世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

江戸時代から続く旅籠の近くには下見板張りの洋館もある赤坂宿から御油宿です

2012-10-14 08:00:00 | 日本の町並み
 皇女和宮も宿泊したという宿場町が中仙道の赤坂宿でしたが、東海道にも赤坂宿が存在しました。今回は、東海道の赤坂宿とお隣の御油にかけての町並みを紹介します。

 東海道の赤坂宿は、愛知県の東南にあり、一つ東京寄りの御油宿とは2kmほどしか離れていません。御油宿は稲荷神社で有名な豊川市の西端に位置していますが、赤坂宿は隣町の音羽町に属しています。共に名鉄本線の駅がありますが、各駅停車しか止まらない無人駅です。他県などからの最寄駅は豊橋ですが、豊橋からの電車には各駅停車が無く、国府駅で豊川から来る各駅停車に乗り換えなければなりません。JRの路線は、旧東海道から外れた蒲郡を通る海沿いを走っています。鉄道が通ると宿場に泊まる人がいなくなって寂れる、といった鉄道忌避伝説が原因、との話もありますが、実際は他の理由があったようです。

 
 どちらの町並みも、格子をはめた平入りの家並みが続き、両宿場間には杉並木が保存されています。

 
 
 ただ、かつての本陣や高札場などの跡は、ほとんど立て札の世界で、何も残されていません。町中に、やたらとxx跡の立て札が目立ちます。その立て札の中に、「ベルツ花婦人ゆかりの地」というものがあります。ベルツ水で有名なベルツは明治期に、お雇い外人の一人で東大医学部の教授としてドイツから招聘され、30年近く日本に滞在しました。その間に、御油宿の戸田屋のハナコと結婚し、立て札は戸田屋の跡地に建てられています。

 
 立て札ばかりの家並みの中に、江戸中期に建てられた旅籠が現役の和風旅館として残されているのは驚きです。「大橋屋」と大書された障子と提灯がぶら下がるさまは、そこだけが江戸時代のようです。ところが、近くには下見板張りミントグリーンに塗られた洋館の建物も残されていて、いろんな時代が缶詰になっているようです。

 
 さらに、立て札ではなく樹木が立派な神社やお寺もあります。広重の五十三次に描かれたソテツが残る浄泉寺や、幹の周りが8mを越える大きなクスノキのある関川神社です。関川神社には「夏農月御油よ李いてゝ 赤坂や(夏の月 御油より出でて 赤坂や)」という芭蕉の句碑もあります。

 無人駅の名電赤坂には、ホームの入り口付近に券売機があって、その先に自動改札が設置されていました。自動改札は、大人に連れられた子供や大きな荷物などの識別など、実用化にはいろいろと苦労があったそうです。しかしながら、人っ子一人いない無人駅の名電赤坂では、自動改札を通らなくともホームに入れそうですし、自動改札そのものも不法通過できそうです。ヨーロッパなどでは、改札の無いのが普通で、乗客はちゃんと乗車券を買って電車の中で刻印をしています。時たま、一斉検札で無札乗車が見つかり違反金を取られていますが、ただ乗りはしないもの、との意識が定着しているようです。自動改札の実用化で、個体認識の技術は発達したのでしょうが、乗客の意識改革をしたほうが得策ではなかったかとも思います。