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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の知恵に聴く-3 箴言18の14 / 原田憲夫

2023年08月30日 | Weblog

2023/6/14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の原田憲夫です。私は今、「巡回宣教使」と呼ばれ、各地にキリストの良き知らせをお届けしています。

 今日は、神の知恵・旧約聖書 箴言18章14節にご一緒に耳を傾けたいと思います。お読みします。
  「人の霊は病苦も忍ぶ。しかし、打ちひしがれた霊はだれが担えるだろう。」

 この神の知恵・箴言は、この数年の間に予想だにしなかった新型コロナウイルスの感染症拡大や、ウクライナの悲惨な戦禍の状況と重なり、とても重く厳しく感じられます。たとえ重い病気の苦しみに耐えることができても、激しい精神的な打撃を受け深く沈んだ状態にある人を誰もどうすることもできないという過酷な現実です。

 確かに親や友人が助けの手を伸べてくれます。でも限りがあることをみんな知っているのです。「打ちひしがれた霊はだれが担えるのか」 しばらくの間、この問いかけが私の心に引っかかったままでした。

 けれども今、その答えがイエス・キリストが語られた一言にあることに気づかされています。
  「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイ5:4)

 キリストは、ここで悲しみを表す上で最も強いことばを用いています。抑えても抑えても涙が込み上げてくる深い悲しみを指すことばです。まさに「打ちひしがれた霊」、沈んだ心そのものです。ところが、キリストはその過酷な現実をも「幸いです」と結ぶのです。

 なぜでしょうか? それはキリストご自身が深い悲しみに沈んでいる人をご自分の愛の腕の中にしっかり受け止め、その目の涙をすべてぬぐい取ってくださるからです。

 そうです。キリストは、愛の神様を悲しませている私たちの罪のすべてを引き受け、十字架の上でご自分のいのちと引き換えにその罪を贖ってくださいました。私たちの病を負い、痛み悲しみをすべて担ってくださったのです。

 ですから不思議ですが、十字架のキリストを見上げ、このお方を心に迎えるとき、打ちひしがれ沈んだ心が、安らぎと喜びの心に取り替えられるのです。

 今日、キリストはこの十字架から私たちにあなたに呼びかけています。
  「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

 さあ、救い主キリストを心に迎え、打ちひしがれた霊、沈んだ心をキリストに担っていただきましょう!


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.14放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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