2019/7/25放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。
それでは、自分は正直に生きている、自分は嘘をついていません! と言い張る人は第九戒に違反をしていないのでしょうか? しかし本人の気が付いていない自分の正当性をのみ主張する正義感ほどたちが悪いものはありません。第九戒は「隣人に対して」ということばがあることを私たちは忘れてはいけません。第九戒は、自分が正直であることへの自己満足を目的とはしていません。第九戒は自分の正しさを言い張るための道具ではなく、隣人に対しての自らのあり方を問うているのです。私たちは事実に即したことばであるかよりも愛に満ちた真実が含まれているかという事を問うべきです。私たちが語ることばが真実に忠実であろうとするならば、私の語ることばが誰に語るかに応じて違ってきます。真実なことばは硬直したことはではなく、私たちの生活の中に生きて働く優しさを伴ったことはであるはずなのです。
ある人(※東欧の神学者ロッホマン)がこう言いました。「真理は常に当惑している隣人の事情を考えて探求され証言されるものである。真理は自分に好都合なものではない。真理は第九の戒めの中にあるのであって、キリストの光の中にある。すなわち愛へとと向かう方向付けの中にあり、それは隣人の事情を考慮することを意味する。」と語りました。十戒第九戒の語る真理こそキリストの光、イエス様の愛の方向づけがあるのかということを問うのです。幾ら正しいことを言う場合も、いや正しいことを言おうとする時にこそ、今私の動機は愛から始まっているのか?という事を考える必要があるのです。
第九戒は、隣人に起こっている事柄や事情を無視し、原理原則論でさばき、訴えることもまた許していません。私は牧師をしていますが、牧師には守秘義務があります。そこで、いくら教会員に「先生、本当のこと言ってください。」と突きつけられても、選び取らなければならない沈黙があるのです。その時むしろ自分が非難を受け恥をかかされたとしても、信頼を失いそうになったとしても、孤独に秘密を守らなければならないこともあるのです。これは先に挙げた隠蔽や自己弁護の言い訳とは全く違うものです。
今朝、私たちの正しさが隣人への愛の光の中にあるものとなりたいと思います。今日も私たちのいかなる言動の動機も愛となるようにお祈りしましょう。
( PBA制作「世の光」2019.7.25放送でのお話しより )
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。
それでは、自分は正直に生きている、自分は嘘をついていません! と言い張る人は第九戒に違反をしていないのでしょうか? しかし本人の気が付いていない自分の正当性をのみ主張する正義感ほどたちが悪いものはありません。第九戒は「隣人に対して」ということばがあることを私たちは忘れてはいけません。第九戒は、自分が正直であることへの自己満足を目的とはしていません。第九戒は自分の正しさを言い張るための道具ではなく、隣人に対しての自らのあり方を問うているのです。私たちは事実に即したことばであるかよりも愛に満ちた真実が含まれているかという事を問うべきです。私たちが語ることばが真実に忠実であろうとするならば、私の語ることばが誰に語るかに応じて違ってきます。真実なことばは硬直したことはではなく、私たちの生活の中に生きて働く優しさを伴ったことはであるはずなのです。
ある人(※東欧の神学者ロッホマン)がこう言いました。「真理は常に当惑している隣人の事情を考えて探求され証言されるものである。真理は自分に好都合なものではない。真理は第九の戒めの中にあるのであって、キリストの光の中にある。すなわち愛へとと向かう方向付けの中にあり、それは隣人の事情を考慮することを意味する。」と語りました。十戒第九戒の語る真理こそキリストの光、イエス様の愛の方向づけがあるのかということを問うのです。幾ら正しいことを言う場合も、いや正しいことを言おうとする時にこそ、今私の動機は愛から始まっているのか?という事を考える必要があるのです。
第九戒は、隣人に起こっている事柄や事情を無視し、原理原則論でさばき、訴えることもまた許していません。私は牧師をしていますが、牧師には守秘義務があります。そこで、いくら教会員に「先生、本当のこと言ってください。」と突きつけられても、選び取らなければならない沈黙があるのです。その時むしろ自分が非難を受け恥をかかされたとしても、信頼を失いそうになったとしても、孤独に秘密を守らなければならないこともあるのです。これは先に挙げた隠蔽や自己弁護の言い訳とは全く違うものです。
今朝、私たちの正しさが隣人への愛の光の中にあるものとなりたいと思います。今日も私たちのいかなる言動の動機も愛となるようにお祈りしましょう。
( PBA制作「世の光」2019.7.25放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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