草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

少数派の言論活動を圧殺していいのか?

2010年07月17日 | 思想家

 国会議員がいる政党には莫大な税金が投じられるのに、それ以外の政治活動は、それこそボランティアで行われている。いくら頑張っても、最初から限界があるのだ。日本の保守運動が活発になってきてはいるが、今一つなのは、資金不足があるのではなかろうか。天皇の名の下に戒厳令を布いて、国家改造を目論んだ北一輝も、経済的には財閥からの援助を受けていた。汚い金をもらっていたことになるが、それがなければ後世に名を残すことはなかっただろう。大正や昭和始めのアナーキストにとっては、金持ちから巻き上げるというのは、あたりまえのことであった。しかし、平成の世にあっては、企業や金持ちは自己防衛に走っている。右であれ、左であれ、「危険思想」の持主に近づかないようにしているからだ。警察の指導もあるのだろうが、暴力団と同じような扱いを受けているのである。もう廃刊になってしまった月刊誌に「現代の眼」があった。経営者は総会屋の大物ということもあり、よく陰口をたたかれたが、日本のラディカリズムにとっては、貴重な言論活動の場であった。国のかたちを守ろうとする保守運動は、ネットが中心になっているだけに、情報発信の経費は少なくてすむとは思うが、街宣活動費はべらぼうにかかるはずである。現在の政治的な閉塞感を打破するためにも、企業や個人がカンパしやすいような優遇措置を講じるべきだろう。少数派にも言論活動を保証することが、民主主義の前提であるからだ。企業が政治団体の雑誌を講読すれば、結果的に暴力団の資金源になるというのは、あまりにも一面的な見方である。それよりも、少数派を孤立に追い込むことの方が、よっぽど危険ではなかろうか。権力者を批判する勢力が根絶やしにされるような社会は、民主主義とは無縁であるからだ。

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