熟してこぼれた、沢山の梅の実 かっては梅漬けや梅酒用にと、実がなる前から予約がいっぱいあったが、昨今は漬ける人も少なくなり、欲しいと言う人もすっかり少なくなって、こぼれ放題
水戸の偕楽園の梅は、戦国時代の昔、籠城戦の非常食として植えられたことが始まりと聞く。
水戸の殿さまがこの有様を見たら嘆くに違いない。
昭和の30年代頃までだろうか、親たちも忙しかったんだろう、子供たちは良く働いた。
ランドセルを放り投げて遊びに出ようとすると、親たちに見つかり、幼い妹、弟を背中にくくりつけられる。
負ぶったまま近くの広場で野球や缶けり、背中の弟、妹は夕方までそのまんま。
田植えになれば、「お前は田植えが上手」とか、おだてられて、毎日、田んぼに出される。
当時はお手伝いと言うより、一人の大切な労力だったように思う。
そんな毎日だから、学校の先生も宿題を出さなかった。
勉強や宿題を家でやったと言う記憶はない。
(もっとも、手伝いの合間に、勉強している子もあったが・・・後に大きな差がついた)
孫の勉強塾の送り迎えをした。
田んぼから出て、迎えに来てくれたと感じたのだろう。
軽トラックの助手席に座った孫が、運転席のじいちゃんの肩に手を載せて
「じいちゃん、今度手伝うね、何でも言って、多分じいちゃんより力があると思うよ!」
そりゃ、そうだ、ご飯もいっぱい食欲旺盛、水泳に柔道、背もぐんぐん伸びている。
小5生の孫からの嬉しい一言である。