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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

内陸部の会津でも放射能汚染と群発地震のダブルパンチ

2011年09月26日 | 災害

 つい先ほど会津地方で震度4の地震があった。体に感じるものとしては今日二回目。とくに、私が住む喜多方市では、下から突き上げる揺れで、地鳴りのような音がした。福島第一原発から100キロ以上離れていても、会津地方は原発事故の影響をもろに受けているのに、そこにまた内陸型の地震では、踏んだり蹴ったりである。3月11日以来、日本列島はゆがみが生じてしまったのではなかろうか。震源地は北塩原村の高曽根山(1443)あたりだといわれている。福島県と山形県の境に位置する山で、火山として爆発した記録もないはずなのに、一体何が起きているのだろう。私が心配するのは、その影響で磐梯山の火山活動が活発になることだ。磐梯山は明治21年7月15日の水蒸気爆発によって、11集落が埋没し、477人の犠牲者が出ている。井上靖の「小磐梯」という小説では「プン抜ゲンダラ、プン抜ゲロ」と子供たちが大声を張り上げる場面があるが、それに促されたかのように、磐梯山が大音響とともに「ブン抜ゲダ」のである。連日続いている群発地震は、高曽根山が磐梯山を挑発して、「プン抜ゲンダラ、プン抜ゲロ」と喧嘩を売っているようで、気が気でない。放射能だけでも手に負えないのに、磐梯山が「ブン抜ゲダ」ならば、会津にとっては最悪である。

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国家再建にあたって学ぶべきは漱石や鴎外の明治人の気骨だ!

2011年09月26日 | 思想家

 危機の時代であるからこそ、サヨクとは違って国家の再建を願うのは当然のことである。そこで思い出されるのは明治という時代である。江藤淳の『決定版夏目漱石』に収録されている「明治の知識人」は、今の私たち日本人に、多くの示唆を与えてくれる。江藤に言わせると、明治の作家たちは「反逆者すら国家に奉仕する作家としての、社会的責任を放棄しようとはしなかった」が、大正期の白樺派や昭和10年代後半の超国家主義にしても、明治の作家たちの系譜を受け継ぎはしなかった。「日本の作家たちは、大正期以後、ナショナリストであった明治作家に背を向けて、少なくとも主観的にはコスモポリタンである自己を誇りはじめた」からである。その流れが平和と民主主義という戦後日本の思想的枠組みとなり、現在もそれを引きずっている。江藤は国家を第一とすることと、個人の倫理観とをからめて論じている。自己を肯定しようとすれば、他人の利益と衝突することになり、独立した他者の存在が問題になってくる。だからこそ、それを克服するために、自己の欲望を超えた価値に従属すべきと考えたのが、漱石や鴎外であったというのだ。しかも、その価値が漠然としたコスモポリタニズムではなく、日本人としての文化的自覚に求めたことを、江藤は高く評価したのだった。

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