日本の政治は漂流状態である。本来であれば、消費税増税の前に信を問うべきであったのに、それもせずに、民主党政権は延命に必死である。野党第一党の自民党も、あろうことか、そんな民主党の片棒を担いで、コロッと騙されている。解散・総選挙を騒ぎたてても、一向に野田佳彦首相は、誠意を示さす、結局このままの状態が続きそうだ。こんなことばかりしていると、歴史は繰り返すというのを、政治家は考えないのだろうか。民衆が黙っていると高をくくっているのだろうが、それは甘く見過ぎだ。滝村隆一の『北一輝・日本の国家社会主義』では、北一輝の側近であった西田税のことも触れている。西田の手になる『無限私論』も紹介されており、それは個人の思いから発して、政治思想にまで高められた名文である。その叫びは、平成の世の日本の民衆にも無縁ではない。「ああ吾等は救はねばならぬ、民衆は国家民族の大部を形成する偉大なる底力を有するものはまこと一部少数の機関にあらずして実に民衆である、而もこの民衆が今や危険の深淵に臨むで居るのだ、救済者なくむば彼等は遂に前進してこの危険を踏まねばならぬ情況におかれてあるのである、危いかな7千余万の海東の民生よ」。国家として身構えることがない、日本の支配階級に対して、日本土民たる民衆が決起することを主張したのだった。私には、今の日本の世相が、あまりにも昭和初期と似ている気がしてならない。
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