世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
新約聖書のずっと後の方になりますけど、ペテロの第一の手紙っていう中にですね、こういうことばがあるんですね。
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」ってことばがあるんですけれども、「心を整え」っていうこのことばは、『新契約聖書』っていう聖書(※新約聖書の個人訳の一つ)があるんでが、その聖書で見ますと、おもしろいなあと思ったんですが、「素面で祈りせよ」というふうに訳してあるんですね、古い訳ですけれどねえ。「素面で」っていうのは、もう、しらふでですねえ、化粧なしで、面をつけないで、そのままでという意味なんですねえ。
えー、今年の夏はクールビズとか流行りましたですねえ。ノーネクタイでとか、まああのカジュアルな格好で、国会の中継なんか見てても小泉さんを始め大臣たちも何かネクタイなしで普通の格好でいるとただのおっちゃんだなあというような感じがするんですけれども。
まあ人はですね、見た所の服装とかそして肩書きとか地位とか、そういうふうなもの、車とか家とかですね、そんなもので評価したりランク付けしたりするってことがありますよね。で、これはまあアクセサリーに過ぎない訳で、その人の本質とはあんまりほんとは関わりない訳です。ある人が言ってましたけど、「猿は木から落ちても猿だけれども、国会議員は選挙に落ちればただの人」ってこう言われてましたけれど、国会議員であろうとなかろうと神様の目から見れば人には上下はなくってみんなただの人である訳ですよね。
2年後には団塊の世代が一斉に退職するというんで大定年時代を迎えるってことは今から話題になっていますけど、多くの人がすべての肩書きを失う訳ですね。ある会社の人が、定年退職した次の正月、それまで300枚以上来ていた年賀状が激減したというのでね、この人はショックで郵便受けの前に30分も立ちつくしていたっていうんですね。まあそんなような、何と言うんでしょうかねえ、いかに立場や肩書きやそういうものでもっていたかということをしみじみ感じたということの訳ですけどね。
私たちは神様の前には、そういう肩書きとかレッテルとか立場とか地位とかというようなものではなくって、ありのままの姿で出るという。どうせ出なければならない。で、神様は私たちのありのままのその私を受け入れてくださるお方なのですから、神様の前に飾らずそのままで出させていただく、その姿勢が大事だなと思いますね。
( PBA制作「世の光」2005.10.03放送でのお話しより )
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