綺麗ごとの御託を並べている日本のマスコミは、自分の家の前に、銃を構えた者たちが立っているのを、どうして直視しないのだろう。嗤ってしまうのは、中共や韓国をたしなめるのではなく、正当な怒りを示している日本人を、排外主義者と決めつけていることだ。相手の言いなりになっていたからこそ、民主党政権は、ぶざまな醜態をさらしたのではないか。にもかかわらず、これまでと同じく、言いたいことも我慢しろというのだろうか。マスコミ関係者はもっと近隣諸国との交流史を学ぶべきではないか。孫文は日清戦争の後に革命に決起したが、その念頭に置かれていたのは、日本の明治維新であった。だからこそ、日本人に協力を求めてきたのだ。かつて孫文が日本に対して「西欧覇道の犬となるか、東洋王道の牙城となるか」と警告したことがあった。東アジアの情勢は、そのときと一変した。武力による領土拡張に血眼になる中共に向かって、今度は私たちが同じ警告を発すべきだろう。私たち日本人は、卑屈になる必要はないのであり、正論を吐けばいいのだ。もし孫文が生きていたならば、中共のやり方を厳しく批判したはずだ。孫文は「中国なくして日本なく、日本なくして中国なし」と言っていた。ソ連よりも、日本と手を携えることを望んでいたという。多くの日本人が大陸に雄飛したのも、孫文の志に共鳴したからだ。私は中国大陸の民衆のなかに、今なお東洋王道の精神が脈打っていると信じたい。中国共産党の一党独裁によって、真実が曇らされているだけなのである。
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