今日は会津若松市まで出かけ、大腸の内視鏡検査を受けてきた。1・8リットルの下剤を飲まされるのには閉口した。こんなときでもなければ、と文庫本の『花田清輝評論集』を読んで、時間をつぶした。何度もトイレに駆け込む必要があり、一冊全部は読めなかったが、何ヶ所かマーカーで線を引いた。今朝、チャンネル桜の動画を見ていたせいで、これまで何気なく読み飛ばしていたところに、目が釘付けになったりした。水島総社長や地方議員らが尖閣に上陸したことについて、やり過ぎだという声が一部にはあるが、それはためにする批判でしかない。花田は「胆大小心録」のなかで、コモンセンスについて、独自の見解を述べている。一般的には「常識」と訳されがちだが、深瀬基寛の訳の「共通感覚」にこだわったのだ。乱世にあっては「常識」では心もとないからだ。捨て身であっても、大衆から浮き上がることなく、その意に沿って行動する。それが「共通感覚」なのである。水島社長らはドンキホーテではなかった。広い国民の支持があったればこそ、あそこまできたのだ。マスコミの多くは、日本でナショナリズムが燃え上がるのを恐れて、いちゃもんを付けている。中共や韓国には刃向かえないのに、自国のこととなると、上から目線なのである。とくに朝日、読売、毎日などは日本人の愛国心を恐れている。それだけ「共通感覚」を理解していないのだ。大衆などどうでもいいからだろう。
←水島社長らを断固支持する方はクリックを