冬の三郎堤、全面凍結目前、僅かに残る水面に水鳥が集まっていた。
我が里の水がめ、三郎堤は古い歴史と伝説にあふれる大きな堤である。
田瀬ダムの豊富な水が利用できる今でも「水がめ」の役割は変わらない。
元々は三つの堤の総称で三つの堤、それで三郎堤と名付けられのでは、と言う人もいる。
三つの堤は一番大きな大堤、上流に中堤、新堤とあったが昭和30,40年頃に埋め立てられて、旧、中堤、新堤の面影はないが、往時の三つの堤が映った写真が見つかった。
昭和27年5月6日の撮影と記録されているから、その時代、簡単に航空写真なんて機会はないから、写したのは米軍によるものだろうか。
5月と言えば田植えを目前に控え、三郎堤や草井洞、炭焼沢堤、蟹沢堤は水が満々と蓄えられて写真には黒く映っている。
この地域、昔から水の豊富な地域だったことがうかがえる。
この写真1.2×1.2㍍の大きな写真で表具もされて、土蔵解体の片付けの際に見つかったから、几帳面だった祖父が、当時珍しい写真を大きく伸ばして、表具して残してくれたのだろうと思う。
良く見ると懐かしい風景が思い出される。
田んぼがまだ未整備で学校への道は曲がりくねって、釜石線の矢沢駅にはここを通って、
幸田のお天王さまのお祭りには新堤のほとりを歩いて・・・・・
大きく表具された写真を見て懐かしんでいる。」