草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

政党への脱皮か怒れる国民運動かで選択迫られる保守!

2014年09月26日 | 思想家

日本の保守にとって、政治参加とはどのような形がふさわしいのか。政党政治の原則にのっとって新党をつくる動きが活発化している。その方がメディアに登場する機会を増えるし、勢力拡大にも結び付くだろう。しかし、それは一方では妥協や政治的な駆け引きを優先させることになる。あくまでも外野からの応援団に徹するのも、一つの選択肢ではないか。次世代の党が誕生したことで、戦後を否定する保守が結集するベースができた。在野の名もなき保守は当面は自民党を支持しながらも、次世代の党の方に移行していくのではないだろうか。田母神グループの人たちも新党を立ち上げるようだが、名も無い保守が今の政治システムに丸ごと参加することには、ある種のためらいを覚えてならない。政治屋になるのではなく、純粋な国民運動への執着があるからだ。朝日新聞を中心にした知の権威が失墜したのは、行動する保守が街頭に出てタブーに挑戦したからだ。それが突破口になったのである。そうでなければ、朝日新聞の記事の訂正などはあり得なかっただろう。高橋和巳にいわせれば「特攻精神を嘲笑した日本の戦後の知性には、ニヒリストの運動を媒介せねばならぬ革命というものを遂に理解しえなかった」(『散花』)のが朝日新聞に代表される戦後の知性であり、それは政治システムでは掬い上げられない情念の産物なのである。前衛として先頭に立つ者たちには、妥協などまずはあり得ないのだから。

  

       ↑

応援のクリックをお願いします

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

     ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする