♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■信仰は期待すること /関根弘興

2019年03月22日 | Weblog
2019/2/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は聖書が教えている信仰とはどのようなものかということを考えていきましょう。

 イエス・キリストがカペナウムという町に行かれた時、長い間、婦人病に苦しんでいる人がいました。彼女は特別に神学的な勉強していた訳ではありませんでした。ただイエス様のお着物に触りさえすればきっと治る、という期待を持ってイエス様のもとに行ったんです。

 時々、「関根弘興先生、もっと聖書を勉強してよくわかったら信仰が持てると思います。」と言われる方がいるんですね。でもただ知識だけ増えても信じることはできません。イエス様という方をまだよく知らなくても、この方なら私の人生の答えを知っているかもしれない。この方なら私を支え助けてくださるかもしれない、と期待することが信仰に生きる第一歩なんです。

 一方、カペナウムの町にはヤイロという会堂管理者がいました。彼は自分の娘が病気になってしまい、イエス様に癒やしてもらおうてやってきました。彼は旧約聖書をよく知っていました。しかしイエス様と家に向かう途中、娘が死んでしまったという報告を受けたんです。その時彼は、ああもうだめだと絶望してしまいました。イエス様でもこの問題は解決できないと考えたのです。しかしイエス様は「恐れないで、信じなさい」と言われました。つまり、もうだめだと信仰投げ捨ててしまうのではなく、なお信頼し続けなさい、と言われたのです。この「信じなさい」ということばは今まで会堂管理者として学んできた信仰ではなく、新しく信仰を持ちなさい、と言われてるかのようなことばですね。つまり死の力の前にはイエス様もなす術が無いとこの会堂管理者は思っていたかもしれないけれど、イエス様なら死の問題さえ解決できるという事を信じなさい、という意味で「信じなさい」と言われている。こう考えたらいいと思うんですねえ。イエス様についての情報を知っているだけでは信仰とは言えません。またイエス様が救い主であると同意するだけではこれも信仰とは言えません。信仰とは、イエス様は私の人生を変えてくださるお方だ。私はイエス様が与えてくださる救いを受けていくことができる。今私が理解できなくてもこの方を信頼し生きて行こう、と期待し、一歩踏み出し生きて行くこと。これが信仰の姿なんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.2.15放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。