3月22日三鉄、宮古駅を出発した、2020東京五輪聖火は釜石からSL銀河に乗り次いで、花巻に向かい、夕方には新花巻、一目見ようと100人ほどの人が集まったが、停車することなく走り抜けてしまった。
到着ではなかった、通過だった。 ※ネットから拝借しました。
確かフロントには「復興の火」と記されているはずだが、読む間もなく通過。
多分、桜のころだったと思う、水の冷たい田んぼ、苗代に素足で入って、鍬で平らにならしてから水を張り、秋の収穫を祈りながら種もみを蒔く。
その苗代の中心には1本の「オガラ(麻の茎)が立ててある。
種まき終わった、おじいさんが 「これはな、昔々、偉いお坊さんが、大陸で修行が終わり、日本に帰るときに、オガラの空洞に数粒のお米を入れて、持ち帰ったのが今の日本のお米の先祖だったんだよ」
どこの家の苗代にも「オガラ」が立てられていたから、豊作を祈り感謝の表れだったのだろう。
昭和40年ころからは苗代がなくなり、替わって超密播した箱育苗になり、田植えも機械で植えるようになった。
牛や馬で田んぼを耕していたのが、耕運機を経てトラクターになり、稲刈りも手作業が大型の収穫機械、コンバインになり、広い面積を、一気に刈り取ってしまう。
やがては、田んぼにコンピューター、ドローンも現れる。
米つくりの環境も大きく変わり、昭和40年ころから、初めて米が余るという時代を迎えて、生産調整、減反、耕作放棄も・・・食生活の多様化もあり、現代ではお米の出来、不出来もさほど気にならなくなるという米つくり3000年にしてありがたい世の中になった。
激しく変わった、この5~60年余り。
同じ時代、変わる歴史を体験し、見させてもらった、幸運な農業人生だったかも知れない。