世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですねえ。
こんな笑い話があります。
ある時、ひとりの泥棒が捕らえられて王の前に引き出されて死刑の宣告を受けました。すると彼が懐から一枚の金貨を取り出し、「王様、実はこの金貨は一度も悪いことをしたことのない人が土に埋めると、何と金のなる木が生えるんですよ。ところが私は今まで悪いことばかりしていて、とうとう植えることができませんでした。王様なら罪はないでしょうから、これをひとつお植えになってみてください。」すると王は、すぐに総理大臣を呼び出して、「おいお前、お前が植えろ。わしは幾多の戦争で人を何人も殺している。占領しなくてもよい国まで占領した。まあ悪いことを結構したのでお前が植えてみろ。」すると総理大臣が、「いやいや王様ちょっとお待ちください。私もあなたと一緒に悪いことをして同じようなことをしてきましたじゃありませんか。実は税金もごまかしていまして、私は植えることができません。」すると次に警視総監が呼ばれました。「お前は人を裁く立場のトップだから、まさか悪いことなどしていまい。」すると「おゆるしください、王様。私も人をいじめたり、不正な裁きをしたことがありまして。」ま、そう話し出した訳です。その話しの一部始終を聞いていた泥棒はこう言いました。「それではみなさん。私と一緒に死刑になったらどうでしょう。」
ま、こんな話しなんですね。実は正しい者は一人もいない、ということを言おうとしているお話しなんですけれども、聖書の中にはこんなことばが記されています。ローマ人への手紙3章10節。「義人はいない。ひとりもいない。」 義人--正しい人は誰もいないと聖書に書いてあるんですねえ。実はみんな私たちは神様の前に出たら有罪判決を受け、滅ぼされても文句が言えない存在だというんです。みんな罪人。でもそんな私たちを愛し赦してくださる方がいる。この方こそ私たちの罪を背負い、十字架にまでついてくださったイエス・キリストだと聖書は伝えているんです。
ひとりの死刑囚が獄中でクリスチャンになりました。刑が執行される前、彼がクリスチャンになった時書いた詩があります。
僕が歩くと罪が生まれる。
その罪を拾い
隣人に詫びながら
昼も夜もついてきてくださる尊いお方の御姿がある
先にばかりおられると思ったのに
あなたは僕の後からもあの日からついてきてくださったのですね。
イエス・キリストを救い主として信じ、生きるということは、人生を変革する最も大切な決断のひとつなんですね。
( PBA制作「世の光」2005.10.11放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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