野田佳彦首相や民主党政権の閣僚が、しきりに「法と正義による解決」とか主張しているが、政治というのをまったく理解していない、戯言でしかない。埴谷雄高も「政治のなかの死」(『埴谷雄高政治評論集』)で述べているように、「スローガンを与えよ。この獣は、さながら、自分でその思想を考えつめたかのごとく、そのスローガンをかついで歩いてゆく。この《他の思考》が、これまでの政治の原理」なのである。中共や韓国の民衆が日本批判を繰り広げるのは、国によって与えられたプロパガンダを信じているからだ。尖閣諸島や竹島がどちらの領土かというよりも、埴谷の言葉を借りるならば「政治は自らが感じ、見たところのものではなく、他人が見て感じたところのものの上にのみささえられている」のである。そして、個々人の良心はかき消されてしまうのだ。日本人の場合は、そこまではエキサイトしない。政治は妥協の産物だと勘違いしている。カール・シュミットによると、政治は敵か友かの判別であり、それ以外の何物でもない。相手がこちらを敵と断定すれば、「奴は敵である。敵は殺せ」の原理が働くのはいうまでもない。私が問いたいのは、野田首相にそこまでの覚悟があるかどうかだ。中共や韓国に対しての発言は、あまりにも弱腰で、厳しい現実から目をそむけている。政治の原理が持ち込まれてくれば、生半可ではいられないのだ。国民の生命と財産を守るために、決断を求められる場合だってある。優柔不断の野田首相は、さっさと身を引くべきだろう。
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