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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 自由への励まし-112 偽証してはならない / 大嶋重徳

2019年08月08日 | Weblog
2019/7/4放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒の第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。

 第九戒が光をあてているのは、裁判や公の場での偽証の禁止だけではなく、個人的な陰口や中傷、噂を流すことも禁止しています。なぜなら日々嘘をついていると大切な証言の際にも裁判で嘘をつく体質に慣れてしまうのだ、ということです。いざ証言をするという時には、日常をどのように生きているかが現れます。十戒第九戒は、社会的な倫理性を形成するためには個人的な倫理的生活が整えられていることが大切であることを示します。個人の倫理性が社会的倫理判断を作り上げていくこととなるからです。

 宗教改革者ルターは、誰でも隣人の良い噂より悪い噂を聞きたがるのは悪い病気である、と言いました。またカルヴァンは、隣の家の蔵が崩れる音ぐらい気持ちのいい音はない、とも言いました。いつの時代も他人のあらを探すことに心を傾けることは変わらないのでしょう。人の抱えているものを暴露するという毒のある楽しみがあるのです。

 悪口陰口ということは、それだけを見れば嘘はついていない、ということになるかもしれません。また、そこには確かに悪く言われるだけの事実があったかもしれません。しかし本人の居る所では言わず、本人の居ない陰で言うのは本人の弁明を認めない証言となります。更に、悪い陰口が言われている人間関係の場所に身を置くと、自分の居ない時にはここで自分についてどんなことを言われているんだろうか、という疑心暗鬼がその人間関係にもたらされます。本人に面と向かって言わずに陰で言われることばの持つ残酷さは言われている側の心に深い傷と血を流させることとなります。悪口陰口は正直な交わりの形成がなされることを阻む力となります。

 私たちは愛と真実を口にしたいと思います。信頼を形成することばを口にしたいと思うのです。イエス様がそのようにされたように、イエス様のことばは人を建てあげることばでした。聞く者に慰めをもたらしました。生きる力をもたらされたのです。私たちが朝にこのラジオで聖書のことばを聞く理由は何でしょうか? それはイエス様のようなことばを語れるようになるためにです。
    ( PBA制作「世の光」2019.7.4放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■言い分を聞き入れてやってください / 福井 誠

2019年08月07日 | Weblog
2019/7/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。歴代誌第二6章35節から 「言い分を聞き入れてやってください」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「天で彼らの祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってください。
 
 今日の箇所はイスラエルの偉大なソロモン王が神のために神殿を建て上げ、その奉献式を行なっている所です。奉献式の際の詳細な祈りが収録されています。まず開口一番にソロモンはこう語りました。「【主】は、黒雲---黒い雲と書きますが---の中に住む」(歴代誌第二6章1 節) それは当時のイスラエル人の間にはよく使われたフレーズだったのでしょう。つまり黒雲と訳されたことばはヘブル語でアナーペル、それは雲が厚く重なった暗さをイメージし、イスラエルの人々には特別な体験を思い起こさせることばでした。つまりかつてイスラエルの民は奴隷として虐げられたエジプトから脱出し、約束の地カナンに戻る前にシナイ山に立ち寄ったことがあります。その時、彼らはシナイ山を被う黒雲の中に自分たちを救い出した神の臨在を体験したのです。実に神は近づきがたい畏れ多い方でありつつも、私たちの側に臨在され、祝されることを彼らは知り、それを子々孫々に伝えてきた訳ですね。

 そこでソロモンはまずかつてシナイ山でイスラエル人が体験したように、きょうこの神殿にも迫力を持って神様がまぎれもなく臨在してくださるようにと願った訳です。そしてソロモンは続けて神様が三つの機会に応答してくださるようにと民を代表して執り成しの祈りを捧げています。

 一つは人が罪を犯し苦しむとき、また自らの落ち度によらぬ返済などに苦しめられるとき。更に人が敵と遭遇しチャレンジを受けるとき。そして最後に敵に破れ苦しむとき。つまり、あらゆる機会に神殿に臨在される主を信頼し祈るならば、それに応じてくださるように、ということです。実にこの神殿の機能は今日の教会に受け継がれていると言えるでしょう。イエスは「神の家は祈りの家と呼ばれる」と言いました。神が臨在し、神が私たちの祈りに応じられる教会があるのですから、その教会へ行きたいものですね。

では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.7.3放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■コルネリウス / 板倉邦雄

2019年08月06日 | Weblog
2019/7/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「コルネリウス」という題でお話ししましょう。

 今、私たちはペテロの巡回伝道旅行を学んでいます。さて、地中海の海沿いの町カイサリヤに住んでいたローマのイタリア隊の百人隊長コルネリウスとペテロは出会うことになります。さて、カイサリヤは当時、ローマ総督の管轄でした。コルネリウスはイタリア隊と呼ばれた部隊の百人隊長でした。彼は信心深く、家族一同と共に神を敬い、人々に数々の施しをして、絶えず神に祈りをしていました。コルネリウス隊長はまだイエス様を知り信じてはいませんでしたが、清潔で親切で正直で、何よりも信心深い人でした。彼は外国人でしたが旧約聖書を読んだり、ユダヤ人の敬虔な信仰生活を見て、ユダヤ人の宗教に心惹かれていたのではないかと思います。

 さて、そのコルネリウスが毎日規則正しく三時の祈りの時に祈っていますと、神の使いが彼の所に来て、「コルネリウスよ。」と呼ぶのを幻の中ではっきりと見たのです。

 私たちは祈る動物です。毎日規則正しく祈る習慣の中で、天の神様とコンタクトを持てるのです。そして神に守られ導かれ恵みと祝福をいただけるのです。コルネリウスは神の使いを見て恐ろしくなり、「主よ。何か用ですか?」と答えました。

 すると使いは言いました。「あなたの祈りや施しは神の御前に届いて覚えられている。今、ヤッファに人とを遣ってペテロと呼ばれるシモンという使徒を招きなさい。」 コルネリウス隊長はしもべ二人と部下の中で信心深い兵士を一人呼び、ヤッファへ送り出しました。私たちが人知れずこの地上で捧げる祈りと施しは天の神に届いているのですね。そして天の神にしっかり覚えられているということです。

 八木重吉の祈りの歌を紹介しましょう。病床での歌です。
 「何はともあれ、私は死ぬる瞬間まで、生きるという努力を捨てない。」

  (PBA制作「世の光」2019.7.2放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■神のことばによる癒しと回復 / 岩井基雄

2019年08月05日 | Weblog
2019/7/1放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第一月曜日の今日は、詩篇107篇の中盤から、「神のことばによる癒しと回復」と題して神の恵みに生かされる人生に心を留めてみましょう。

 神の民イスラエルが通った苦しみの一つにバビロン捕囚がありました。バビロン捕囚とは神の民イスラエルが自分たちの罪のゆえに新バビロニアによって滅ぼされ、捕虜として敵国に曳いていかれたことを示しています。しかし敵国にあって彼らは神様に向かうようになり、約束の地に戻るようになったのです。

 この詩篇107篇はバビロン捕囚から帰還した人々に対し、主が危機に際して恵みを示されたことに感謝するよう呼びかけている詩篇です。しかし、その感謝の背後には苦しみを通ったうめきがありました。私たちの人生の苦しみやうめきは、神様への祈りへと私たちを招きます。そして神はその祈りに応えてくださるのです。今日の詩篇をお読みします。

 愚か者は 自分の背きの道のため
    また 咎のために苦しみを受けた。
 ・・・
 この苦しみのときに 彼らが【主】に向かって叫ぶと
    主は彼らを苦悩から救われた。
 主はみことばを送って彼らを癒やし
    滅びの穴から彼らを助け出された。
 【主】に感謝せよ。その恵みのゆえに。
    人の子らへの奇しいみわざのゆえに。

           旧約聖書 詩篇107篇17節、19節から21節

 聖書が語る神は人の罪を裁かれます。敢えて私たちをその罪のゆえの苦しみに遭わせます。バビロン捕囚もその一つとして。しかし神は私たちをその苦しみの中で取り扱い、悔い改めや祈り、叫びへと導かれるのです。そして苦悩から救い出されるのです。その助けの中心は神のことば、みことばを彼らに送り、彼らを癒し、滅びの穴から助け出すことだ、とこの詩篇は語っています。神のことばこそ私たちの心も魂をも癒し、まことの助けと救いを与えるです。苦難と裁きの中でこそ神は愛と恵みのことばを届けてくださいます。そしてその助けを受けた私たちは神への感謝に向かうのです。すべてのことを感謝する秘訣は神への信頼です。苦難を通る中でも愛と恵みの神のことばを受け、神に感謝をささげる事ができるからです。そして神様はあなたの人生を変えるのです。

(PBA制作「世の光」 2019.7.1放送でのお話より )
 
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■イエスは神であり、救い主である / 羽鳥頼和

2019年08月03日 | Weblog
2019/6/29放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 あなたは山登りをされますか? 今の登山のウェアや装備は高機能なだけでなくおしゃれでカッコいいものが増えていますね。

 さて、聖書を読むとイエスが弟子たちと山登りをされたことが語られています。この時、イエスは特別な装備ではありませんでしたが、山に登った時、イエスはすごい姿となり、すごいことが起こりました。その事を新約聖書マタイの福音書17章からお話ししたいと思います。

 イエスは三人の弟子たちを連れて高い山に登られました。すると弟子たちの目の前でその御姿が変わり、イエスの顔は太陽のように輝き、その衣は光のように白くなったのです(マタイの福音書17章2節参照)。イエスは光輝いたのですが、その様子を表すことばは、イエスが本当の神であることを示しています。

 まず、イエスの顔が太陽のように輝いた、とあります。旧約聖書の詩篇84篇11節は、「まことに神なる主は太陽です。」と教えています。そしてイエスの衣が光のように白くなったというのは、詩篇27篇1節で、神のことが「主は私の光」と教えられ、同じ旧約聖書のダニエル書7章9節では「神の衣は雪のように白く」と教えられています。このようにこの時のイエスの姿はこの旧約聖書が教えている神の姿だったのです。

 更に不思議なことがそこで起こりました。もう死んでいるはずのモーセとエリヤが現れてイエスと語り合っていたのです。この二人は救い主キリストのことを預言している旧約聖書を表しています。

 更に驚くべきことが起こります。弟子たちは天の父なる神の声を聞いたのです。
これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」(マタイの福音書17章5節)

 高い山でのこれらの出来事は、イエスが神であり、救い主キリストであり、神の独り子であるという重要なメッセージだったのです。

 明日は日曜日です。神の御子、救い主イエス・キリストを礼拝するために、お近くのキリスト教会にいらしてください。
 
 (PBA制作「世の光」 2019.6.29放送でのお話より )
 
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■権力を振るうな /関根弘興

2019年08月02日 | Weblog
2019/6/28放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 福音書を読んでいくと、イエス様の弟子たちがいつも議論していたことが何か、が分かってきます。それは誰がこの中で一番偉いのかという議論なんですねえ。

 ある時、イエス様の弟子のヤコブとヨハネが母親同伴でイエス様の元に来てこう言いました。「イエス様、お願いがあります。あなたが王として栄光の座に就いた時、あなたの右と左に私たちを座らせてください。」

 まあずうずうしいお願いですね。するとそれを聞いていた他の弟子たちが腹を立ててしまった、と書かれているんです。イエス様は何と忍耐深いお方でしょう。そんな弟子たちを責めることをせず、偉くなりたいと思っている弟子たちにこう教えられました。

 マルコの福音書10章42節から(43節)。
 「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。

 こうイエス様はお語りになりました。この「権力を振るう」ということばは「権力で従わせる、横柄に振る舞い暴政を敷く」という意味を持っています。つまり、人々を無理強いし、服従させるために権力を乱用することです。こうした姿はイエス様の御国の中ではあってはならない、とイエス様は教えられたのです。

 時々、偉くなるということが何でも上から目線で人々を支配することができることだと勘違いしている人もいます。イエス様は偉くなりたいと思うなら横柄な振る舞いや無理強いさせることはしないように、そうした姿はイエス様の御国の中であってはならないのだと言われたんですね。ですから私たちはこのことをいつも点検していかなければなりません。

 例えば、指導者が特別な権威を持ち、その権威をかさにして無理やりに従わせたり、意見を言うことさえも許さず服従させようとするなら、それはイエス様の教えられた姿ではありません。また第一ペテロ5章3節には、「ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。 」と新共同訳聖書に記されています。その模範こそ仕えるという生き方にあるんですね。偉くなりたいなら仕える者となれ。これがイエス様の教えです。

     (PBA制作「世の光」2019.6.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒  自由への励まし-111 偽証してはならない /大嶋重徳

2019年08月01日 | Weblog
2019/6/27放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。

 この戒めは偽証されてもいけないことを語ります。騙されやすい者でいないように、私たちは洞察力を持つことができるように、歴史から学んでいく必要があります。歴史を見る時に私たちは同じような過ちを犯してしまっている歴史を見つけることができます。歴史って難しくて嫌だなあと思う人もいらっしゃるかもしれません。しかし聖書また神様の導かれた歴史です。そこには人々が神様の前で犯してしまった過ちの歴史が記されています。

 私は聖書が好きだなあと思い、聖書は信頼できるなあと思えることは、そこに犯してしまった教会の過ちの歴史をきちんと記している事です。ダビデ王の犯してしまった過ちを記して、そして悔い改めてやり直せる生き方をきちんと記しているのです。

 偽りの証言が飛び交う世界で私たちが取るべき姿勢は、何が真理かを見極める知恵、洞察力を聖書の歴史と教会の歴史から学び続けることです。私たちは単純化された論理の向こう側にあるものの意図を見抜いて複雑な歴史をきちんと複雑に見る視点を養っていく必要があるのです。

 私は私の生きている国が好きですし、食べ物が好きですし、自然も文化も礼儀正しい国民性も、自分の生まれた故郷もとても好きです。しかし手放しで誇ることができるものばかりではないことを知っています。そしてもし私たちが誇ることができるならば、私たちは自らの過ちをきちんと認められるようになっている事を誇りたいと思います。過ちのないことを誇ることは偽りだからです。何より誇るのであれば神様を誇りたいのです。神様に愛されていることを誇りたいです。なぜならば神様は私たちがどれだけの罪人であっても赦し愛し、そして生かしてくださっている。今も弱さを含めて丸ごとの私を愛してくださっている。あなたの人生に罪を犯してしまった歴史があろうとも、それを隠す必要はないのです。それは自虐などでは決してない、神様に出会ってやりなおせるようになった誇るべき私の、あなたの、人生だからです。そこには私たちの栄光が輝くのではなく、神様の栄光が輝いていくのです。そこにこそ十戒第9戒がもたらしてくれる謙遜な生き方があるのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.6.27放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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