河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2225- ラインの黄金、ティーレマン、ドレスデン、2016.11.20

2016-11-20 23:43:00 | オペラ

2016年11月20日(日) 4:00-6:50pm サントリー

サントリー・ホール プレゼンツ
ホール・オペラ
ワーグナー 作曲
デニー・クリエフ ダイレクション
ラインの黄金  150′

キャスト(in order of appearance ,also voice’s appearance except wotan & fricka)
1-1.ヴォークリンデ、クリスティアーネ・コール(S)
1-2.ヴェルグンデ、サブリナ・ケーゲル(S)
1-3.フロスヒルデ、シモーネ・シュレーダー(Ca)
2.アルベリヒ、アルベルト・ドーメン(BsBr)

3-1.ヴォータン、ミヒャエル・フォッレ(Br)
3-2.フリッカ、藤村実穂子(Ms)

4.フライア、レギーネ・ハングラー(S)
5-1.ファーゾルト、ステファン・ミリング(BsBr)
5-2.ファフナー、アイン・アンガー(Bs)
6.フロー、タンセル・アクゼイベク(T)
7.ドンナー、アレハンドロ・マルコ=ブールメスター(Br)
8.ローゲ、クルト・シュトライト(T)

9.ミーメ、ゲアハルト・ジーゲル(T)

10.エルダ、クリスタ・マイヤー(Ms)

クリスティアン・ティーレマン 指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(duration)
序奏 5′
第1場(場面転換前まで) 19′
第2場(場面転換前まで) 45′
第3場(場面転換前まで) 28′
第4場 53′(43+ハンマーから10)


両腕付き大蛇には爪が伸び、カエルは抱えるほどデカい。スリルも満点。

この上演、やっているほうは普通の事なのかもしれないが、観ているほうにとっては驚天動地、唖然とするもので、あんぐりと開いた口が塞がらない。しばらくぶりに自分の地声ブラボーを聞くというノー制御状態に陥ってしまった。悶絶のラインゴールド。よくもまぁこんなパフォーマンスができるものだ。ぶったまげた。スーパー・ゴッド。

14キャラクターのはまり具合が絶品。黙ってても巨人な二人をはじめとして、リンゴを食べ過ぎた感のあるフライアまで、ことごとく決まっている。
ティーレマン棒によるドレスデンは驚異的なしなりをみせるチェロ群はじめ、どこを切っても、血湧き肉躍る。


あっさりとティーレマンが登場。中腰の椅子に座り、底から音が湧き出てくる。
ホール・オペラというとこのホール1990年代に同じように銘打った上演がわりとあった。懐かしさを感じつつ。
オケ後方に高めの舞台を作りそこで楽劇が繰り広げられる。前方オケはほの暗くなりピット状態。うまくセッティングされている。ホールは照明を落とし真っ暗に。
舞台はなにやら屏風風でそこに山の頂やそれぞれの場に合わせた雰囲気を醸し出す。右左は一歩前に出た屏風で横にスライドしてここも場により風景が変わる。ニーベルハイムの財宝のあたりではさながら金屏風。色々となにやらジャパニーズ風味がにじみ出ますな。
字幕は右左奥上方に横に出る。オペラ字幕付き上演の初期の時代を思い出す。あの真上に横に一本の字幕、近い席だと上過ぎて見えないという時代がありましたね。

乙女からの歌唱、ちょっとPA効き過ぎかなと感じました。声の拾いがオケまで及んでいるようなところがあったと思います。最初は声も、そして部分的にオケもちょっと飽和感のあるサウンド。

全員主役の楽劇。次々と神キャラが出てくる。
乙女3人衆のうちシュレーダーは昨年、初台ラインでフリッカを6回歌った。本当は今日もそうしたいのではなかったのかしら、という思いが脳裏をかすめる中、そこには別のシンガーが鎮座。
乙女はしもて側の屏風の上から顔、身体を出しながら動き歌う。ここが第1ポイントで、このホール・オペラ、滑らかなスタート。そこに威厳のあるアルベリヒが横から登場。あれこれ指環ストーリーの起点からいい出だし。
強面ドーメン、バスバリトンの破壊力は巨人族に比するもので、最後の指環呪いまで聴きごたえ満点。威厳を感じるアルベリヒ。動きも理にかなったものですね。
この舞台でできそうもないのは、この第1場での川の流れ、第3場の財宝工場工事現場、第4場でのフライアを財宝で見えなくする、といったあたりのことで、うまくイメージ処理していたと思います。

場面は変わり、眼に墨を塗ったヴォータンが先に登場し、後出のフリッカからの歌となる。今日の並みいる体躯のキャラに混じると小柄な藤村、声はデカい。一点光源から大きく広がる声は余裕のフリッカ。まことに役にふさわしい。ヴォータンのフォッレは悲哀をたたえた情感を割と表に出し、あとでのやり取りとなるローゲとの画策談義も神とはいえ憂いをたたえた神ですな。フリッカ、アルベリヒ、ローゲ、それぞれに対するヴォータンの変化(へんげ)がお見事。バイロイトでのベックメッサーからウィーンでのアムフォルタスまで多彩な役をこなしている。今日のヴォータンは神よりもむしろ、より人間くさい風味が出ていました。

気丈なフライアが出てくる。ド級の迫力。これを圧するかのように巨人2人が現れる。細工の無いサイズで出てくるのだが、そもそもが巨人族みたいな体躯の二人。迫力ありますな。このキャパの身体から出てくる声はなるほどそういうものだったのかとびっくり実感。
弟役のアンガーはこの前のウィーン国立歌劇場公演でフンディングをしていた方。この前はヴォータンにやられたが、今回は兄貴をやる。どっちにしろ、あまりいい役ではないですね。
ファーゾルトのミリングは昨年今年とバイロイトでハーゲン。この巨体からにじみ出るフライアへの愛、第4場でワーグナーの筆で微妙に鮮やかに奏でられるファーゾルトのフライア愛の寄り添うフレーズ、短いものですが味わいが深いもの。ただし、ティーレマンは、ここは殊更意味ありげな停滞は見せない。彼の流儀でしょうね。
ファフナーのアンガーはこの前は割としなやかな歌のフンディングでアクセントは少し異種のものを感じたのが印象的。今日のファフナーは鋭角的な歌唱でキャラクターがよくきまっていたように思います。今年、ピーメンでロイヤル・オペラにデビューというのにはびっくりですが多彩な役柄をこなす人のようですね。大柄だがスリムで、今回の役はツボにはまっていたと思います。
この巨人2人の動きは狭い舞台の中にあって存在感あります。動きはメリハリがあって要所を締めていました。

場がごちゃごちゃしてきたところに、さらに、剣を持ったフロー、ハンマー持参のドンナーが登場。まぁ、ごちゃごちゃするが、この場、このあとのローゲを入れて最大8人の舞台。これ以上は増えない。目をしっかり凝らして見る。
フローのアクゼイベクはきれいなテノールで、本当にクリアな線が浮き出てくるような歌ですね。見た目、仕草も紳士の神のような具合。フローの存在感が増しました。この後の4場での独唱が美しい響きでした。
ドンナーのブールメスター、主役級のヘルデン・バリトンだと思われますがこの日は4場で屏風にハンマー打ち込み。主役ゴロゴロの本日のキャスト群。底が完全に上の方にあげられているハイレベルなパフォーマンスの一端が垣間見られた一瞬。

策士ローゲが赤いシャツにスーツという姿で登場する。なにやら昨年の初台のグールドがオーバーラップする部分もあるが、歌唱はまるで違う。張りのあるヘルデン・テノールとはちと違い、柔らかい。柔軟性のあるテノール。なめし皮のような。
モーツァルトのスペシャリスト、シュトライト。ローゲまでレパートリーを広げてきたと。
ローゲのキャラとしては人間界のほうに近い感じ。ローゲ役の固定観念をもつのは良くないことと感じ入る。
ここで2場マックスの8人そろい踏み。

3場のミーメ。ジーゲルは2001年のほうのトーキョーリングにも同役で出演。その後、ヘルデン・テノール主役級からまたミーメ戻りしたということなのかしら。それともレパートリー拡大は、それはそれとしてミーメはデフォみたいなもんなんでしょうかね。ちょっと更けた感じはありますけれども、独特キャラの歌い込みで、イエローなサウンドが弱さをうまく表現している。いずれにしましてもゴロゴロとキャストがうなっている。

ホール・オペラではニーベルハイムの工事現場のシーンは難しい。ここはイメージで通り過ぎる。
アルベリヒ、ミーメ、それにヴォータン、ローゲ、それぞれの掛け合いから、策士ローゲとアルベリヒのやり取りのところは劇的な異常高速演奏が結構あると思いますが、ティーレマンはここでも過激な伸縮はないですね。
両腕付き大蛇には爪が伸び、カエルは抱えるほどデカい。スリルも満点。かみて屏風から出てきます。カエルにたどり着くまでの双方のやり取りがスリル満点。ワーグナーの技がさえる。

一番長い終場。
ほぼ泥棒状態の言い訳満載のヴォータンの場、屁理屈極まれりの面白さは神だから許されるのか。そして契約重視のミスマッチ感。ちぐはぐなストーリーと言えば言える。これはうその上塗りではなくて、契約を履行するにはうそを重ねても結果的に履行行為がなされればいいという話で、その時点でうそは消える。呪いがかけられた指環が一点ウィークポイントとして残る。それが物語の起点となるわけで、ストーリーテーリングが光るという話。
ここは長丁場だが、前半の拘束解放のアルベリヒ、それと彼の指環呪い。それから最後のハンマーによるむさくるしい空気払い。この部分を横に置くと濃い部分はそんなに長いわけではない、結構早くかたがつく。むしりとったものをエルダのアドバイスで巨人に渡し、彼らが仲間割れするまで。
前半、拘束されたアルベリヒが解放に至るところのドーメン、迫力ありました。バスバリトンの威力。ローゲとヴォータンを圧するもので、これはきっとよくないことが起こるのは間違いないと、強烈なインパクト。かなりの比重を感じました。このシーンは空気がひずんだような圧力。ワーグナー、次のストーリーに進みたくなる。

ダダコネヴォータンは巨人に指環を渡したくない。ダダコネには理論超越型の母性的女性の一言があれば大体の男の子は言うことをきく。そう思ったのかどうか、突然のエルダ出現。あまりに唐突過ぎる話ではあるのだが、この唐突があってはじめて次の展開を作れる。契約履行のために奪い取った指輪は、理論超越で巨人族のもとへ。財宝が目に見える位置にあってほしいがこのホール・オペラではそのイメージで通過。
フリッカ愛のファーゾルト、現実的なファフナー。この2人のやりとりは少しずつファフナーのほうに位相が傾いていく様が巧み。両巨人の歌唱は巨体通りの迫力。ミリングのキャラクターは本当によくきまっていた。弟にやられて最後まで舞台に仰向け。これが一つアクセントになっていて、ハンマーのあと場に誰もいなくなって、なんにも残らないところにゴロンと一つ仰向け巨人。音楽は3拍子がワルキューレの騎行にすぐにでも変化しそうな勢いの中、テンポを一段落とし、ワーグナーのうねりがヒートしていき最高潮に達したところで入城エンド。めでたくフィニッシュ。

唖然とするような14キャラ歌唱が繰り広げられたアンビリーバブルなパフォーマンスにびっくり仰天、エポックメイキングな一夜となりました。


中腰で椅子に座りっぱなしのティーレマン、彼に棒はなくてはならないものだろう。軽めのアッパースウィング棒。時に左足で踏ん張り、右足で空中を蹴上げる。そうとうな入れ込み具合だ。上半身に派手な動きはない。必要にして最小限で的確。ドレスデンの集中力がもの凄い。あのタクトにパーフェクト反応。一体感を実感。この呼吸の見事さは、彼らにとっては日常茶飯事なのかもしれませんけれども、普段からの結びつきがあるからこそのもの。日常におけるオペラ上演の毎日がうらやましくなる。その結果のひとつの出来事とは言え、フィニッシュして、ティーレマンがコンマスに駆け寄り、双方抱擁する姿は、彼ら自身会心の出来であったに違いない。長い拍手とブラボーが果てしもなく。

ティーレマンは極端な伸縮はしない。コントロールの効いたあっぱれな指揮でした。
前回来日時のブルックナー9番のスタイルは彼の一つの頂点解釈と思います。その路線だと思います。
1755- 変容、ブルックナー9番、ティーレマン、ドレスデン国立歌劇場管、2015.2.24

おわり