地区の水がめ「三郎堤」、岸辺の大松が湖面を渡る波風で根元を洗われて大きく傾いたまま元気に葉を茂らせている。
かって猛威をふるったマツクイムシにも負けなかった、ど根性松 がんばれ❕
郷に伝わる祝い唄、御詠歌・・の紹介 ②
三郎堤の近くの小高い丘は通称、本宮(もとみや)さんと呼ばれ「泉三郎忠衛公の霊」と記された大きな石碑がある。通称「幸田のおでのんさん」と呼ばれる八雲神社の本宮とされる。 三郎堤は800年ほどの昔、平泉を追われた泰衡公の弟、忠衛公が侍従とともに三郎堤を開削したといわれ、工事の安全、早期完成を祈願して八雲の大神を祀ったのが本宮といわれている。後に八雲神社に遷宮されて本宮(元宮)として現在地に残った。
本宮に残る御詠歌碑から 昭和2年建立とある。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に
八重垣つくる その八重垣を
ここまでは、ご存知、日本最初の短歌でスサノオノミコトの作とされる。
おとにきく いずみさぶろうの 〇 〇 のみつ
もとみやさまにひびく なみのおと
やくもみや かがやき 〇 〇 〇 〇
〇〇 〇〇 〇〇
残念ながら 〇 〇は読み取りできませんでした。
石碑が破損し修理した後が残りますが筆字に明るい人だったらさらに読み取りできそうです、どなたか興味をおもちの方に読んでいただければ幸いです。ただ本宮界隈はクマの出没も噂されているので12月以降にクマの冬眠を確認してからお願いします。
幼い私がおばあちゃんに連れられて本宮さんでたくさんの人達と「御詠歌」のあと、”ござ”の上に広げたたくさんのご馳走をいただいた記憶があります。
現在と異なり周囲の木々も少なく明るい空の下、眼下に広がる三郎堤を眺めた記憶があります。