岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

さびしいクリスマス

2011-12-22 14:57:21 | いなか暮らし
 いつもの年に比べたら今年のクリスマスはとても静かに思う。
 例年、派手なクリスマスイルミネーションが話題になるが今年はさすがに自粛モート。
 「自粛が当然、」「いやこういう時こそパーッと、」どちらも色々言っている。
 12_024 我家のツリーは自粛ムート、゛加えて節電 例年の半分にも満たないイルミネーションを飾り付けて点灯も夕方一時間と孫たちと約束。
 それでも大喜びしている。
 辛い想いのこの一年、来年こそ派手さを競い合える良い年になりますように。
 さびしい今年のクリスマスである。




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胡四王蘇民祭

2011-12-18 09:48:32 | いなか暮らし

12_023_2 12 胡四王神社蘇民祭は年明け早々の1月2日宮沢賢治記念館のお山、胡四王山一帯で繰り広げられる。

 地域の若手が準備に追われている。

 東京在住の Wa☆Daフォトギャラリー 和田氏の作品を利用させていただいてポスターや新花巻駅前の大看板を一新した。
 すでに岡山や京都、首都圏からの参加申し込みが届いている。
 参加希望の方は早めにお申し込みください
 観覧希望の方も今から準備を。
 雪、炎、裸 写真好きの方には絶好のロケーションかと。

 毎年、勘違いされている方に
  9時ごろからの餅つきや冷たい水を頭から浴びる水垢離は賢治記念館とは反対(北)の麓の社務所(山頂から階段を下って10分、釜石線沿い)で行われ裸まいりも社務所から出発、山頂には10時過ぎの到着 浄火祭のあと、蘇民袋争奪戦は11時頃から激しく争いながら社務所付近の一の鳥居を目指します。

 花巻市内で行われる三つの蘇民際は
       1月 2日 胡四王蘇民祭に続いて
       1月29日 五大尊蘇民祭
       3月17日 早池峰神社蘇民祭 が行われます。

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「坂の上の雲」

2011-12-10 09:35:25 | いなか暮らし

 期待の「坂の上の雲」第三部が始まった。
 12月4日放送の、第一回冒頭ナレーションの戦争シーンにホンの数秒だけ映った確か2門の大砲が発射するシーンがあった。

 この秋、愛媛 松山城を訪ねた折、「坂の上の雲」ミュージアム屋上に展示されていたでっかい大砲
Img_0070 たしか「坂の上・・」の撮影に使われたと説明していたような気がする。
 とすると第一回の放送に映っていた大砲かも知れない。

 展示されている大砲は実に良くできている。
 鉄の塊みたいな大きな大砲がどうして狙いを定めるのか、この大砲をまじかに見ればよく理解できる。
 大河ドラマの中でも抜群の規模「坂の上の雲」は年末の大きな楽しみ。

そして、来年の NHK大河ドラマ「平 清盛」
 大河ドラマ 「ご当地追っかけ」 の「頑固親父」は年明けから忙しくなる。
 京都東山、六波羅一帯から東寺 嵐山、祇王寺・・・・安芸の宮島まで行けたら最高だが。

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「仕事師」

2011-12-04 16:37:00 | いなか暮らし
 先日の農作業小屋の解体は素人では到底無理なので、かって「仕事師」と呼ばれた職人に頼んだ。
 40代の見習いと、もう一人はなんと80歳に手が届くと話していたがその身の軽さに驚いた。
身軽に加えて技、力もすごい、大きな木を平気で動かす。
 ベテランは全てに要領、段取りが良く僅か2日と半日で、
最後はきれいに材木を積み上げて終わった。

 昔、クレーンや建設機械のなかった頃は「仕事師」と呼ばれる人たちが家を組み立てたり、古い家や建物の解体をしたが、再利用される事が多かったので古家の解体には慎重を期し「仕事師」の腕の見せ所でもあったという。
 
 手伝ってもらった”80歳氏”は元気な分、声も大きい。
 冬は鉄砲片手に熊や鹿を追い回すという元気。
 後継に期待していると”40代氏”に細かい技を教えていた。





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「先祖不孝」

2011-12-03 21:10:06 | いなか暮らし

002  農家には必須の作業小屋、下屋部分を含めて25坪ほど、雨漏りも始まったので思い切って解体した。

 昔、雪が舞う前に作業小屋に稲を取り込んで脱穀作業、二階に藁を収納し冬の間にお米を入れる俵を編み、農作業に使う縄をない古くは同じ小屋で草鞋やツマゴ(雪靴)も作ったことだろう。
 夏は外板をはずして麦や豆の乾燥し養蚕をした家もあった。

 近年になって作業小屋は米を乾燥、調整、保管するミニカントリーになりトラクターやコンバインの格納庫として使われたが、今や田んぼで収穫されたお米は即、農協のカントリーと呼ばれる施設に直通、作業小屋は格納庫としての価値しかなくなった。

 解体した小屋の柱には釿(ちょうな)削りの後が見られるから100年以上も前に建てられたことだろう。
 先祖は孫末代まで使える作業小屋と考えて大きな材料を吟味して建てた。
 手入れさえ怠らなければこれからも100年、いや200年も持つであろう作業小屋をあっさり解体してしまった頑固親父は

 親不孝ならぬ先祖不孝かもしれない。

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