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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の知恵に聴く-2 箴言17:17 / 原田憲夫

2023年08月29日 | Weblog

2023/6/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の巡回宣教使・原田憲夫です。今日は、「神の知恵」旧約聖書 箴言17章17節にご一緒に耳を傾けたいと思います。お読みします。
  「友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」

 今日の箴言は「友はどんなときにも愛する…」と語りますが、すぐに「そんなの無理じゃ」という声が返ってきそうです。ところが、それでいて自分の期待と違う場面になると、「もうお前なんか親友でも何でもない! 絶交だ!」って口走る。
それは心のどこかで「友とはどんなときにも頼れる仲間」だと思っているからではないでしょうか。

 少し見方を変えてみます。例えば同じ学校に通っていても、あるいはご近所の人だからといっても「友」とは限りません。多くの場合、顔は知っていても「ただ通り過ぎて行く人」にすぎません。お互いの関係の距離が遠いのです。

 ところが違う学校から集まる活動サークルや遠くの郷里にはいわゆる苦楽を共にする仲間がいます。共に何かをしたり、考えたり、悩んだりする仲間です。お互いの関係の距離が近いんですよね。

 ずいぶん昔、ある新聞の投稿欄に一人の老人の文章が載りました。
 「冬の寒い朝、刑務所を出て、一人とぼとぼと道を歩いていた。すると、落ち葉でたき火をしていた女子高生たちに、『おじさん、あたっていかない』と、声を掛けられた。全く思い掛けないことばに、私は全身がふるえるほど感激し、ああ、新しく人生をやり直す力を与えられた。」
 女子高生たちがこの老人に声をかけた瞬間、「ただの通り過ぎて行く人」から「同じ暖をとる仲間」に変わったのです。関係の距離を縮めた一言でした。

 今日の神の知恵・箴言が語る「友」という原語・ヘブル語のルーツは「愛」だといいます。友は「愛する人」と切り離せないのです。実はこのことを身をもって現わされたお方が、罪のない救い主イエス・キリストです。

 そうです。キリストは心に闇、罪を抱えて苦しみ喘ぐ私たち人間を「友」と呼び、そして私たちの心の闇、罪をすべて引き受け、十字架の上でご自分のいのちを投げ出し、救いをもたらされました。天と地以上の関係の距離を、身をもって縮められたのです。

 あなたも今日、あなたを「友」と呼ぶ救い主イエス・キリストを心に迎えませんか? あなたの人生がきっと変わります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.13放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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