岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

父の背中

2017-10-03 11:48:13 | いなか暮し

 昔、刈り取った稲はホニオにしたり、ハセガケ(棒がけ)にして乾かした。
 お米の副産物の乾いた稲わらは、俵になり縄になり、その役目は大きかった。
 せめて、正月のしめ縄だけでも新しい稲わらで作ろうと、ミニはせを作り、稲を干した。 
  
 刈り取った稲を、一束一束、束ねてハセにかけて乾かし脱穀する。コンバインで一気に収穫する、今の稲刈りに比べたら、数倍も手がかかる。
 先人は苦労も苦労と思わずに働いてくれたことに感謝する。

 小学校に通じる道に、今は上流に多くの開田がされて、大きな川に整備されたが、当時は小さな川で、子供たちが置き針をしてナマズを取ったりする遊び場でもあった。
 通学路にかかる、その川の石橋は4本の長い石を並べた小さな橋だったから、大雨のたびに川は渡れなくなった。
 その日も大雨で、川を渡れなくなり、近所の父兄がでて、学校帰りの子供たちを1人ずつ、負ぶって越えた。
 1年か2年生頃だろうと思う、おんぶするには少し気恥ずかしい気もした。
 
 私が誕生を迎える前に亡くなっているので、父の記憶はない。
 小学校に入る少し前に新しい父が来た。それから2、3年後だったんだろう。
 父の背中で、増水した川を渡った。
 新しい父は、、小柄だったが、その背中は大きく、広く、暖かく感じた瞬間だったように覚えている。
 

 

コメント
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