知のヒーラルヒーの頂点に立っていた朝日新聞の無様な姿は、国民の笑い者になった。上から目線で、自分たちの言論を正当化していたのに、「吉田調書」といわゆる「従軍慰安婦」の記事で、木村社長が謝罪する羽目になった。知的に優越している者たちは生活がめぐまれている。これに対して肉体労働者は底辺の生活を強いられる。それがこれまでの人類の歴史であった。朝日新聞は平均の年収は一千数百万に達するはずだ。ある意味では体制派に属する既得権に守られた者たちなのである。進歩的なことを口ししているが、切羽詰まっているわけではないのだ。頭を下げざるを得なかった木村社長を始めとする姿に国民の多くが溜飲を下げるのは、そうした理由があるからだろう。一度信用を失えば、もはや取り返しがつかなくなる。長年捏造記事を放置してきた責任は大きいのである。さらに、吉田調書でデタラメを書いたのは、菅直人元首相の働きかけがあったのは確かである。東電職員の福島第一原発からの撤退を思いとどませたのは菅元首相である。その神話をでっちあげるために、キャンペーンが張られ、それを弁護するために手段を選らばなかったのである。愚かしいにもほどがある。しかし、今にして思えば、朝日新聞を批判するだけで「ネトウヨ」呼ばわりされたのは何であったのだろう。まともな言論を言い続けてきたのはネットであったことは再認識されるべきだ。
↑
応援のクリックをお願いします
↑
応援のクリックをお願いします