草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ひまそら氏の健闘を讃えたい

2024年07月07日 | 東京都知事選挙
 東京都民の審判が下ったわけですが、ひまそらあかね氏が出馬しなければ、石丸伸二氏が当選した可能性もあったと思います。それを阻止できたのは、ひまそら氏の力にほかなりません。ひまそら氏もXで「石丸もうちょっと伸びてたっぽくて怖くなるね俺は百合子でよかったよ、石丸よりはマシ」と語っています。石丸氏は東京都をあきらめて、次は国政を狙うようですが、都民のために立候補したはずなのに、あまりにもいい加減ではないでしょうか。
 自民党の親中派や元自民党職員、大企業などが支援に回ったことで、大変なブームになっていたことは否定できません。有力なユーチューバーも石丸支持を表明しましたが、後半になってその一角が崩れたのは、ネット民の力によるものでした。
 政見放送にも出ず、ポスターも貼らず、顔写真も出さないで、ここまで戦ったことは、高く評価されるべきだと思います。しかも、金も組織に頼らずに、誰とも組まないで正論を吐いた勇気は立派です。ひまそら氏の健闘を心から讃えたいと思います。開票が進むに従って、どれだけ票数が伸びるかが注目されます。
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夢二ファンは心の優しい人ばかりだ 喜多方の月見橋で講演

2024年07月07日 | エッセイ
 宵待草が咲く喜多方市の田附川にかかる月見橋の近くで、昨日の夜は夢二の話をしました。少しばかり雨が降りましたが、「夢二ファンは心の優しい人ばかり」ということを再確認しました。
 世間によく知られた夢二ではなく、秋山清が指摘するような「女々しくもあり、汚れもし、感傷癖もありながら、自我を彼の奥底で支えたものは、ヒューマニズムとレジスタンスであった。それを抱持して夢二が、孤立して日本とさえも対立し得たのは、弱い彼の、女たちへの愛情であった」(『夢二とその時代』)というのを、少しでも分かっていただければ、それだけで感謝です。
 しかし、そのことは平民社に出入りし、社会主義者に接近した夢二をことさら強調することではありません。一緒に共同生活までした荒畑寒村らと袂を分ったのは、科学的社会主義なる暴力肯定の理論に対して、ユートピア的な社会主義を思い描いたからです。
 美人画ではなく、女絵であったところに夢二の、人間としての優しさがありました。悲惨な境遇のなかでありながらも、そこで必死に生きていた女たちへの共感は、血の通った夢二のあの絵となって結実したのです。
 信州の富士見療養所で死去する前年の昭和8年、欧米旅行後で憔悴(しょうすい)しきった夢二が喜多方市の知人を訪ねたという話は、どこにも記録が残っていませんが、なぜか本当のことのような気がしてなりません。そこにもまた、夢二の絵のモデルになるようは儚(はかな)い女性の姿があったように思えてならないからです。
みちのくの紅灯(こうとう)の巷(ちまた)御清水に山高帽の夢二は涙目
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