最終的に人間が行き着くのは、安心立命の境地の大切さではないだろうか。保守派のネット言論は、新自由主義者のように金儲けが第一だとは考えないし、名声を求めるインテリとも無緑である。名も無き庶民の一人として生まれ、かつ死んでいくのである。そこから発する言葉であるからこそ、影響力を行使できるのだと思う。『徒然草』でも「人は己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀れなり」「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」「迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず」と書いており、それを理解しているかどうかが重要なのである。吉田兼好の常識人としての見方からすれば、物欲一辺倒や誉れを追い求めるのは、愚の骨頂なのである。ネット言論の強さはそこにあるのではないか。誰に気兼ねすることもなく、自由闊達に意見を述べているわけだから、あくまでも地声なのであり、それは日本の遠つ祖の声とも共鳴し合っているのである。朝日新聞に代表される知のヒーラルキーが崩壊する事態となって、権威が音を立てて崩れている。私たち見直すべきは、常識人としての哲学ではないだろうか。
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