世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。
徳島県徳島市にお住まいの秋吉牧師先生からは新約聖書マタイの福音書6章22節のことばをお寄せくださいました。
「目はからだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば全身も明るい。」
イエス・キリストのことばですねえ。
私の母は、若い頃から目が悪く、70歳の時、完全に失明してしまいました。その母が、少しでも見えるうちに自分の一生を書き残したいということで、大きな字で自分史を書き、その本に「霧」と題をつけましたが、それは自分の目の中にたちこめている濃霧という意味で、そのような題にしたのです。
さてイエス様は、「目はからだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば全身も明るい。」とおっしゃいました。イエス様は肉眼のことを言われたのではなく、私たちの心の目のことを言われたのですね。私たちの心が澄んでいる、健全であることなのですねえ。澄んでいる目、健全な目というのは、他人の欠点や弱さや過ちに対して寛大である、寛容であるということなのです。私たちの目が健全であるなら小さなゴミも良く見えますが、心の目が健全な人は逆に他人の欠点、弱さ、過ちに目をつぶるということなのですねえ。私たちはお互い、自分に甘く他人に厳しいと言います。しかし澄んだ目について書いた後でイエス様はこう言っています。「あなたは兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中にある丸太に気がつかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおがくずを取らせてください』とどうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。」 マタイの福音書の7章の3節、4節です。神様から澄んでいる目、健全な目をいただいて、自分の罪をしっかりと見据える所から本当の幸せが始まるのですね。
秋吉牧師の心に残る聖書のことば、
イエス・キリストのことば。 「目はからだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば全身も明るい。」 新約聖書マタイの福音書6章22節のことばです。
それではまた聞いてください。
( PBA制作「世の光」2005.10.22放送でのお話しより )
*****
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。