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●漫画・・ 「エスパー3(スリー)」

Photo_66  ○エスパー3 完全版
 僕が超能力というものを知ったのは、小学生のときで、多分、当時の、石森章太郎さんと桑田次郎さんのSF漫画で知ったんだと思う。当時の超能力知識で、一番ポピュラーな3大能力は、観念動力=念力=意識するだけで物体を動かす力、それから、精神感応=テレパシー=相手の頭の中で考えていることを読める力、3つ目が、透視能力=どんなぶ厚い壁の向こう側でも見通せる力、という摩訶不思議な、子供に取ってはとても魅力的な、夢のような力だった。当時は半ば、きっとそういう力はあるに違いない、とか思っていた。いや、多分、あるのだ、と信じていたのだろう。よく、炬燵の台の上に鉛筆や硬貨を置いて、動け動けと念じた。母親の背中に向かって、自分は今小遣いが欲しいと声に出さずに、念だけ送ってみた。よく、柵や壁の向こう側を透視しようと試みていた。そういえば、僕の小学生時代のエピソードで、僕にはきっと何がしかの超能力があるに違いないと信じ、透視能力の発現の為に、強く目を閉じたまま、道路で自転車をこいだ。一度目は自転車は近所のパチンコ屋に飛び込んで、高価な一枚ガラスを割り、親父は高いガラス代金を弁償した。普段優しい父は、あんまり怒らなかった。二度目はあろう事か自転車は、警察交番に飛び込んだ。警察に被害は無くて、僕がおまわりさんに怒られて済んだ。かくして、僕は自分に超能力が無いことを知った。それからは、よく、夜に当時の平屋の家の屋根に登って、宇宙人が降りて来て、自分に超能力を授けてくれるのを待った。これは小六くらいまで続けていたが、とうとう宇宙人は来てくれなかった。瞬間移動=テレポーテーション、という超能力を知ったのは小学校高学年になってからだろう。当時の少年漫画誌のSF漫画では、石森先生、桑田先生以外の漫画家も、これらの超能力アイテムを使って、少年ヒーロー活劇を描いて、当時の子供達をワクワクさせて楽しませてくれていた。

39  観念動力、精神感応、透視能力の3つの超能力を使うヒーローが活躍する漫画を、桑田次郎さんが描いてくれて、当時、SF漫画が大好きで熱中していた僕はワクワクしながら読んでいた。1964年の週間少年キングの連載だ。1963年に創刊された第3の少年週刊誌、少年画報社の週間少年キングには、創刊間もなく連載された「キングロボ」からこっち、ヒーロー設定を変え、タイトルを変えて断続的に、桑田次郎先生のSF漫画作品が掲載され続けた。「キングロボ」が終了してすぐ後に、超能力ヒーロー漫画「エスパー3(スリー)」が始まった。盲目で、普段は屋敷で静かに椅子に座って過ごす、富豪の青年、ジョージ秋月は、実は世間には隠した特殊な能力を持っている。普段の生活では固く封印した3つの超能力を、正義の為に、悪人を制する時にのみ、仮面とマントのコスチュームヒーロー、エスパー3となって、使用する。その超能力は、観念動力とテレパシーと透視能力。対する敵は、観念動力のみがぐんと秀でた超能力者ベスターと、その悪の組織。強敵ベスターの観念動力は、ジョージ秋月の数倍の能力がある。だが、ベスターはその強大な念力のみで、他の特殊能力は持っていない。エスパー3は人々を救い、悪魔の手先、ベスターを倒す為に、3つの力を駆使して戦い続ける。ベスターは無限のようなパワーとスタミナを持つが、エスパー3の方は特に念力を使い過ぎるとすぐにダウンし、意識を失いそうになる。不利な条件下で悪の強敵に挑み続けるエスパー3。果たして、エスパー3に勝機はあるのか?ジャーン、乞御期待。という感じの、まあ、勧善懲悪SFヒーロー漫画ですね。当時の子供向けなので、ストーリーも単純です。ですが、僕は当時、こういう単純なお話の、SFヒーロー漫画に熱中してました。

Photo_71 Photo_72  週間少年キング掲載の桑田次郎先生の漫画作品ですが、「キングロボ」「エスパー3」と続いて、次が1965年の「少年ジュピター」、そして65年から「エリート」。「エリート」は桑田次郎オリジナルストーリーではなくて、原作付きです。当時から洗練されたSF活劇ストーリーを紡いでいた、気鋭のSF作家・平井和正の原作。「エリート」は長編連載となって65年・66年と続き、さらにエリート第2部として「魔王ダンガー」が67年に連載されます。「魔王ダンガー」の前に、アメリカTV実写ドラマの日本版コミカライズ「バットマン」を、66年から67年に掛けて連載してます。連載はそこまでかな。68年からは週間少年キングと月刊別冊少年キングに、時折、短編作品を一話読み切りで掲載していますね。だいたい同時期に、同じ少年画報社の「少年画報」と「別冊少年キング」に連載や短編を掲載しています。67年・68年から先は、講談社の「週間少年マガジン」や「ぼくら」等の連載が目立つようになってますね。桑田次郎先生は50年代後半からこっち、少年誌で大活躍された漫画家で、60年代末まではSFヒーロー漫画を多量に生産されていた、超売れっ子漫画作家です。50年代60年代は何誌もの連載を掛け持ちで、超多忙な漫画家だったでしょうね。勿論、70年代以降も活躍されているんですが、それまでとは作風が異なって来る。やはりSFが多く、ヒーローものも描いているんですが、話がかなり複雑になって来てます。SFがホラーやサスペンスタッチになって、暗かったり恐かったり、迷わせたり、ちょっと難し気なストーリーになってますね。そういう意味では60年代の勧善懲悪SFヒーローものよりも、よりSF作品となって行ったのでしょう。特に、60年代から70年に掛けての作品では、「エイトマン」「超犬リープ」「エリート」「デスハンター」等の、原作・平井和正氏と組んだ作品は、抜群の面白さを放ったSFドラマとなって、当時の少年誌では大人気でした。「エリート」などは、後の平井和正氏の代表作「幻魔大戦」のベースとなったであろう、設定やストーリー展開が窺えます。

Photo_70  「エスパー3」は初の単行本化をマンガショップさんが、完全版として2006年11月に刊行して、60年代当時大人気だったSFヒーロー漫画に熱中していた子供達が、読み捨ての漫画雑誌で読んで脳裏に焼き付けていた淡い記憶を、復刻版を読むことで本物として鮮やかにすることが出来ました。まあ、子供の頃、あんなに熱中したドラマが、実際は他愛も無いお話だったと思うのは、往年の懐かしのTVヒーロードラマも少年漫画も同じことですけど。昔、村上龍氏が何かのトーク番組で、子供の頃あんなに広大だと思って遊んでいた広場が、大人になって再び行ってみると狭くてびっくりする、というようなことを話してましたけど、同じことなんでしょうね。子供の時の思い出ってのは、当時は何でもとにかくすごいことだったんでしょうね。で、まあ、お話は子供向けで、シンプルな勧善懲悪ドラマなんですけど、エスパー3の使う超能力にこだわると、名前のエスパー=ESPERですが、ESPとは英語の超感覚の略語で、超能力でいえば、テレパシーや透視能力、予知能力、サイコメトリーというものなんですね。主人公のジョージ秋月ことエスパー3は、この内、テレパシーと透視能力を持つ。PK・ディックの原作でスピルバーグ監督のSF映画、「マイノリティレポート」では政府の警察機構が管理して眠らされ四六時中、夢を見させられていた幼い子供の超能力者たちが、劇中で「プレコグ」と呼ばれていましたが、専門用語でも予知能力そのもの、のことをプレコグと呼ぶんですね。ESPの他方、エスパー3のもう一つの力で、敵役ベスターの強大な力、観念動力、よくサイコキネシスとかテレキネシスとかいわれる特殊能力、これはPKと呼ぶんですね。超能力でも、ESPとPKは区別されるみたいです。PKは念力であり、意識するだけで物体を動かせる観念動力の他に、宮部みゆきの原作で映画化もされた「クロスファイア」の主人公の女性が使う、パイロキネシス=発火能力なんかがあるようですね。石森章太郎と平井和正の共作、67年のSF漫画「幻魔大戦」の主人公、東丈が物語終盤で使うPK能力が、劇中でノヴァと呼ばれる超高温発熱発火能力(パイロキネシス?)と、絶対零度と呼ばれる極超低温氷結能力だけど、こういう、自分の周囲を低温化させる能力もあるらしい。「クロスファイア」の中に、昔々のフランスで魔女狩りされた一女性がパイロキネシスを使っていた、という解説のくだりがありました。PK能力者はよく、サイキックと呼ばれてますよね。90年代後半にマガジン誌上で人気を得た、少年SF漫画に「サイコメトラーEIJI」というのがありましたよねえ。僕は読んだこと無いんですけど‥。

Photo_74  「エスパー3」で、ジョージ秋月が超能力者になるきっかけは、アメリカの地で富豪の息子だったジョージは、まだ赤ん坊の頃、ギャングに誘拐され、逃走した誘拐犯は自動車でアメリカの砂漠地域へ入り込んだ。その地は、今正に新型X爆弾の実験が行われようとしていた。爆発が起き、傍に居た誘拐犯の自動車は吹き飛ばされた。誘拐犯は全員死に、赤ん坊のジョージのみ奇跡的に助かった。X爆弾の実験は失敗だったらしい。大人になったジョージ秋月が再び彼の地を訪れ、実験の跡に出来た溜め池に落ちて溺れて水を飲むと、その後、超能力が発現した。そういう経過なんですねえ。新型X爆弾の実験とは、つまり、アメリカの地下核実験のことでしょう。赤ん坊のジョージは死の灰を浴び、大人になって落ちた池の水は汚染されていた。多分、そういうことでしょう。同じ、桑田次郎さんオリジナルの超能力ものSF漫画で、69年に月刊誌「ぼくら」に連載した「シンゴ」では、シンゴ青年が、大量の放射能に包まれた彗星に一度飲み込まれ、放り出されて、体内に放射能を宿したことから超能力が発現する、という設定です。昨年映画化されて大ヒットしたアメリカSFヒーロー映画「ファンタスティックフォー」も、超能力発現は同じような設定ですよね。60年代の石森章太郎氏の代表作の一つ、「ミュータントサブ」も初めの設定は、確か、母親が広島で原爆に合い、主人公サブは被爆2世です。60年代の少年向けSF漫画の一方のヒーロー、超能力者はこの、放射能禍が引き起こしたという設定が実に多いですね。だから馬鹿な子供だった僕なんか当時、真面目に放射能を浴びてみたい、とか思っていました。60年代の漫画の話なんて、ホントいい加減なもんだったと思いますが、これは50年代60年代のアメリカSF小説から来た設定でしょうからね。超能力者って、突然変異説が多かったんですけど、多分、放射能(放射線)が遺伝子レベルで作用して突然変異種を生む、って考え方で、本当は放射能禍は致命的に悪い方に作用するのに、普通の人間がヒーロー化するという良い方の解釈に使用したんでしょう。確か、「スパイダーマン」も初めの設定は、放射線下に居たクモに咬まれた主人公が、超人ヒーローになるんですよね。
 レントゲンやCT等の医療用に使われてはいますが、現実には放射線による被曝は害だけしかありません。大量に浴びれば待っているのは死です。60年代はこんな設定でも、ヒーロー漫画は当時の子供達をワクワク熱狂させてました。何かの本で、水爆実験下で巨大化したゴジラは、全身被爆してあれだけ生命活動が盛んだということは、全身ガン化して生きている珍しい生物だ、と書いてました。進化=突然変異説、というのがありますけど、アメリカSFの超能力者設定には、この説を使用したものも多いですね。

 

 ○宇多田ヒカルの離婚…
 宇多田ヒカルさんが離婚したらしい。ああ、やっぱりな、という気がした。相手の元御主人は紀里谷和明さんという映像作家。宇多田ヒカルはもう24歳にもなるのか。相手の男は今、38歳らしい。確か紀里谷氏って、御曹司とまで行くのかどうか、けっこうなお坊ちゃんでカメラマン、後にCMとかの映像作家で宇多田の、いわゆるプロモーションビデオを専門に撮っていたんだよね。はっきり憶えてないけど、お金持ち出身のボンボンだったよーな。道楽で、子供の頃見たアニメを自分ノスタルジーで、大金掛けて実写映画化して自己満足してた坊ちゃん。という印象しか僕には無い。宇多田ヒカルさんは数年前に、大掛かりな子宮の手術をしていたよねえ。詳しくは知らないけど。お金持ちの坊ちゃんでカメラマン、道楽でSFヒーロー映画を作った、とかって話だと、これはもう絶対、結婚後も浮気しまくり女遊びする、って決定的な感じで思う。そう確信してしまう。なるようになって別離た、という気がしてしまいます。宇多田ヒカルも世界に活動する、超有名人の、若いが大物売れっ子シンガーだし。彼女は大金持ちで、実のオヤジがいつでもピッタリくっついてるし。宇多田ヒカルはコロンビア大学はどうなってるんだろうか?それよりも何よりも、今回の離婚で、僕が真っ先に思ったのは、子供が居なくて良かったなあ、なのだ。幼い子供にとって、両親の離婚は嫌なものだ。今の時代、若くして離婚すれば、必ず次の恋をする。絶対に間違いなく、すぐに恋をする。母親が子供を引き取ったとして、子供の母親は、あまり時間を置かずに、新たな恋人が出来て、同棲か再婚をする。子供にとって新たなる、血縁の無い父親、もしくはそれに類する大人の男は嫌なものだろう。

 新たなる恋が子供の虐待を促進する。今騒がれている、埼玉の、26歳の女が我が息子と自分の両親を、焼き殺した事件もそうだ。夜毎、遊び歩いていた女には、男の影がチラホラしていたらしい。育児放棄していた女には、子供が邪魔だったんだろう。昨年の秋田の畠山鈴香などの、2件の我が子の殺人だってそうだ。あの母親たちは自分の子供が邪魔になった。ここにも男の影があったし。若くして結婚し、簡単に子供を作る。すぐに離婚をする。どちらかが子供を引き取る。そしてすぐに新たな恋を始める。同棲または再婚する。同居の中で子供の虐待が始まる。だいたい今の児童虐待はみんなこのパターンだ、と思えるくらいにこのタイプの事情が目立つ。子供を母親が引き取った場合、新たなる男に嫌われたくないばかりに、子供の虐待に、目を瞑って見ている母親というものも多いらしい。どちらが子供を引き取っても新たなる同居人が、相手の血縁の無い連れ子を虐待する、というケースは多いと思う。子供は非常に大きなトラウマを抱えさせられて育つ。近頃は、運が悪ければ殺される。恋とは本当に罪なものだと思う。母性を消失させてしまう。それは確かに良い人も居ると思う。新たなる恋の相手が、弱者に対して慈しみを持つ、慈愛のある人間だったらいい。そうであれば、例え血縁の無い子供でも、愛情を持って接するだろう。だが、僕には、今の世の中、そんなに良い人は居ないように思える。悲観的過ぎるのかも知れないが‥。でも、はっきりいって、今の世の中、ワガママで自分のことばっかり考えてて、精神的に子供のまんまで、身体だけ大人になってる人達って、多いですよね。毎日毎日起きてる、事件のニュース見聞してても、そう思えるもん。毎日のニュースを見てると、モラルは無くなって来てるし、気象を中心とした環境と共に、人間は人間性が壊れて来てるように見えるし。モラルのひどい低下を示すのは、お墓の無数の金属の線香置き台が、障害者や老人の為の階段の金属の手すりが、子供の公園の金属の滑り台が、マンホールの蓋や柵の金属ポールなど、無いと危険な、安全対策のものが、火の見櫓の金属の半鐘が、全国で大量に盗まれてるし。まあ、これは一概に日本人の犯行とは言えない。外国人犯罪の可能性は充分、大きそうだけども。

 全国的な金属製品の相次ぐ盗難事件に代表される、昨今報道などでよく聞く、窃盗、強盗、盗難の事件類の増加は、ひょっとしたらワーキングプアなどの言葉が表わす、下層庶民の低所得層が増え続け、働けど働けど稼ぎが一向に上がらない、逆に年々基本給が下がり続けているという、格差社会の事実が引き起こしている犯罪、という考え方も、出来なくはないのかも知れない。10年くらい前は、ハイティーンの不良少年がゲーム代欲しさに犯罪を犯す、などという事件が目立ったけど、今や生活の為、つまり食べる為に犯す犯罪が増えているのではないか。それは勿論、犯罪は社会的にとても悪い事だが、これが食べて生きて行くためとなると‥。社会の仕組みが悪くなっている、という事もあるのだ、という気がしてしまう。長距離トラックやバスなどの、居眠り運転による交通事故も、中小企業の輸送、運送運搬会社が人件費コスト削減のため、従業員運転手に無理な長時間運転を強いている為、ということもある。無論、運転手の人たち自身も長時間働いて無理をしないと、生活が出来ず、食べていけないからだ。いつまで経っても所得の低い多数の若者達は結婚も出来ない。結婚しても生活の先行きに不安な夫婦は、子供も作れない。柳沢厚労相を代表とする政治家たちは、機械のように子供の生産性を高めよ、と言うが、先行きが不安で心配で、子供なんか作れる訳が無い。

 別に、僕自身が、幼い内から血縁の無い親に育てられ、子供の頃虐待を受けた過去を持ち、その恨みつらみから、こんな事を長々書き込んでいる、という訳ではありません。僕は子供の頃に、虐待やイジメを受けた経験は持ってません。ただ、やっぱり、虐待を受ける子供というのは不憫でなりません。後で虐待するくらいなら簡単に子供なんて作るなよ、と昨今の子供の悲しいニュースを聞くたびに、怒りと共に強く思います。昨今のこの手のニュースを聞いていると、やはり、新たな恋愛による無責任な育児放棄にしろ、育児ノイローゼにしろ、子供を育てられない母親というのは増えているのだと思えます。僕は赤ちゃんポストは必要だと思っています。子捨てを助長するなどといったって、それで命が救われるのですから。やはり子供の命を助ける方がぐんと重いですよ。ヘタに、子供を育てられない親に、幼少期に虐待を受けて育ち、取り返しのつかない心の大きな傷を背負うよりも、場合によっては殺されるよりも、子供は施設なりで育った方がどんなに良いか。僕は赤ちゃんポスト肯定派ですし、もっと孤児施設も充実させなくてはならないと思っています。だいたい僕は子育てについては、社会主義です。ハイレベルな孤児育児施設を増やして、国家が孤児の養育と教育を、ぐんと充実させる。勿論、統一された思想教育などは行いません。別に、全体主義国家を作るのが目的ではないのですから。詳しくは書き込みませんけど、まあ、これは僕の理想意見です。世間からは猛反対を受ける、理想意見ですけど。とにかく、僕は負の立場として成長する孤児達には、国家がエリート教育を用意して、逆に選良意識を持つくらいに、孤児であることが誇りになるくらいに、胸を張って生きて行けるようになったらいいな、という理想を思っています。

 だいたい最近の事件の報道を見聞していると、男女の愛なんて、行き着く先は、去年の暮れの、渋谷の高級マンション住まいの夫婦の、妻が夫を撲殺して解体して、あちこちに肉片をかためて捨てた事件、あれに集約されるような気がしている。男女の愛なんてしょせん、行き着く結果はあんなものなんだと、何か絶望的なものしか、此の頃の僕には抱けませんね。男女の色事の欲望のくっつき合いに、愛なんて崇高な言葉を使うのはやめろ。ふん、どーせ、子供をいじめて殺すしかしないくせに。何か、男女の愛にはそんな屈折した見方しか出来ない、今日此の頃ですね。無論、当然のように、ごく普通のカップルも多いのだと思います。そりゃそうだよね。人間性を持ち、常識的な慈愛を持ち、子供を愛情を持って育てられる夫婦、恋人同士。正常な母性・父性を持った人間。何だかんだといっても、そういう普通な人間が大多数なんだという、希望と期待感を持ちたい。しかし赤ちゃんポストは賛成です。子捨ての助長と言う前に、幼い命を救う方が先ですから。無知無思考的に単にお互いの欲望の捌け口ではなくて、また、恋愛ゴトが何か美しいようなおめでたい嬉しいことだと、手放しで祝福できる時代が戻ればいい。ああ、また今日も、男女の別れ話から、待ち伏せしていた男が女をナイフでめった刺し、というニュースを聞いた‥。

 紀里谷和明さんは熊本出身で、実家はやはり熊本の大金持ちらしい。地元の中学を卒業してすぐに渡米、アメリカで大学までデザイン芸術方面の勉強をしている。写真や映像表現の仕事には評価のある、とことん細かに仕事に取り組む、仕事には真面目な人らしい。僕はど~も、大金を稼いでいる、若くして大物アーティストアイドルシンガー、宇多田ヒカルと、逆タマみたいに結婚した、坊ちゃん出のカメラマンというので、胡散臭いいい加減な享楽的な男、という印象を勝手に抱いていたのだが、そうではなく、ちゃんとした技量・才能を持った、けっこうきちんとした人らしい。失礼しました。宇多田ヒカルさんは2002年に卵巣摘出手術をしているんですねえ。その後の結婚。4年半の結婚生活は、国際的に仕事をする二人の、活動の拠点が片や日本とニューヨーク、片や日本とロスで、一緒に生活する時間の少ない、すれ違い夫婦だったらしい。まあ、男には別に女が居たろうかな?とか勘ぐりはしたくなるね。宇多田ヒカルにべったりくっついたきりの親父との確執もあったかなあ?横峰サクラも、将来一緒になる男には、サクラパパという存在は難敵だろうなあ。宇多田ヒカルさんはコロンビア大学は、一年でもう退学していたんだね。なあんだ、ガッカリだよ。最も、日本の芸能界であれだけ活躍していたら、アメリカの大学には行けないよね。日本の大学だったら可能だったんだろうけど。

※(2011-01/16) ― 最近、ここの記事を読み返すことがありました。随分、ひどいこと書いてるな、と思い、反省しました。宇多田ヒカルさん、ごめんなさい。昨年暮れに大々的に音楽活動休止記念となる、現活動ラストコンサートを行い、この間、一時期芸能生活引退したばかりですが、まあ、宇多田さんの場合、アーチスト活動というのか、とにかくここで一度、プロポピュラー音楽家を休止というか一時引退する、そして、宇多田さんいわくの人間活動に入る訳ですけど、スターティングングオーバー、新たな出発を頑張ってくださいね。次の人生、頑張ってください。今、よくカーラジオで割り合いポップな感じの新曲を耳にしますが、あれも良い曲ですね、今タイトル思い出さないけど(Goodbye Happinessでした良い曲。)、宇多田さんの曲にしては僕はポップに感じる。宇多田ヒカル第一期プロ音楽活動ラストシングル、なんだろうな。宇多田ヒカルがワシのこのBlogのここの記事や文面を読んでいるとは思わないが、ここを目にしようがしてまいが、とにかく一度謝っておきます。ひどいこと書いてゴメンナサイ。と。離婚の件も紀里谷さんのことも病気のことも宇多田さんの生活・人生さえも、本当は何一つ解らず知らないのに、いい加減な憶測・想像で勝手なコトばかり書き連ねて、ヒトの気持ちも全く考えずに、本当にゴメンなさい。と。・・・・

※2015-07/03(宇多田ヒカルさんがご自分のBlogに、第一子長男の出産を公表されました。浅はかな僕は、宇多田さんが卵巣摘出手術を受けられたと聞いて、卵巣全体を取り除いてしまったのかと思い込んでいました。そうではありません。宇多田さんのご病気は、卵巣内に良性の腫瘍ができたことでした。宇多田ヒカルさんの手術とは、卵巣にできた良性腫瘍を切除する手術でした。女性の卵巣に良性腫瘍ができてしまうことはけっこうよくあることらしく、小さいものは放って置いても大丈夫らしいのですが、大きなものになると摘出した方が良いそうです。僕はこの手術で宇多田さんはてっきり卵巣全部を取り除かれて、もう子供を作れない身体になってしまったんじゃないかと思っていました。宇多田ヒカルさん、どうも失礼しました。そして第一子のご誕生、おめでとうございます。健康にすくすくとご成長されることをお祈りします。)

Photo_69  ○リンダ・ロンシュタット
 えと、世界の車窓から‥、だっけか、テレ朝系でやってる、短いの、あれのオーストラリア海岸リゾートビーチで遊ぶ水着姿の人たちをバックに、懐かしい、リンダ・ロンシュタット初期のヒット曲「Different Drum」が流れていて、久々聞いて感激しました。昔のレコードでは、輸入盤でリンダ・ロンシュタット初期のベスト盤を持っていて(あれは海賊版だったのかなあ?ジャケットイラストが素敵だった)、もう一つ、東芝EMIのレコードでベスト盤を持ってて、両方に入っていた聴いているだけで幸福な気分になれるような、ビートを利かせた明るい曲。僕は、十年くらい前に近くのCDショップで、リンダ・ロンシュタットGreatist Hits Vol.2のCD版が安価で売っていて、手に入れたのですが、これには初期の名曲である、「Differnt Drum」は入っていませんでした。レコード盤だと、確か日本公開にならなかったアメリカ映画『FM』のサントラ盤(これも輸入盤)で、いろんなアーティストのヒット曲挿入歌が納められている中に、リンダ・ロンシュタットの中期のヒット曲、「Tumbling Dice」と「Poor Poor Pitiful Me」のライブバージョンというレアものが入っていたんだけど、あれも今一度聴きたい曲だなあ。「Different Drum」は確か邦題、「悲しきロックビート」という曲じゃなかったかなあ。70年代後半から80年代初め、僕は、ウエストコーストの歌姫、リンダ・ロンシュタットが大好きで、アルバムを何枚もいっぱい持っていて(新譜が出る度に買って、古いのは輸入レコードで買ってた)、部屋にはレコード屋さんで貰った、熱唱するリンダの美しい顔アップの、大きなポスターを貼っていた。アルバム「Living In The USA」を出した後、来日して、僕は当時の武道館に日本公演を聴きに行ったものでした。真冬で12月だったように憶えているけど‥。

Photo_73  「Different Drum」はリンダ・ロンシュタットのデビュー時、カントリーバンド、ストーンポニーズのボーカルをしていた当時のヒット曲みたいだね。多分、そうじゃないかと思う。カントリーバンドって、この歌はカントリーではなく、フォークロックという感じの曲だけど。バンドデビューの2年後にソロ歌手となる。ソロになってからは持ち前の声量と美しい歌声で、実力を発揮、一躍、当時隆盛のウエストコーストサウンドの中心的ボーカリストとして活躍、ヒット曲を量産する。といってもリンダは曲を作る訳ではなく、あくまでスーパー女性ボーカリストとして、ロックやバラードを歌い上げ、カバー曲のヒットが多い。「It’s So Eagy」や「Heat Wave」等の、声量を効かせて歌い上げるハードロック調の曲や、「Blue Bayou」「Long Long Time」等のしっとりと美しく歌うバラード曲。もう、たまりませんでしたねえ。良かったなあ、リンダのロックとバラードの魅力的なボーカル。僕がリンダ・ロンシュタットを聴いていたのは80年代前半までで、それ以降のことは全く知りませんでした。武道館ライブっていつだったんだろう?調度、80年くらいだったのかなあ?武道館の表玄関の上に横垂れ幕で、Welcome, Miss.Americaって書いていたのを、今でも憶えてます。調度、アルバム「Living In The USA」が全米No.1になった後の来日だったからね。90年代以降はジャズボーカルにも転向したらしい。今でもアメリカの国民的大歌手なんだって。ディスコグラフィー見ると、80年代90年代2000年代とずうっと、だいたい1年に1枚の割合で、新作アルバムを出している。これはすごい事だよね。70年代後半から80年代前半、オリビア・ニュートンジョン、スティービーニックス、リンダ・ロンシュタットは3大美女シンガーと扱われていたらしい。僕はこの3人とも好きでした。シビレルなあ、リンダ。リンダのロックがまた聴きたくなって来たなあ‥。

 

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