世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

修学院離宮は茶屋を結ぶ小道に野生鹿が現れたりでおおらかな感じがします

2019-05-12 08:00:00 | 日本の町並み
 京都御所、桂離宮と紹介してきましたが、最後は修学院離宮です。

 修学院離宮は、京都市街の北東、京都御所の鬼門は比叡山ですが、この鬼門の軸線の途中に位置します。そういえば桂離宮は御所の南西の裏鬼門になります。修学院離宮を建てたのは後水尾天皇で、桂離宮を建てた八条の宮ともども徳川幕府とは仲の悪かった皇族です。二つの離宮の場所は徳川幕府があてがったもので、わざと鬼門という忌み嫌われた場所を指定したというのは、徳川の嫌がらせという説を信じたくなります。しかし、この嫌がらせにも屈せず、徳川の建てる悪趣味な施設とは一味違った離宮を建てた気骨には拍手を送りたくなります。

 
 修学院離宮の広さは約54万㎡で桂離宮のおよそ8倍もあります。桂離宮は、平地に回遊庭園を造った感じですが、修学院は傾斜地に農地も取り込んで茶室が点在し、多くの池も散在してさすがに広い。訪問した時には野生のシカにも逢いました。ガイドしてくださる方のあたりにもよるのですが、修学院のガイドの方が細かいことはおっしゃらず、ゆったりしていました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 修学院離宮は、上、中、下の御茶屋の3つから構成され、その間ひ広がる農地も取り込んでいます。この農地は、宮内庁が契約をして付近の農家に耕作を委託しているのだそうです。上と下との間は、かなりの標高差があって、その間を結ぶ道はかつては田んぼのあぜ道であったものが明治天皇の行幸に備えて拡幅され松が植えられたのだそうです。桂離宮が繊細で幽玄美を誇っているのに対して、修学院は、離宮内に広い池がありなだらかな築山があったりで開放的でおおらかな感じがします。できれば2つの離宮を見比べると楽しいと思います。

 鬼門は中国に起源をもつものですが、日本に伝わった後に変化を遂げて現在のような考え方になったようです。御所の鬼門を封じるための寺が比叡山で、江戸城では寛永寺になります。御所では、これでも安心できず、築地塀の北東隅が凹んでいます。また、国立博物館は寛永寺の本坊跡に建っていますが本館を建てるときには、、鬼門の軸線を保って建てられています。鬼門は、現代では単なる俗信として片づけられますが、台所を裏鬼門筋に置かないのは、保存した食料品が腐らないようになど合理的な面もあるようです。ただ、大都会では方角もはっきりしなくて、GPS付きのスマホでやっと方角がわかることも多いかもしれません。