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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■どうして主は / 福井 誠

2019年03月27日 | Weblog
2019/2/20放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがありますねえ。では今日の聖書を開きましょう。今日はサムエル記第一 4章 3節から「どうして主は」と題してメッセージいたします。

 兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」

 サムソンの話を覚えておられるでしょうか。当時イスラエルはペリシテ人に支配されていましたね。サムソンがこの支配を逆転させ、イスラエルが優勢になった時代がありました。しかしペリシテ人はたくましくサムソンの時代以降も生き残り、イスラエルを再び脅かす勢力となっていたのです。実際彼らは鉄器の武器を所有しており、高度に組織化され訓練された民族でしたので、イスラエルはその領地からなかなか彼らを追い出すことができないでいました。

 ある日、イスラエルはペリシテ人に戦いを望みますが、何と完璧に打ち負かされてしまいます。そして言うのです。「どうして主は今日ペリシテ人の前で我々を打たれたのだろう」と。

 しかしこの敗北は、神から離れて背信を繰り返すイスラエルに対するさばきとしてあらかじめ預言者サムエルに語られていたことでした。しかし、イスラエルの民はそのことばを思い出し悔い改めることもなく、むしろ自分たちが負けたのは神の臨在の象徴である主の契約の箱がそばになかったからだ、と考えるのです。彼らは神の力を信じていたかもしれませんが、神とその心は遠く離れていました。

 そんな行動は私たちの信仰のあり方にも通じている所があるのかもしれません。神を信じることは大切ですが、神を愛する者でありたいものですね。神様と心を通い合わせながら、日々神様と共に生きる。そうであればこそ、折にかなった助けも与えられるものでしょう。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.2.20放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 
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