2023/7/7放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週はイエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えています。
ルカの福音書15章には3つのたとえ話が書かれています。迷子になった羊の話、失くしてしまった銀貨の話、そして放蕩息子の話です。
ある時、弟息子が父に、「私に財産の分け前を下さい」と頼みました。父はこの息子に財産を分けてやりました。しかし現ナマを手にした弟息子は、すぐに遠い国へ旅立ってしまったのです。そして放蕩三昧のあげく、財産を使い果たしてしまいました。
するとタイミング悪く大飢饉が起こり、彼は食べるにも困るようになっていきました。彼は豚の世話をし、その餌で腹を満たしたいと思ったほどのどん底状態に陥ってしまったのです。するとその時彼は「我に返った」と聖書には書かれています。皮肉なものですね。お財布が豊かな時は何も気づかなかったのに、自分の惨めな姿を見つめたとき「我に返った」というのです。人生、何が幸いするか分かりませんねえ。
我に返った弟息子は勇気を出して家に帰る決心をしました。彼は道々、「天に対しても、またあなたの前にも罪を犯しました」と何度も口ずさみながら家に向かって行きました。そして彼は、「もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」ということを自覚していました。それも当然ですよね。ですから彼は心の中で、「雇い人の一人にしてください」と懇願しようと考え、家に向かって行ったのです。
さあこの息子が遠い道のりを帰って行ったときでした。何と驚くことが起こりました。まだ家まで遠かったのにまず父親が彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけしたのです。そして息子のことばを遮るように、急いで一番良い着物を着せ、指輪をはめさせ、くつを履かせるようにしました。父親は、「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかった!」と言って大喜びして、祝宴をするための準備をしたのです。
まあこれはあきれるほど大甘な父親ではありませんか。しかしこの父親の姿こそ、聖書の神様がどのような方なのかを深く教えているのです。私たちは放蕩息子に例えられています。神様からたくさんのものを授かっているのに浪費し、感謝もしない、そんな姿がありませんか? でもそんな私たちがあるべき場所に帰っていくのを、待って待って待っていてくださる神様がいることを、この例えは教えているのです。
( PBA制作「世の光」 2023.7.7放送でのお話しより )
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