草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

政治家は悪魔とも付き合わなければならないのだ

2024年07月29日 | 思想家
 政治家はどうあるべきか。清水幾太郎は「ヴェバーとシュミット」の解説文において、政治家は悪魔とも付き合わねばならないことを理解していた、
 清水は、マックス・ヴェバーの「世界が悪魔によって支配されていること、政治即ち手段としての権力及び強制力に関係する人間は悪魔の力と契約を結ぶものであること、善からは善のみが生まれ、悪からは悪のみが生まれるというのは彼の行為に取って真実ではなく、屡(しばしば)その反対である事、これらは昔のキリスト教徒もよく知っていた。これに気が付かない者は、事実上、政治的には子供である」(『職業としての政治』)との言葉を引用した。
 その上で清水は、暴力を無視してはこの世に正義を実現することが難しいのであり、人を動かし、あらゆる力を動員するためには「彼は、すべての強制力のうちに身を潜めている悪魔の諸力と関係せねばならぬ」(『同』)という現実を直視した。
 清水は人間性を否定する側に立つわけではない。そうした現実を引き受けながら、それでもなお「私はこうするよりほかに仕方がない、私はこれに固守する」(『同』)という人間的な純粋さを高く評価するのだ。そうなることで責任倫理と心情倫理とは互いに相補うものとなり、政治を天職とする純粋な人間を作り上げることが出来るのだという。
 私たち日本国民は、日本の核保有をめぐる議論も避けては通れなくなった。平和を維持するためには、悪魔とも手を握らなければならないかどうかを、政治家は国民の前で語らなければならない。きれいごとで戦争になってしまうよりも、はるかにましであるからだ。しかし、それができる政治家が、今日本で何人いるだろうか。危機が迫っているにもかかわらず、あまりにも無責任ではないだろうか。

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