2023/6/13放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の巡回宣教使・原田憲夫です。今日は、「神の知恵」旧約聖書 箴言17章17節にご一緒に耳を傾けたいと思います。お読みします。
「友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」
今日の箴言は「友はどんなときにも愛する…」と語りますが、すぐに「そんなの無理じゃ」という声が返ってきそうです。ところが、それでいて自分の期待と違う場面になると、「もうお前なんか親友でも何でもない! 絶交だ!」って口走る。
それは心のどこかで「友とはどんなときにも頼れる仲間」だと思っているからではないでしょうか。
少し見方を変えてみます。例えば同じ学校に通っていても、あるいはご近所の人だからといっても「友」とは限りません。多くの場合、顔は知っていても「ただ通り過ぎて行く人」にすぎません。お互いの関係の距離が遠いのです。
ところが違う学校から集まる活動サークルや遠くの郷里にはいわゆる苦楽を共にする仲間がいます。共に何かをしたり、考えたり、悩んだりする仲間です。お互いの関係の距離が近いんですよね。
ずいぶん昔、ある新聞の投稿欄に一人の老人の文章が載りました。
「冬の寒い朝、刑務所を出て、一人とぼとぼと道を歩いていた。すると、落ち葉でたき火をしていた女子高生たちに、『おじさん、あたっていかない』と、声を掛けられた。全く思い掛けないことばに、私は全身がふるえるほど感激し、ああ、新しく人生をやり直す力を与えられた。」
女子高生たちがこの老人に声をかけた瞬間、「ただの通り過ぎて行く人」から「同じ暖をとる仲間」に変わったのです。関係の距離を縮めた一言でした。
今日の神の知恵・箴言が語る「友」という原語・ヘブル語のルーツは「愛」だといいます。友は「愛する人」と切り離せないのです。実はこのことを身をもって現わされたお方が、罪のない救い主イエス・キリストです。
そうです。キリストは心に闇、罪を抱えて苦しみ喘ぐ私たち人間を「友」と呼び、そして私たちの心の闇、罪をすべて引き受け、十字架の上でご自分のいのちを投げ出し、救いをもたらされました。天と地以上の関係の距離を、身をもって縮められたのです。
あなたも今日、あなたを「友」と呼ぶ救い主イエス・キリストを心に迎えませんか? あなたの人生がきっと変わります。
( PBA制作「世の光」 2023.6.13放送でのお話しより )
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