戦後レジームを考えるにあたって忘れてはならないのは、天皇制が戦後どう転換したかである。大日本帝国憲法においても、陛下が主権者であったことは実際上はなかった。あくまでも国会や政治指導者の決定に従っただけなのである。「天皇主権」から「国民主権」へというのは、スローガンとして利用されただけだ。ところがアメリカを始めとする占領軍は「天皇制の浄化」と評して、京極純一の『日本の政治』に書かれているように「国家神道の非国教化といわゆる人間宣言の詔書による現人神天皇の廃棄」「象徴天皇制への移行」「『陸海軍ヲ統帥ス』る大元帥の終焉と日本国憲法九条の戦力不保持が示す軍国主義との完全な絶縁」を行った。しかし、それを当時の日本国民の意思とは反したものであった。あたかもそれが「日本国国民の自由に表明せる意思」(ポツダム宣言)によってなされたかのように説明されているのは、まさしくトリックにほかならない。今後問題にされるべきは、それが本当に正しかったかどうかなのである。現憲法においては、国民の総意にもとづいて天皇制は維持されることになるが、それでは日本の歴史と文化の体現者としての陛下の権威がそこなわれてしまう。さらに、国軍としての自衛隊に名誉を与えるためにも、陛下による栄誉の大権は回復されなければならない。国を護るというのは、日本の領土を死守すると同時に、日本の歴史と文化を守るということであって、その中心に存在するのは陛下なのである。占領下にあった日本で、日本人を無視して制定された現憲法の見直しは当然行われるべきであり、そこで争点となるテーマは、天皇制のありかたなのである。
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