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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

戦後レジームからの脱却のためにも天皇制の見直しを!

2014年09月21日 | 思想家

戦後レジームを考えるにあたって忘れてはならないのは、天皇制が戦後どう転換したかである。大日本帝国憲法においても、陛下が主権者であったことは実際上はなかった。あくまでも国会や政治指導者の決定に従っただけなのである。「天皇主権」から「国民主権」へというのは、スローガンとして利用されただけだ。ところがアメリカを始めとする占領軍は「天皇制の浄化」と評して、京極純一の『日本の政治』に書かれているように「国家神道の非国教化といわゆる人間宣言の詔書による現人神天皇の廃棄」「象徴天皇制への移行」「『陸海軍ヲ統帥ス』る大元帥の終焉と日本国憲法九条の戦力不保持が示す軍国主義との完全な絶縁」を行った。しかし、それを当時の日本国民の意思とは反したものであった。あたかもそれが「日本国国民の自由に表明せる意思」(ポツダム宣言)によってなされたかのように説明されているのは、まさしくトリックにほかならない。今後問題にされるべきは、それが本当に正しかったかどうかなのである。現憲法においては、国民の総意にもとづいて天皇制は維持されることになるが、それでは日本の歴史と文化の体現者としての陛下の権威がそこなわれてしまう。さらに、国軍としての自衛隊に名誉を与えるためにも、陛下による栄誉の大権は回復されなければならない。国を護るというのは、日本の領土を死守すると同時に、日本の歴史と文化を守るということであって、その中心に存在するのは陛下なのである。占領下にあった日本で、日本人を無視して制定された現憲法の見直しは当然行われるべきであり、そこで争点となるテーマは、天皇制のありかたなのである。

  

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本多勝一の嘘を見抜いていたイザヤ・ベンダサン(山本七平)!

2014年09月20日 | マスコミ評

元朝日新聞の記者であった本多勝一の『中国の日本軍』に使われていた写真が、まったくの捏造であったことが明らかになった。そこでのキャプションでは「中国の婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵。強姦や輪姦は幼女から老女まで及んだ」と書かれていたのである。実際は「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事よりへかえる日の丸の女子供の群れ」の写真であったわけだから、反日もそこまで徹底すれば見上げたものである。本多の弁解によれば、中国側から提供されたのだという。そこで思い出したのがイザヤ・ベンダサン(山本七平)との論争である。本多の『中国の旅』のなかで、南京で百人斬りをしたとされる日本軍の二人の少尉について、AとかBとかの匿名にしていることに対して、山本は疑問を呈したのだった。事実を書き記したルポと言いながらも、実際は中国共産党の言い分を、そのまま文章にしただけであったので、少しは本多も後ろめたさがあったのだろう。そして、「戦争犯罪」として裁かれたその出来事に関しても、本多は自分の口で弾劾をしているのではない。「結果ははっきりしないが、二人はたぶん目標に達した可能性が高いと姜さんはみている」と書くことで、逃げ道だけは用意していたのである。山本が述べているように、中共に「ゴメンナサイ」と謝れば、二人称の関係となり仲良くなれる。そうした思い込みから本多は書き散らしてしまったのである。「戦争犯罪」であれば裁かれるのはいたしかたない。しかし、安易な空気に便乗して日本を貶めることは、断じて許されることではない。朝日新聞も本多も共通しているのは、安易な取材を行って事実を隠ぺいしたことである。ジャーナリスト失格であるのはいうまでもない。

  

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新聞記者は主義主張のないご都合主義の典型だ!

2014年09月19日 | マスコミ評

朝日新聞の捏造は信念があって書いたのではない。戦後レジームや東京電力批判の空気を読んで、あえてそれに便乗しただけなのである。それを見誤ってはならないだろう。特定アジアに与するというのも、その程度の認識なのである。思想の科学研究会が昭和28年に発行した『現代人の生態ーある社会的考察ー』では、新聞記者も取り上げられており、それこそプラグマティズムの立場から、徹底的に糾弾している。新聞記者をまともな人間だとみておらず、「一日前に通告してもらえば、自分の見解を新しい主人の財布に適応させる自信のある人間だ」とのシンクレアの言葉を引きながら酷評している。主義主張がないのを問題視しているのである。そして、堀田善衛の『広場の孤独』のなかの「新聞記者というものは、十中八、九まで雑談をしているあいだは面白いが、議論をはじめると急に個性を失ってどこかに書いてあったらしい、四角四面なことを云い出すものである」という一文も紹介している。その新聞記者が表向き正義漢面をするようになったのは、テレビが登場してからであった。風見鶏のような論説であっても、まだまだ権威があったために、世の中から重宝がられたのである。いうまでもなくそこで支配的であったのは、戦後レジームの擁護者としての立場であった。そこを踏み外さなければ、無冠の帝王でいられたのだ。しかし、世の中は大きく変わった。ネットが普及したことで、新たな世論が形成されるようになり、底の浅い主張はもはや顧みられなくなったのである。

  

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中東の安定のため狂暴なイスラム国を誕生させたアメリカ!

2014年09月18日 | 国際問題

シリアやイラクで勢力を拡大しているイスラム国なるテロ集団は、国際社会から見放されており、それほど長くは続かないだろう。皮肉なもので、それによって中東に安定がもたらされる可能性すらある。あまりにも理不尽なテロ集団であるだけに、中東の国々が結束して対抗せざるを得ない。そこでの利害の一致を確認することで、敵対していた国家同士で、対話が成立するからだ。アメリカは地上軍の投入を検討しているが、ロシアも中共もそれを容認するはずだ。イスラム国の成り立ちは、アルカイダと同じように、当初はアメリカのテコ入れで誕生した。そして、いつしかモンスターと化した。哀れなのはイスラム国の構成員である。自分たちがスケープゴートされるのに気づいていない。アメリカは自国の利益のためには手段を選ばないのである。日本にとってはアメリカは最大の同盟国であり、その関係を見直す必要は当面はない。しかし、アメリカ性善説に立つのではなく、時には助言する関係にしなくてはならない。中東の安定のためには、とんでもないモンスターをつくりだす。そんな荒っぽいアメリカと付き合うには、それ相応の覚悟が求められるのである。ヒューマニズムにあふれた民主国家ではなく、国益を最優先にしたそれこそ普通の国家だ。時には日本が一線を画することだってあるわけだから。

   

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朝日の権威失墜で大打撃を受けた自民党リベラル派!

2014年09月17日 | 政局

宏池会を中心とした自民党内の自称「リベラル派」が頼りにしていたのが朝日新聞であった。今回の朝日新聞の権威の失墜によって、そうした勢力も大打撃を受けた。そうでなくても、加藤紘一が赤旗に登場するまでに追い詰められていたのである。しかし、世の中が変わったのではなく、自称「リベラル派」が変質したことが、そもそも問題なのである。宏池会は吉田茂の保守本流の系譜に属する。池田勇人が独自の派閥を形成したのである。それを引き継いだ前尾繁三郎あたりまでは、保守の根本が揺らぐことがなかった。変節することになったのは、大平正芳が昭和46年のクーデターで主導権を奪ってからだ。決定的であったのは、加藤紘一らが力を持つようになり、自民党が政権を奪還するために、サヨクとも妥協したことだ。それ以前にも、イデオロギーとしてではなく、財界の後押しもあって、中共に急接近した。とくに田中角栄を総理大臣するのに尽力したことで中共とのパイプが生まれ、それが現在まで尾を引くことになった。朝日新聞が他よりはサヨクの影響が強いとしても、上からの目線のエリート集団であり、官僚との付き合いもおおっぴらである。自民党の政治家にも深く食い込んでいた。それでも特定アジアの代弁者に成り下がったのは、中共を過大に評価したからだろう。同じ穴の狢なのである。自称「リベラル派」は、本来であればグローバリズムに待ったをかけるべきであったのに、それをやらずに中共の走狗と化したのである。何と愚かなことか。

 

   

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金儲けや名声とも無縁なのが保守派のネット言論だ!

2014年09月16日 | ネットの世界

最終的に人間が行き着くのは、安心立命の境地の大切さではないだろうか。保守派のネット言論は、新自由主義者のように金儲けが第一だとは考えないし、名声を求めるインテリとも無緑である。名も無き庶民の一人として生まれ、かつ死んでいくのである。そこから発する言葉であるからこそ、影響力を行使できるのだと思う。『徒然草』でも「人は己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀れなり」「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」「迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず」と書いており、それを理解しているかどうかが重要なのである。吉田兼好の常識人としての見方からすれば、物欲一辺倒や誉れを追い求めるのは、愚の骨頂なのである。ネット言論の強さはそこにあるのではないか。誰に気兼ねすることもなく、自由闊達に意見を述べているわけだから、あくまでも地声なのであり、それは日本の遠つ祖の声とも共鳴し合っているのである。朝日新聞に代表される知のヒーラルキーが崩壊する事態となって、権威が音を立てて崩れている。私たち見直すべきは、常識人としての哲学ではないだろうか。

 

   

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日本人の情の細やかさをテーマにした川端文学!

2014年09月15日 | 思想家

日本人が自信を取り戻すには、日本人の情を回復させなくてはならない。あまりにも目先の利益にばかり心を奪われてしまっているから、とんでもないことをしでかすのである。日本人の細やかな情が表現されているたたずまいとして、京都の景観がある。川端康成は『古都』のなかで、京都のよさとして「木の葉がきれいである」ことを指摘しながら、「木のきれいなのは町のきれいさ、町の掃除のゆきとどいているせいだろう。祇園などでも奥の小路にはいると、薄暗く古びた小さい家がならんでいるが、路はよごれていない」と描写している。日本の美にこだわった川端は、西陣を小説の舞台にするにあたって、まずその京都のよさに触れ、「きものをつくる西陣あたりも、そうである。見るもかなしいような、小店が入りこんでいるあたりでも,路はまあよごれていない。小さな格子があっても、ほこりじみてはいない」と書いたのだった。ありきたりの風景が日本の隅々に及んでいる。どこの市町村であろうとも、郊外にショッピング街ができて、京都のような町屋はほとんど姿を消してしまった。必要でないものまで買わされて、それを平気で捨てるような文化が定着してしまったのである。それで本当によいのだろうか。アメリカニズムの現代版である新自由主義が、日本を変えてしまったのだ。戦後レジュームからの脱脚のためには、それを否定することがまず前提なのである。

 

   

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朝日すら天下の秋の落葉かな!

2014年09月14日 | ネットの世界

朝日すら天下の秋の落葉かな

おぞましき権威は過去の遺物かな

コモンセンスそれが全てとネットでは

「一葉落ちて天下の秋を知る」。朝日新聞やNHKの権威が崩れるのは、右であれ左であれ喜ばしいことではないでしょうか。ネットが普及することで、上からの押し付けの情報は、ふるいにかけられる時代が到来したのです。吉本隆明の言葉ではありませんが、ようやく「大衆の自立」に向かって日本人は歩み出したのです。ネットの言論は大したものだと思います。報酬を得ているわけでもないのに、日々ブログやフエィスブックを更新しているのですから。

 

   

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朝日を追い詰めたのは「ネトウヨ」と呼ばれたネット言論だ!

2014年09月13日 | マスコミ評

あまり話題にはされていないが、朝日が追い詰められたのは、ネットが怒ったからだ。それ以外の何物でもない。上から目線のマスコミの時代は終わったのである。そして、その急先鋒に立ったのは「ネトウヨ」と罵倒された人たちだった。ありもしない、日本軍による強制連行を問題視すると、それだけで「ネトウヨ」呼ばれたのであり、挙げ句の果てには「ヘイトスピーチ」として批判されたのである。多くの日本国民がビックリしたのは、天下の朝日新聞よりも「ネトウヨ」の方が正しかったことだろう。あくまでも蔑称でしかないその言葉を、とやかく論じるつもりはないが、行動する保守をベースにしながらも、公には氏名を公表せず、ネット上で保守的なコメントをする人たちも含まれる。昔とは違って今は、声無き声が国や世界を動かすのである。産経や読売が朝日を攻撃しているのも、ネットが後押しをしてくれるからではないか。これからネットでの保守派言論がどちらに向かうかは見当がつかない。しかし、確実に言えることは、イデオロギーのプロパガンダには、徹底して抵抗することになるだろう。事実にもとづく検証が求めらるのである。誰でもが自由に意見を述べられる時代になれば、コモンセンスの言論の方が、下手なマスコミよりも説得力があるのだから。

 

   

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既得権益にあぐらをかいた朝日が菅直人擁護で大失態!

2014年09月12日 | マスコミ評

知のヒーラルヒーの頂点に立っていた朝日新聞の無様な姿は、国民の笑い者になった。上から目線で、自分たちの言論を正当化していたのに、「吉田調書」といわゆる「従軍慰安婦」の記事で、木村社長が謝罪する羽目になった。知的に優越している者たちは生活がめぐまれている。これに対して肉体労働者は底辺の生活を強いられる。それがこれまでの人類の歴史であった。朝日新聞は平均の年収は一千数百万に達するはずだ。ある意味では体制派に属する既得権に守られた者たちなのである。進歩的なことを口ししているが、切羽詰まっているわけではないのだ。頭を下げざるを得なかった木村社長を始めとする姿に国民の多くが溜飲を下げるのは、そうした理由があるからだろう。一度信用を失えば、もはや取り返しがつかなくなる。長年捏造記事を放置してきた責任は大きいのである。さらに、吉田調書でデタラメを書いたのは、菅直人元首相の働きかけがあったのは確かである。東電職員の福島第一原発からの撤退を思いとどませたのは菅元首相である。その神話をでっちあげるために、キャンペーンが張られ、それを弁護するために手段を選らばなかったのである。愚かしいにもほどがある。しかし、今にして思えば、朝日新聞を批判するだけで「ネトウヨ」呼ばわりされたのは何であったのだろう。まともな言論を言い続けてきたのはネットであったことは再認識されるべきだ。

 

   

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