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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■礼拝をささげたい /羽鳥頼和

2019年03月02日 | Weblog
2019/1/26放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書 詩篇42篇からお話しします。
 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 
  神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
  私のたましいは 神を 生ける神を求めて 渇いています。
  いつになれば 私は行って 神の御前に出られるのでしょうか。

               (1節、2節 新改訳2017)
 
 この詩篇の作者はエルサレムで神に礼拝をささげる事ができず、いつになれば神の御前に出られるのだろう、と嘆いています。彼は神の定めた祭りのたびに都であるエルサレムに行き、神を礼拝していました。それは彼にとって大きな喜びでした。しかし今は、エルサレムで神を礼拝することがかなわない状況の中で、彼は神を慕い求めています。

 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」とは、鹿がライオンや狼に狙われる危険の中で川に出て行こうとする様子を思い浮かべることができます。作者は敵意を抱く人々に虐げられてエルサレムに行くことができません。そのために「魂が神を慕いあえぐ」と言っています。彼は敵対する人々から「お前の神はどこにいるのか」とそしられています。そして、神が自分を忘れてしまったのではないか、と嘆いています。エルサレムから遠く離れた所にいる彼は、「私の魂は私の内でうなだれる」とも言います。そんな絶望の中で彼は祈ります。
 「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。
  なぜ 私のうちで思い乱れているのか。 
  神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる。 私の救い 私の神を。
」(11節)

 彼は絶望の中でその現実を見つめながら信仰によって神に祈ります。彼は「私はなおも神をほめたたえる。」と信仰によって神を礼拝しています。神を礼拝したいと望んでいる彼は、信仰による祈りによって今いる所で神を礼拝することができているのです。

 「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
    新約聖書 ヘブル人への手紙11章1節

 明日は日曜日です。キリスト教会では神に礼拝をささげます。あなたもお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.1.26放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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