2023/6/20放送
「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
私たちが最も恐れることは自分の存在がなくなる「死」ではないでしょうか。病気や老いることへの不安の背後にも死への恐れがあると言えるでしょう。
イエス・キリストの十字架の死はキリストの弟子たちに失望と絶望を与えました。キリストと同じように自分たちも捕らえられるのではないかと恐れて彼らは隠れていたのです。
一方、キリストに従う女性たちはその状況の中で行動しました。キリストの十字架から三日目となる日曜日の朝、彼女たちはキリストの遺体に油を塗るために香料を買い、キリストの遺体が納められた墓に向かいました。それはローマ兵たちが寝ずの番をしていた墓でした。しかも、墓の入り口には円盤型の大きな石が置かれ、それを取りのけなければ中に入ることもできなかったのです。しかし彼女たちは何かをしたいと願い、出かけたのです。
するとどうでしょうか。なんとローマ兵はおらず、すでに墓の石は転がしてあり、墓に入ると、真っ白な衣をまとった神の使いがいて、こう語ったのです。
「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。」
新約聖書 マルコの福音書16章6節
それは驚くべきことばでした。彼女たちはキリストが壮絶な苦しみを十字架の上で受け、苦しみを味わい尽くされて死んだこと、そしてその遺体が墓に収められたすべてを見ていたからです。失望の中に彼女たちもいたのです。
ところが、「あの方はよみがえられました。」との御使いのことばは、彼女たちに戸惑いと驚きを与えました。深い悲しみと失望の中にあった彼女たちは、神の使いを通して、キリストが死に打ち勝ってよみがえられたことを知ったのです。
しかしこの時はまだ彼女たちは十分理解できなかったようです。私たちにとっても死を超える勝利やいのちを理解することは簡単ではありません。それにも関わらず、イエス・キリストは死に打ち勝ってよみがえられたと聖書は明確に語っているのです。それゆえ私たちは自らのいのちがなくなることや死を恐れる必要はないのです。あの方はよみがえられたからです。
( PBA制作「世の光」 2023.6.20放送でのお話しより )
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