河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2231- アルテンベルク、天羽、ラヴェルLHPC、エマール、GM4、大野和士、都響、2016.11.28

2016-11-28 23:22:46 | コンサート

2016年11月28日(月) 7:00pm 東京文化会館

ベルク アルテンベルク歌曲集 3′1′1′2′3′
 ソプラノ、天羽明恵

ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲 8+6+4′
 ピアノ、ピエール=ロラン・エマール
(encore)
ブーレーズ ノーテーション 8,9,10,11,12   4′

Int

マーラー 交響曲第4番ト長調  16′9′20+8′
 ソプラノ、天羽明恵

大野和士 指揮 東京都交響楽団


素晴らしいプログラムで、ソリストも2名、内容も同じく素晴らしいものでした。

ベルクは退廃的な香りがするもので、限りなく短いピースに音楽が凝縮されている。若いときの作品。歌詞を読み上げる長さどおりの曲の長さと感じる。声と楽器の絡みがいいですね。見事な独唱がキラキラするオーケストラサウンドから浮かび上がってくる。楽器の一つのようにも聴こえるし、明らかに異質のものにも感じる。天羽さんの声は大変に魅力的、自然な歌い込みでなめし皮のような響き、百戦錬磨の声がする。ジャストマッチ、余裕の天羽さんでした。
オーケストラの平衡感覚も素晴らしく、機能的なあたりのことに気付かせることなく、細部に光を当てていく様が見事。

ラヴェルのレフトハンドは、らしいキラキラさを、やっぱり、片手でエクスプレッションするにはちと無理がある。オーケストラ伴奏は光り輝くものをサポートしてはいるのだろうが、なぜか同じくやや重い。暗から明へといったところはありますね。
エマールは今年LFJでメシアンの鳥のカタログを3回に分けて全曲演奏した。そのうち1回目と3回目を聴きました。録音した鳥の声、鳥の映像、トーク、そしてピアノ演奏と面白かった。あのイメージが強く残っている。
やや左サイドから見るエマールの手。右手の止め具合がたいへんだろうなぁと感じる中、殊の外、柔らかい左手の運び。動きは柔らかく音は鋭く。音の強さの幅が大きい。オーケストラに打ち消されないピアノ、カデンツァも絶妙でした。見事なピアノでした。
カオスのような始まり、オーケストラはそうはならず、とにかく明瞭。極めてクリアでこの種の演奏には最適。終楽章最後の打撃音とめくりあげるようなエンディング。きれいにきまってまして圧倒的。
エマールのアンコールはブーレーズのノーテーション8-9-10-11-12。前日の同一プロ演奏会のアンコールでは1~5をやった模様。もう1回レフトハンドやってくれてアンコールもやってくれれば全部演奏することになったのかもしれない。

後半のマーラー。
線の音楽。最初から最後まで一本の線というものを感じさせる作品で、際どいバランスがいたるところにある。都響の音はあいかわらず硬い。硬いのだがよくよく聴くとひとつずつの線が細い。細さが硬さを感じさせていたようなところがある。聴きようによっては痩せている。アダージョ楽章にズシーンと奥行きや深さが感じられないのはいたしかたがないと思う。半面、ひとつずつのインストゥルメントの線が束になるときのパッセージの運びなどはよくきまっていて美しい線。これはひとつバランスを崩すとかなり際どい演奏になると思うのだが、そうならないのはハイレベルスキル保有者がまんべんなくいるからであって、もはや明確にスキルが音楽のレベルを維持している。だから指揮者が変わっても一線のレベルはだいたいクリアできるという話なわけですね。ティンパニは毎度きつすぎると思いますが、オケのこのような硬質さを助長していますね。
といったことを、この4番を聴いてつくづく思いました。
アダージョ楽章の最後の盛り上がりのところで天羽さんがしもてから登場。ベルク同様な声のタッチが美しい。上から下までおしなべて一律なトーンで極めて自然。作為や困難さをまるで感じさせないビューティフルな独唱。
マーラーの線、音色旋律風味に色々と変えてくるこの曲、線が事も無げに色変わりしていく。機能的で平衡バランスに優れた都響の演奏も終始お見事なものでした。


サントリー定期をこの日に振り替えましたところ、なぜか1階の高台良席に。独唱、ピアノ、オーケストラの呼吸、双方よくわかるものでした。ありがとうございました。
おわり