私の母に言わせれば、この夏の暑さは、大東亜戦争で敗れたときと同じだという。昭和20年8月15日、1億国民が号泣したのは、それだけ純粋に国を思っていたからだろう。日本人の情念について、左右の区別なく論じたのは、三島由紀夫や磯田光一であった。磯田は日本浪漫派の保田與重郎の短歌を取り上げ、そこで「白」が強調されていることに注目した。「ソビエットスタイルのネクタイはまっ白の道をけふ買ひに行く」。保田が大阪高校在学中に、同人雑誌の『火(かぎろひ)』に発表されたのだった。磯田は「日本的な白のラジカリズムが、左翼運動の基底部をも支配していたことを示している」(『殉教の美学』)と書いている。保田が左翼活動家であったかどうかについては、私と見解を異にするが、ロシア革命に衝撃を受けたことは確かだ。また、三島も「かつてのマルクス主義への熱情、その志、その大義の挺身こそ、攘夷論と同じ、もっとも古くもっとも暗く、かつ無意識的に革新であるところの、本質的、原初的な日本人の心であった」(『林房雄』)と見抜いていた。だからこそ、北一輝と大杉栄のように、イデオロギーは違っても、同志的な付き合いができたのである。革新的であることは「日本人の心」と無縁ではないからだ。しかし、今、日本の一部で起きているサヨクと右翼の接近は、そうした「日本人の心」が仲立ちしたわけではなく、まったくの野合ではなかろうか。純粋さゆえに「日本人の心」は敗北するのであり、それが美学として讃えられてきた。その情念において共鳴するのであれば別だが、野合だけは慎むべきだと思う。
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