お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
新聞に掲載されていました五行歌、埼玉県上尾市の遠山節子さんの五行歌、紹介します。
切れるとは 頭の良い人のことだった ような気がする いつからだろう 別の意に変ったのは
この五行歌に、こんなコメントがありました。「世の中は不思議だ。頭の切れる人が求められることがなくなり、切れる人に困る時代となった。」なあるほどと思い、改めて国語辞典を見ました。「切れる人とは何でもよく処理できる様子」とありましたし、さらに「頭の回転が早く、てきぱきと処理できる人」とありました。それがいつからか、「頭にきた」とか「切れた」というような意味に使われるようになったんでしょうねえ。親が子どもの進路について心配したつもりで言ったのがしゃくにさわって息子が親を刺し殺したとか、しつけのつもりで言ったことが頭にきて暴力ざたになったとか、こんなことがいっはいありますよね。家庭でも職場でも学校でも、通勤中の電車の中でも、電車を待っているホームでも、やれ体に触ったの目が合ったの、で、ちょっとしたことで切れる人が多すぎます。いつも疲れていたりイライラしているんじゃないかなあって思いますね。私も私鉄と地下鉄を使って通勤しているんですけど、自分の心中も時には穏やかじゃないっていう時があるんですよ。
さて、旧約聖書、箴言という所にはですね、怒りについてこんなことばがあります。12章の16節です、「愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。」 15章の18節、「激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。」 16章32節、「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」 ま、怒りっていうのは誰にも生じる感情だなって思います。それを聖書は、怒りをおそくする者は勇士にまさるヒーローだと言い、町を攻め取り勝利を得るよりもすばらしい事だって言っているんですね。
さてお互い、ま、ある程度は怒りを治めるといいましょうか押さえるっていうことはできるかもしれません。聖書が言うのも分りますよね。でも、堪忍袋の緒が切れるってこともあります。さてそんな時、どうすれば良いのでしょうか。どうでしょうか、イエス様はどうするだろうかと視点を自分からですねイエス様に変えてみたらどうでしょうか。そこに一呼吸の時間が生まれますし、イエス様がその場を乗り越える力をくださるはずです。お互い、こういうことから勇士に勝るヒ-ロ-にさせていただきたいと思います。
(PBA制作「世の光」2005.10.27放送でのお話しより )
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