣 第2話

ヤマケイ文庫 野性伝説 羆風/飴色角と三本指

 石川球太さんの短編漫画でなぜか印象深く、記憶に残り続けてる漫画があって、この短編漫画は多分、わずか16ページくらいだったと思うのだけど、ひょっとしたら20ページあったかも知れない、でも多分16ページくらいで間違いないと思う、その短編は、1966年の講談社·月刊「ぼくら」の5月号に掲載された読み切り短編でタイトルは「ヘンナ君のヘンナ物語」。

 この「ぼくら」5月号は本屋さんで購入した雑誌で手元にあったので何度も何度も読み返して、お話もだいたい記憶している。何か好きなお話だった。病院内が舞台で主人公·ヘンナ君は入院してる子供なんだけど…。まぁ、ホラーっちゃホラーかな。オチでホラーでなくなるけど。一応、ホラー短編なんだろうな。ユーモア漫画ぽくもあるけど。今の時代ではあんまり詳しく書くとさしさわりがあるような。まぁ、ヘンナ君ですね。

 石川球太先生の「ザンバ」は子供のときから知ってたけど「少年ケニヤ」を石川球太さんが描いてたのは知らなかったなぁ。多分、大人になるまで知らなかったと思う。山川惣治氏の絵物語、オリジナル「少年ケニヤ」の存在は、多分、子供時代から知ってたと思う。読んだことはないけど。

 勿論、石川球太さんの「少年ケニヤ」は、テレビドラマ版「少年ケニヤ」の放送に当たってのコミカライズ版だけど。当時のドラマ「少年ケニヤ」は大人気-高視聴率のテレビドラマだった。一応、子供向けだったけど、たくさんの大人も見ていたと思う。大人の視聴者の評判も良かったと思う。

 やっぱり、日本人の未知の世界、暗黒大陸アフリカのジャングルが舞台というのが大きかった。昭和30年代の日本人って、そんなにアフリカだのジャングルだの知らなかったと思うし。70年代くらいまでは、今はアウトな呼び方だけどいわゆる“土人”という、アフリカの裸で槍とか持って猛獣を含めた野生動物を狩って原始生活をする、アフリカのジャングルの直ぐ近くのサバンナとかで暮らす黒人の部族、というのに興味津々だった。昭和30年代はみんな、南米のアマゾンのジャングルとかもほとんど知らなかったし。

 ジャングル冒険ものが流行した一番大きな要因は、日本のテレビ放送黎明期にアメリカ輸入ドラマ「ターザン」が大人気放送されたのが強いですね。後にアニメで「狼少年ケン」というジャングル冒険-少年ターザンものが、長期間連続放送されるし。

 アニメ「狼少年ケン」は一つのジャングルに狼の集団とライオンやサイ、ゾウ、トラなど世界中の野生動物が混在するというムチャクチャ設定でしたが。

 石川球太氏オリジナルの「ザンバ」は、石川球太版の山川惣治「少年ケニヤ」ですね。月刊「冒険王」連載当時の「ザンバ」は、雑誌連載されてた2年半の期間ほとんど常に別冊ふろくで着いてたし、だいたい本誌カラーページ掲載から別冊ふろくへと続くスタイルで連載されてた。当時の月刊誌の看板漫画は本誌カラーページ掲載から別冊ふろくへと続く形で連載されてた。「ザンバ」は「冒険王」の大人気漫画でしたね。

 テレビドラマ「少年ケニヤ」はSFヒーローもの「ナショナルキッド」の放送が終了した直ぐあとの、同時間帯の番組だったんですね。やはり、ナショナル=松下電器の一社提供で。僕は「ナショナルキッド」が大好きで毎週欠かさず放送を見てたと思うし、多分「少年ケニヤ」も毎週見てたと思う。「少年ケニヤ」が放送された61年5月から62年2月は、僕は5歳ですね。勿論、「ナショナルキッド」も「少年ケニヤ」も後の再放送でも見てるけど。再放送時は7歳くらいで見てるんだろうな。「ナショナルキッド」オリジナル初放送時は僕は4歳ということになるな。「ナショナルキッド」の記憶は再放送ではっきりしたものになったんだろうな。

 1961~62年の「少年ケニヤ」TV放送の冒頭タイトルバックの主題歌は子供の頃、好きな歌で、よく口ずさんでいたと思うが、歌詞の中の♪ナーダが味方だ という歌詞は、僕は最近までずーっと♪ガーナが味方だ と歌ってて、主人公ワタル少年を助けてくれる、マサイ族の酋長ゼガの名前がガーナだと思い込んでいた。完璧間違ってた。♪ナーダが味方だ と歌っていて“ナーダ”とはワタルが吹く笛の音が大好きでワタルの笛の音でワタルの味方をしてくれる、ワタルが危機に陥るといつも助けてくれる密林の大蛇だった。マサイ族の酋長-ゼガもワタルの味方だったよな。

 当時の僕は5~7歳くらいのまだまだ幼児域の子供だったが、何か「少年ケニヤ」のヒロイン、ケイトの魅力に参っていたように思う。まだ子供だったのにケイトにセクシーさを感じ取っていたんじゃなかろうか、と思う。

 ケイトもワタルのような身の上で外国人の少女ながらアフリカ部族の預言者に祭り上げられていて、一人二役でアメメ姫という少女もいたよな。同一人物か双子の生き別れか別人か、もう全く記憶してないけど。

 関みどりさんという女優がケイトをやっていて、僕は何か生まれて初めての異性への憧れをほのかに感じていたような気がする。初恋とまでは行かないけど。

 僕のまだまだ幼児域の時代の、初恋とまでは行かないけれど、生まれて初めての異性への憧れを感じた、当時のモノクロ·テレビの中の女性は、歌手の森山加代子さんと、「ナショナルキッド」の志村妙子=後の太地喜和子さん、それからケイト=アメメ姫役の関みどりさんかな。

 80年代後半の「テレビ探偵団」の放送回の中で、ある週のゲストが「少年ケニヤ」をリクエストして、もう1人のゲストとして、多分、そうだったと思う、「少年ケニヤ」でマサイ族の酋長-ゼガ役の当時の俳優さんが出て、当時の撮影の苦労話などをしていた。

 実際にアフリカまで行って撮影したのは背景だけで、役者の演じる物語のほとんどは日本で撮影されてて、ジャングル場面は日本の山中の森林で撮影したらしい。

 ゼガ役の方が、冬場に山の中で裸で撮影したのでとにかく寒くて堪らなかったと話していた。このとき、長野の山林の中と聞いたように僕は記憶してたが、ネットで「少年ケニヤ」の撮影場所を調べて見ると、神奈川県内の山林だったと書かれてますね。

 おもしろいのは、登場人物にアフリカ原住民の部族が多いのに、役者は全部日本人で、腰布以外裸だからみんな顔も身体も黒塗りして黒人感を出してる。

 幼少期はそんなこと何も解らないから毎週、興奮して見てましたね。多分、実際にアフリカでロケしてるとか思って見てたんだろうな。ほとんどの出演者が日本人でほとんどのロケ地が日本の中だとは。子供だから部族が全員、黒塗りした日本人だとか気付かなかった(考えなかった)かな。

 5歳の僕が心惹かれた美少女、関みどりさんは「少年ケニヤ」以外にもさまざまなテレビドラマに出演しているようです。僕が唯一記憶しているのは1965年のドラマ「空手三四郎」のヒロイン役だけですね。他にもドラマ「柔道一代」とか、当時の刑事ものドラマの1話脇役とかに出ていたみたいですね。ドラマ「隠密剣士」の1話の姫様役とか。当時のいろんなドラマの脇役·端役で出演してるみたい。劇場映画の出演もあるようですね。

 関みどりさんは何でも1947年生まれらしくて1970年には俳優業を引退してるのだとか。1961年放映の「少年ケニヤ」当時は14歳くらいだった訳か。

 

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