草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本とイエスという二つのjを愛した内村鑑三

2022年10月30日 | 自衛隊
信仰心の乏しい僕のような人間であっても、聖書をめくることがある。僕は大学で矢内原伊作の謦咳に接することができた。矢内原の父は無教会派クリスチャンの矢内原忠雄であり、内村鑑三を師として仰いだ。内村の遺骸は東京の多摩墓地に葬られたが、その墓碑銘には下記の有名な言葉が刻まれている。
  我は日本のために、
  日本は世界のために、
  世界はキリストのために、
  しかしすべては神のために。
 内村は文久元年(1861)3月、高崎藩士の子として、江戸小石川で生まれた。明治14年7月、札幌農学校を卒業後に農林省水産課などに勤務。アメリカに渡ったのは明治17年秋である。内村は明治16年1月に購入した英訳聖書の扉に「余の墓石に刻むべきもの」と題して自署したのは、アメリカ留学中であったといわれる。
 内村はクリスチャンであるとともに、愛国者でもあった。「私共にとりましては愛すべき名としては天上天下ただ二つあるのみであります。其の一つはイエスでありまして、其他の者は日本であります。是を英語で申しますれば、その第一はjesusでありまして、其の第二はjapanであります」と述べて、日本を愛することと、イエスへの信仰を説いたのである。
 矢内原忠雄は「余の尊敬する人物」(岩波新書)で内村鑑三を取り上げ、日本が先の戦争で焦土と化したなかで、二つのjの大切さを訴えた師の精神について触れている。
「内村鑑三が日本のために据えて往った礎石は『試みを経たる隅の首石』でありまして、火にも焼けず、水にも崩れない永遠の真理であります。焦土と化した都から焼け土を払って御覧なさい。そこに日本の復興すべき礎石が、据えられたままに残っているのを見出すでしょう。日本は内村鑑三を要します。先生の信仰を要します、先生の志を継いで、『二つのj』のために生涯をささげて戦う者を要求しているのであります」
 無教会派であった内村鑑三は、教会をつくることもなく、信仰を懸命に生き抜いたという姿を、後世の人に残したのである。エクレシアとは、あくまでも、高尚な信仰心が通い合う場であって、荘厳な建物ではないからだ。
 旧統一教会叩きは常軌を逸しているが、日本の全ての宗教者に望みたいのは、内村鑑三のような愛国者であって欲しいという一言に尽きる。かつてない危機が迫りつつある今、立場を超えて日本を守り抜かねばならないのだから。 


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