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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■気を付けるべき高慢 / 岩井基雄

2019年03月25日 | Weblog
2019/2/18放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三週の月曜日はマルコの福音書から学びます。

 ある時、キリストは弟子と共に舟でダルマヌタ地方に行かれました(8章)。するとそこにパリサイ人たちがやってきて、キリストと議論をし、奇跡やしるしを行うように求めたのです。人の関心は驚くような出来事やキリストの特殊な行為に向かいがちですねえ。しかしキリストは心の内で(深くため息をついて、)こう語られました。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。まことに、あなたがたに言います。今の時代には、どんなしるしも与えられません。」(マルコの福音書 8章12節 )

 キリストは彼らの思いをご存知でした。単に奇跡を求める心は、そこに示される神の主権や力を認めようとしないからです。イエスは彼らから離れ、舟で弟子たちと一緒に戻ります。その帰る道、弟子たちは自分たちが十分なパンを持っておらず、たった一つのパンしか手元にないことに気が付きました。パンのないことに心を向けている弟子たちにキリストはこう命じられました。
 「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい。
     新約聖書 マルコの福音書8章15節

 弟子たちはパンを十分に持ってこなかったことを責められたと感じたのですが、キリストの意図は違いました。キリストはパリサイ人やヘロデ王の心の中に高慢や傲慢を見ておられ、それはパン種のように少量であっても全体に他の存在に影響を与えてしまうからです。弟子たちもまた自分たちの心の内にある高慢や傲慢に気をつける必要がありました。彼らもまた、この世の価値感に翻弄されやすく、誰が一番偉いのか、と語り合うことが少なくなかったからです。私たちも高慢や傲慢に気をつけなければなりません。キリストにしるしや奇跡を要求する心、神に自分の願いや思いを叶えてもらおうとする心の背後には高慢や傲慢が隠れていることが少なくないからです。そこには神を主権者として認めるのではなく、まるで自分を主として神をしもべのように扱い、自分の思いや願いのために使おうとする心が現れているからです。どこまでも謙った心、教えられやすい謙遜な心を求め、自ら身を低くする者とさせていただきましょう。

 神は心ヘリだったものを豊かに愛し、そして豊かな祝福を注いでくださる方です。神様はあなたの心をご覧になるのです。

  (PBA制作「世の光」 2019.2.18放送でのお話より )
 
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