世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
新約聖書が書かれた時代は、あのローマ帝国が全世界を支配する時代でした。その世界に、イエス・キリストの福音が伝えられていきました。するとそこに大きな喜びが沸き上がっていきました。でもクリスチャンたちに対するいろいろな誤解やうわさも撒き散らされていくことになり、迫害も起こってきました。でもその数はますます増えていったんですねえ。
クリスチャンになる人たちは社会的に大きな地位を持っている人もいれば奴隷の身分の人たちもいました。聖書は、すべての人を敬いなさいと勧めています。立場はどうあれ、一人一人は大切な、そして敬まわれなければならない一人一人だという訳です。
ローマの時代、帝国内には大体六千万人の奴隷がいたとされています。すごい数ですねえ。奴隷はもともと戦争で捕らえられた捕虜だった訳です。その奴隷の仕事も多岐に渡っていました。医者もいれば教師もいる。音楽家、俳優、秘書。ローマの仕事の殆どは奴隷が行っていたと言われます。もちろんすべての奴隷が過酷な運命を背負わされた訳ではありません。主人の家族から愛され信頼された奴隷もたくさんいたはずです。でもローマの法律においては奴隷は人格を持っていない、ただの物扱いされたんですね。当時、道具には三つあると言われました。話すことができない道具、これが家畜です。話すことができる道具、これが奴隷。聞くことができず話すこともできない道具、これが農機具だという訳です。ですから奴隷は人格を持った人間として(は)決して見られていませんでした。奴隷にとっては主人の意志がすべてであった訳です。
でも聖書には、すべての人を敬いなさいとあるんですよ。もちろんその「すべて」の中に奴隷も入っていました。当時、教会ではちょっと面白いことを見ることができたでしょう。時には奴隷の主人が礼拝の受付をし、奴隷が司会をしていたりする、そんな光景を見たはずです。みんなイエス・キリストによって愛され尊ばれる存在だという訳ですねえ。肩書きやプライドや見栄も、そこでは必要ありません。何と麗しい光景でしょう。主にあって社会的な壁さえも壊されていったんです。
さてあなたは自分のことをどのように思っていらっしゃいますか? 聖書はこう語っています。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって互いに人を自分よりも優れた者と思いなさい。」実はこの心はキリストの心でもあるんですよ。
( PBA制作「世の光」2005.10.25放送でのお話しより )
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